第18話

 


 アルテミス女学園高等部一年生であり、生徒会長である『 蝶番野花ちょうつがいのはな』は生徒会室にて固定電話の受話器を耳に当てて話していた。


「──以上の事から、三日前に『喜渡きわたり 愛奈えな』先輩の“卒業”が確認されました。今週“卒業”した『ペガサス』は彼女だけとなります」


 電話先の相手は、アルテミス女学園内で生活している数少ない大人であり、このアルテミス学園の管理者たる学園長。


 その内容は週ごとに行なわれる定例報告であり、学園で起きたことをそのまま学園長に報告するだけのものだ。しかし今回は、そんな何時ものとは違う。


 なにせ、今回の定例報告は全てが偽り、『ペガサス』の活性化率を下げられる人型プレデターの隠蔽。月世と愛奈。三年生二人の“卒業”偽装。この三日間の自分たちの活動全部。ついでに高等部施設の壁の破損など、決して学園長に悟られるわけには行かないものとなっている。


 いつもどおりの当たり障りのない報告を終えた野花は、祈るように学園長の返事を待つ。


≪…………そう≫


 ──話し方は変になっていなかっただろうか? 報告した内容に違和感は無かっただろうか? そんな強い不安を余所に電話から聞こえてきたのは何時ものそっけのない返事。


≪高等部三年の……≫

「喜渡愛奈先輩ですね!」

≪そうそれ、死んだの、ちゃんと確認できたの?≫

「はい! 先ほども話しましたが中等部の新入生が、探索に出たところ『街林』で毒を飲んで“卒業”している喜渡愛奈を発見したそうです!」

≪遺体はちゃんと燃やして埋めた?≫

「もちろんです!」


 ──『街林』で行方不明となっていた高等部三年生の『喜渡きわたり 愛奈えな』は、中等部一年の『上代かみしろ 兎歌とか』が発見し“卒業”を確認、遺体は回収されて、すでに葬儀場にて火葬を行ない、集団墓地に埋葬した。それが野花が学園長に報告した内容であるがすべて嘘だ。


 愛奈は生きており、元気にしている。なんなら活性化率も下がっており、朝から月世つくよ真嘉まかの三人で『街林』の調査へと向かっている。野花は真実であるこっちのほうがもの凄く嘘くさいなと思った。


≪……はぁ≫


 疲れ切った溜息が電話を通して野花の鼓膜に触れる。野花の抱く学園長の印象は“腐った怠け者”である。東京地区の出世競争に負けた彼女は、『ペガサス』の巣窟の管理者へと左遷させられた。


 反ペガサスに属していることもあってか、学園の運営にやる気はいっさい無く、わざわざ自分用に取り寄せているアルコールに溺れては現実逃避をする毎日を送っている。そのため定例報告でありながら昼から泥酔して、野花に何時間にもわたって暴言を浴びせたのも、一度や二度の話ではない。


 今だって酒が抜け切れていないのだろう。明らかに頭痛に苛まれているようで、思考がおぼつかず野花の嘘だらけの報告の違和感に気づけない。気づこうとしない。


 そもそも学園の運営は東京地区に住まう彼女よりも偉い人間が考えており、下っ端の現場監督でしかない学園長のすることは、生徒会長である野花よりも少ないといえる。


 東京地区にとって学園長は斬り捨てても痛くも痒くもない人間。故に何かあった時の生け贄でしかない名前だけの責任者。そんな学園長の立場を考えると、こうなるのも仕方のないことかと憐れみの感情を向ける。


≪──そう、ようやく死んだのね、不安にさせるんじゃないわよまったく≫


 しかし、同情が湧くことはない。競争に負けるわけですねと野花は冷たくそう評価した。


「……それで、夏の大規模侵攻についてですが」

≪その件については東京地区の指示を待てっていつも言ってるでしょ!?≫


 ガチャっと乱暴な音と共に通話が切れた。『プレデター』の大規模侵攻に関してああいう反応をされるのは承知で問い掛けた。こうしたら高確率で感情的になって、あちらの方から電話を切るからである。


