倫理はとうに死んでいる
刻露清秀
第1話 ハッピーバースデートゥーミー
夢。
一年前と少し前に死んだ男。彼が未だ存在している。夢の中特有の言葉にならない言葉で、俺と彼は親密な時を過ごしていた。音も匂いも霧の中にいるように淡い。
夢というのは単に脳の記憶の整理らしいが、それならなぜもっと鮮明