「──まさか、学園長の無能さに感謝する日が来るなんて、思ってもみませんでしたね」


 ──自分が口にした偽造報告は、そのまま精査される事なく東京地区へと送られて、あちらでも余計な事をして立場を失うことを怖れる大人たちによって、特に深掘りされずに何時ものように受理されるだろう。一仕事終えた野花は受話器を元に戻して安堵の溜息を吐いた。


 +++


「──うへぇ~~」


 ──学園長との話が終わった野花は、高等部一年寮にある『すずり開発室』の寒暖両用炬燵こたつによる下半身の心地よさに浸りながら奇声を上げた。


「これで学園長をはじめとした東京地区の大人たちに対する最初の欺瞞工作は完了しました。逆に言えばこの三日で完了させたのは、これだけですね!」

「あたしの方は高等部区画内にある監視系の機器全て偽装工作終わった。三日三晩楽しくもない作業をし続けてさすがに疲れた」

「「……はぁ」」


 二人はほぼ同時に深いため息を吐いた。管理者の対応と機械弄り、こればっかりは能力的に他人に任せるわけにも、手伝わせるわけにも行かず、やりたくもない仕事を長時間行なったことで、精神的疲労がかなり蓄積された。


「──ゲホッ」


 精神的疲労から来るストレスで、夜稀は喉が渇き咳き込む。すると野花は、ここに来る前に買ってきた小さな缶ジュースを夜稀に差し出した。


「ここに来る前に買ってきたんです。よかったらどうですか」

「もらう……ゴクゴ……ク……野花、これって……?」

「100%蜜柑ジュースです。美味しくなかったですか?」

「……甘味の暴力……清涼飲料水や合成甘味料水とは違う……これが蜜柑の甘さ?」

「気に入ってくれたようでよかったです!」


 蜜柑特有の柑橘系の甘さを初めて体感した夜稀は、なんだこれと半ば思考回路をバグらせながら、貴重な果汁ジュースの味をできるだけ理解して記憶しようとちびちび飲み始める。


 輸入品の停止。運搬の困難性、生産地の損失などを理由に、現代では日本の果物は富裕層しか楽しめない趣向品となっている。そんな果物を100%使用した190ml蜜柑ジュース缶は、東京地区で買うとなれば材料である蜜柑そのものが高額で競売に出されることもあって一本数千円で売買されている。


 アルテミス女学園では生活区画にある特別な自販機で安価で売られてはいるが、それでも安くは無く、気軽に他人にご馳走していいものではない。


 野花も100%蜜柑ジュースを飲むが、ちびちび飲んでいる夜稀とは違い。ごくごくとまるで水を飲むように一気に半分まで飲み干す。


「……ふぅ。やっぱり美味しいですね」

「よく飲んでるの?」

「生徒会長に成り立ての時に、贅沢に逃げてた時期がありましてね」


 生徒会長である野花に毎月支給される電子マネーの額は他の『ペガサス』たちの十倍となっており、成り立ての頃、まだ心が壊れていなかった野花はストレス発散のために贅沢に縋っていた時期があって、学園で出来る贅沢は網羅していた。


「あ、これは兎歌ちゃんに上げてください。ここを掃除してくれたお礼です」

「……何本買ったの?」

「これで最後ですよ、倹約前の贅沢ってやつです」


 『上代かみしろ 兎歌とか』。高等部の現状を知る唯一の中等部の『ペガサス』。今後に必要な口裏合わせを念入りに行なうために『硯開発室』へと来たことがある。


 そして、今まで見たことのないゴミが散乱しきっている汚部屋に兎歌は切れた。


 ──お掃除しますっ!


 兎歌はどこからともなく掃除道具を持ってきて、鬼気迫る勢いで掃除をしはじめた。そのためあれだけ飲料容器だらけだった『硯開発室』は綺麗になっており、隠れていた床や畳が見えるようになっていた。ついでに夜稀の白衣も強引に脱がされて真っ白になるまで染み抜きされた。


「というか、せっかく後輩が用意してくれたゴミ箱をちゃんと活用してください、技術者」

「ゴミを一個ずつ捨てるのは非効率的な行動で技術者としてナンセンス。だからある程度溜まってから纏めて捨てる。それこそ技術者として正しいあり方」

「素敵な考えですね。是非ともその主張を兎歌ちゃんにしてあげてください」

「……あとでやる」


 まだ半週も経っていないのに、空の容器が目立ち始めた室内。一番下の後輩の気迫を思い出した夜稀は、後できちんとゴミ箱に捨てようと改める。これ絶対に忘れますねと野花は中等部の頃の夜稀の部屋を思い出した。


 ──それから野花は中等部の頃を連想する。


「……二人して炬燵に入り込んでゆっくりするのも中等部の時以来ですね」

「うん、……あの頃とは違うけど、またこうやって話せて良かった」

「──そうですね、ボクもそう思います」


 ──中等部時代の野花は生徒会長の業務で辛さに耐えきれなくなった時、夜稀の寮部屋に逃げ込んでいた。二人は決して仲のいい間柄では無く、むしろ生徒会長に成った事で孤立した野花と、とある派閥グループに属していた夜稀は、同じ空間にいるのを誰かに見られただけでも、トラブルが生じる間柄だった。


 しかしながら夜稀は偶然、中等部寮で出会った事を切っ掛けに部屋へと招待した。話したことはあまり無かったが知らない仲でもない。そんな中途半端な関係性だったからこそ生徒会長になったことで中等部に居場所が無くなった野花に同情したからだ。


 ──今となっては傷を舐め合う同士が欲しかったんだろうと夜稀は自己分析する。


 それ以降、二人の関係性は時々部屋の中に一緒に居て、各々好きな事をして、なんとなく会話をして、それでいて踏み込みすぎない。そんな半端な関係を中等部三年の冬終わりまで続けていた。


 夜稀は、その頃と今の状況を重ねて懐かしさに口を滑らせる。


「……あの頃、もう少しだけでもお互いを知ろうとすれば変わったかもね」

「──仕方ないですよ、あの頃は本当に色々とありました──あったんです」

「野花? ……っ!」


 野花は持っていた缶を握り潰す。零れた蜜柑ジュースが手に掛かるがお構いなしといった様子だ。夜稀は自分の失態に気付き後悔する。


 ──夜稀もそうだが、野花にとって中等部時代は黒歴史でしかない。思い出すだけで全身が震えて拒絶反応を起こして衝動的な発作をも引き起こしてしまうものだ。


「たくさん、たくさんあったんだ、辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、どうしようもないこと、だから、だから、だからどうにかしようって──すいません、見苦しいところを見せてしまいました!」


 野花は不安定になった己に気づき、いつものように強引に心を切り替えて、わざとらしくニコニコ笑顔を浮かべ、ハキハキとした声を出す。元気で明るい“生徒会長としての顔だった己”を出す、これが彼女の精神バランスの取り方だった。


「いけませんね。気を緩め過ぎてしまったようです」


 そう言いながら野花は手に付いた蜜柑ジュースを嘗めだした。


 ──既に壊れた少女の心は、ツギハギに縫い上げられた二面性によって無理矢理にバランスを取っている状態だ。それは奇跡が起きたとしても元に戻るものではなく、生涯抱えなければいけない縫い目に塞がれた傷である。


「……ゴホ……ごめん。野花のことも……茉日瑠まひるのことも、正しい対処が分からない……」


 油断していた。あの野花が自分から中等部の話題を出した時点で様子がおかしい事に気付くべきだった。あの時点で野花は過去のフラッシュバックにでも襲われていたに違いないと、夜稀は気付けなかった事を悔やむ。


「それこそ仕方ないですよ。精神病の本に書かれていましたが、他人の心境を把握するのは結構な高等技術らしいですし──夜稀だって似たようなものでしょ?」


 夜稀は『飲料中毒ドリンカー』と名付けられた精神病を患っている。ストレスを感じるとその度合いに応じて喉の渇きが発生するそれは、何かしらの飲み物で喉を潤さなければ、最悪呼吸困難に陥ってまともに動けなくなる。


 逆に言えば飲み物さえ摂取していれば症状は抑えられるが野花の言うとおり、夜稀だって決して軽症というわけでは無い。言外に自分たちに差は無く、だからこそ遠慮をするなと野花は告げていた。


「こう言ってはなんですが気を使えるだけの余裕がボクたちにはありません。夜稀、もしもボクたちを本当に思っているなら、自分の言いたい事を言ってください」

「…………」

「貴女が口を閉ざせばその分状況に遅延が発生します──ボクたちの関係は“こう”なんです、こうであるべきなんです、だから、お願いです夜稀──怖がらないでください」


 これから友達となっても、親友となっても、きっと自分たち高等部一年が傷を舐め合う者同士なのは変わる事は無いのだろう。それなら抉りあってでも一緒に進んで欲しいと野花は夜稀にお願いする。


「──ゴホ」


 咳に反応した野花が炬燵から出て、ジュースまみれの手を夜稀に差し出す。


 ──夜稀は差し出された手を嘗める。とても甘い蜜柑の味がした。


「……なんてことさせる」

「いやぁ、なんででしょうね──ほんとまじで──」


 正気を取り戻した二人は、己の奇行に頭を抱える。情緒不安定にもほどがあると夜稀は妙に乾きが癒えた喉に残りの蜜柑ジュースを一気飲みした。


「こほん。ではそろそろ業務の話をしましょうか」


 野花は変な空気を払拭したいこともあって、本題へと入る。


「ボクたちが最初にやるべき事は“自立”するために必要な基盤作りです。現状では、まだ目標すら決まっていませんが、将来を見据えて出来る限りの不備や障害の対策を行なえるように下準備を行ないます」


 いまの段階では“自立”をすると言えど、明確にゴール地点を決めていない。ルートも定まっていなく、道の舗装もままなっていない、スタート地点もまともに出来ていない状態だ。


 そんな中でマラソンをはじめたとしてもスタートのタイミングを見誤り、ゴールも分からず荒れた場所を迷走して力尽きて倒れてしまうだけだ。そのため野花はちゃんとした“自立”を行なうため計画を立てた。


 ──その計画とは高等部区画の“私物化”である。大人たちの監視から逃れて自由に動ける場所に、また区画内で自給自足による十分な生活ができるようにする。まだ定まっていないが“自立”の方法によっては自分たちの要塞になるようにと、野花は無理じゃなければ武装化したいなとも思っている。


「進捗はどうですか?」

「さっきも言ったけど高等部区画の監視関連機器の細工が終わっただけ」


 夜稀はこの三日間、ふたつの業務を並行して行なっていた。その片方が監視カメラを始めとする高等部区画の監視関連機器の細工である。元から数が少ないのと、本体から直接弄れる安物を使って居たため、失敗したらどうしようと強い緊張感に苛まれたが作業自体は簡単で、夜稀がいま持っている工具だけでも無事細工を施すことができた。


 最終的に数も少なかったため作業を始めてしまえば直ぐに終わったのだが、自分たちの知らない所にまだあるかもしれないと、全体図から監視機器が置かれている場所を予測して確認を行なう必要性が出てきて、調べるだけの作業がやたらと時間がかかってしまい、またもう片方、というか本命である人型プレデターの生態調査が捗らなかったことも含めて、夜稀は作業量に比べて何十倍も疲れを感じた。


「だから彼に関することはまったくもって進展していない。幾つかの質問で日本語をきちんと理解しているということ、何かしらの理由で簡単な返事しかできないこと、あとは固有名を持っていないことは分かった」

「進展してないという割には、けっこう調べてるじゃないですか」

「肝心の〈固有性質スペシャル〉についてはなにも進んでない……まあ、これに関しては今の道具だと、どちらにしても進展は何もなかったと思うし、うん」


 彼の本格的な調査は、全ての準備が終わってからのほうが良いと夜稀は独りでに納得する。そんな夜稀に野花は監視機器の細工を後回しにして忘れかけてた人の台詞ではないですねと内心で零す。


「それにしても簡単な返事しかできないとは?」

「物事の判断がどういう基準によって行なわれているかはまだ分からないけど、あたしが説明した『ペガサス』やアルテミス女学園について、きちんと理解していた。それに日本語も読めている」


 まずは彼に自分たちのことを知ってもらうことが先決として、現在の人間事情や『ペガサス』に関係することを夜稀がかみ砕いて説明したさいに違和感を覚えた。


「でも、それにしては彼は言葉を打ち込まない、文字も書かない、ジャスチャーを行なわない。意志疎通の方法は全て首を上下に動かすか、手指を立てるという行為で済ませる。明らかに不自然だと感じたから、幾つかの質問を重ねると、何かしらの理由によって意志疎通に関する行いに制限が掛けられているのが分かったの」

「──すごく重要な発見じゃないですか」


 なにも進展しないと本人は言ったが、夜稀が発見した意志疎通の制限に関しては、これから彼との交流を深めていくのに最重要となってくるものだ。


 ──もしも自分だったら、夜稀が感じた違和感を全て『プレデター』だからと片付けていたかもしれないと野花は思い、だからこそ短期間で“はい”か“いいえ”での素振りでしか返事をしない理由に気付いた夜稀を純粋に凄いと思った。


「でも、できない理由が分からない。もどかしい」

「〈固有体質〉も含めて、彼のことは他の業務と並行して少しずつ調べていきましょう」

「分かってる……それで、『街林』のほうはどうなってるの?」

「現在、愛奈先輩、月世先輩、真嘉先輩の三名が夜稀の提示した工業地帯への調査に向かっています」

「……三人だけ? 欲しい物があるかどうかの確認だけとはいえ少なくない?」

「愛奈先輩が望んだというのはありますが、戦力として見ても申し分ない人選ですよ。なにせ活性化率を気にせず全力で戦えるようになった先輩たちですよ。むしろ『プレデター』に同情すら覚えますね!」


 ──経験値を積み上げて強くなった『ペガサス』は、比例して活性化率の上昇を気にして段々と本気を出して戦いづらくなる。そんな中、高等部三年まで生き残った愛奈と月世は、アルテミス女学園に在籍する『ペガサス』の中でも別格、なんならツートップの実力を誇ると言っても過言ではなかった。


 二年生のリーダー的存在である真嘉も、経験こそ一年分浅いものの才能面で言えば二人に並び、また『ペガサス』の中でも秀でたパワーは戦闘以外にも役に立つ場面は必ず出てくると予想しており、サポート役としても輝く。


 そんな上級生たちが、人型プレデターの〈固有性質〉によって活性化率という鎖を気にせず全力で戦えるようになったのだ。よほどの相手でもない限り負けはしないだろうし、もし危なくなったとしても経験豊富な彼女たちが判断を間違うことはないと野花は評価する。


 ──後に帰ってきた先輩たちに戦利品と渡されたリュックの中の『遺骸』を見た野花は、だからといって目に見えた『プレデター』全部倒してくるとは思わないじゃんとドン引きした。


「欲しいものがあるといいですね」

「あるとは思うけど、無かったらかなり困る」


 高等部区画の私物化するにあたり、自給自足を行なうために必要な機械や機器を夜稀に作ってもらう事となったのだがシンプル且つ大きな問題があった。


 趣味程度のものならともかく施設規模の機械製作となると、現時点ではそれらを作るための道具が揃っておらず、求めているものをそもそも作れない状況である。


 そのため、夜稀には必ず欲しいものがあった。それさえあれば製作環境は大体解決できると言っても過言では無く、逆に無ければ最初の時点で大いに躓いてしまう。


「現代技術はAIにデータを打ち込んで設計させることから始まるし、部品製造とかもAI機器が行なっている。不足している人手も技術も高度なAIとそのAIを搭載された機械で全て賄えるから、本当に必須」

「なので、学園内で使われている管理タイプではなく、製造を目的とした工業用、それも大手が使うような高性能のAIが必要なんですよね!」


 現代において人工知能AIは、生活の一部として当たり前に存在している。それこそアルテミス女学園の生活区画などにある店や施設はAI機器が完全管理している。とはいえ標準以下の知識しか持たない野花は、夜稀に必要な理由を聞くまでAIは機械を自動で動かす機能ぐらいの認識だった。


 ──そう夜稀に言ったら全然違うと早口で説明された野花は二度目は勘弁して欲しいと、先んじて続きを口にする。


「うん。きちんと手に入れられたら明日にでも何でも作れるようになると思う」

「『ALIS』もですか?」

「それは無理」

「なんでもとは?」

「あれは『プレデター』が現われたから開発された超々高性能AI搭載の機械によって作られるものだから、どうしたって『街林』で手に入れられるものじゃ“いち”からは作れないし、あたし自身、技術も知識もない」


 『ペガサス』のみが使える専用装備である『ALIS』は、その国の大企業が数千億円の予算を投入して建設した専用の工場でしか作ることが出来ない。また一介の『ペガサス』でしかない夜稀が得られる『ALIS』に関係する知識や技術は全自動で行なってくれるメンテナンス施設の使い方ぐらいであり、『ペガサス』に成れば『ALIS』や『プレデター』の事が沢山分かると信じていた夜稀が受けた最初の絶望である。


「──“いち”からじゃなかったら出来ることがあるんですか?」


 夜稀ができないと言うなら、仕方ないかと話を変えようとした時、ふと、気になるところがあった部分を指摘する。


「あるよ。ソフト面はロックが掛かってて無理だと思うけど、ハードはある程度なら弄れると思う。実際、中等部時代こっそり何個か分解して組み立てたことある」

「なにしてるんですか」


 間違いなく凄いことなのに、突然の夜稀の暴露に野花は思わず呆れが勝ってしまう。


「でも本当に出来るんですか? 『ALIS』の製作は専門の免許を取得しなければ作れないと聞きましたが?」

「免許がないと作っちゃだめであって、作れる作れないは別だよ。何か手頃なのがあれば実践してみせるけど?」

「手頃かは分かりませんが、ボクの専用機ならありますよ。よろしければ好きに使ってください!」


 アルテミス女学園では高等部に進学した際、中等部時代の戦闘データを元に一人ひとりに専用の『ALIS』が与えられる。そのため高等部一年の野花は今年、自身の専用ALISを貰っていた。


 ──野花は“本気であった”がダメ元で自分の専用ALISを煮るなり焼くなり好きにしてと提案したのだが、それが夜稀の大事な部分に触れた。


「……それは止めておくよ」


 明らかに雰囲気を変えた夜稀は真剣な声色で断わった後、我慢ができなかったと言った風に言葉を続ける。


「専用ALISは大事にしなよ。アレは本気であたしたちの事を思って作られたものだから自分のことの様に大切にしないと」

「──これからそんな彼らを幾らでも蹴るというのに?」

「…………ごめん」

「──あ、いや、そうじゃ、ごめ、じゃなくて、いやあってて! ごめっ! ──ボクのほうこそすいません! ──ほんとごめん」


 知識を持っているからこそ、夜稀は与えられた専用ALISたちに掛かっている予算、技術、そして想いを感じとっている。だから野花が露わにした己の専用ALISへの嫌悪感に、夜稀は敏感に反応してしまった。


「……あたしたち多分、会話していると超高確率で地雷を踏む」

「──というか、お互いそれなりに事情を知っているので踏まれると簡単に起動しちゃうんですよね!」

「「……はぁ」」


 遠慮しないと誓い合った手前、これからも確実に地雷を踏んで行くんだろうなと二つの溜息が重なる。


「……野花」

「なんですか?」


 夜稀は少し悩んだあと、地雷を踏まれたついでに気になった事を問うことにした。


「……自分のしたいことをできる。出来なかったことを沢山できる。世界中の誰もが知らない未知を間近で調べられる。だから多少辛いことがあっても……やっていけると思う」


 ──これから自分たち高等部ペガサスが進む“自立”への道は決して楽な道ではない。茨では生温い進めば進むほど傷が増えていく道なのかもしれない。それでも夜稀は長年思い続けたやりたいことが沢山できるとあって、自分は止まらずに進めると思った。


 ──だけど、目の前の同級生はどうなのか?


「野花は──」

「──それは言わないでください」


 夜稀の言葉を区切った野花、その表情はいつもの作られたニコニコ笑顔ではなく、今にも消えてしまいそうな微笑みを浮かべていた。


「……生徒会長の仕事はこれからも真面目にするつもり?」

「しないといけないでしょう。夏の大規模侵攻まで二ヶ月ほどしかありません。ボクが怠けてしまって先輩や夜稀に被害が出てしまえば、それこそ本末転倒です。──というわけで! 七月に入ったらボクは生徒会長の職務に集中しないと行けません! それまでにできる事は全部やってしまいましょう!」


 野花は話を強引に終わらせる。これ以上は早計かと夜稀も引き下がったことで、奇妙な間が生まれてしまい、野花は終わり時ですねと判断する。


「さて、まだまだ話したいことは沢山ありますが、これ以上は空気が耐えられそうにありません。今日はこの辺で終わりましょうか」

「わかった……あ、野花。茉日瑠の事だけど、早めに彼に会わせたほうがいいと思う。反応を見る限り、すでにあたしたちの様子に勘付いている。彼のことを指すような言葉も見られた」

「──さすがと言うべきなんですかね。分かりました。今週中に会うように予定を組んでおきましょう」


 ──高等部一年組にして、唯一彼が顔を合わせたことのない最後の『ペガサス』。彼女と彼が顔を合わせた時の反応がまったく分からないため後回しにしていたのだが、彼女──『縷々川るるかわ 茉日瑠まひる』が彼の存在に気付き始めてるならと予定を変更する。


「では、今度こそ……」

「ちょっとまって、もう一個あった」

「やっぱりもう少しだけ炬燵に入りましょうか?」

「報告だけだからいい。彼の呼び名について決まったから、今日みんなの前で発表する」


 『ペガサス』は女性しかいないため、男性的特徴を持つ人型プレデターの事を“彼”と他称で呼んでも問題なかったのだが、それだと不便なこともあり、野花や愛奈から頼まれて名前を考えていた。


「分かりました。では今日はみんなでディナーにしましょうか……よければ、どんな名前にしたのか先に教えてもらってもいいですか?」

「──あたしたちの名前となった翼の生えた馬『ペガサス』。それと同じ神話に、蛇の杖を象徴とする医療の神と九つの頭を持つ蛇の化け物がいる」


 何かのスイッチが入ったっぽい夜稀。急に語り出しましたねと思いながら野花は黙って話を聞く。


「『ペガサス』の活性化率を下げられる〈固有性質〉を神の薬と見立て、西洋甲冑姿である彼の兜、つまり人間の頭と、先端が蛇のような形状を持つ八つの触手があること、そしてあたしたちに味方をする人外であることを交えて、神と化け物の名前を足して割ることにした」


 『ペガサス』の活性化率を下げられる〈固有性質〉を持ち、人間の味方をする男性人型プレデター。そんな世界初だらけの存在の正式名称を付けるとだけあって、ものすごく考えた夜稀は勿体ぶって溜めだして、野花がまだかなと呆れかけたタイミングで、自慢するかのようにその名を口にした。


「──『アスクヒドラ』。これがあたしたち『ペガサス』に味方する人型プレデターの名前だよ」

「そうですか! では、ボクは略してアスクと呼んでいきましょう!」

「…………もうちょっと何かあってもいいと思うけど?」


 ──どうでもよさそうにする野花の反応に、夜稀はちょっとだけ拗ねて、夕食までの間、もしかして微妙だったかなと悩むはめになった。


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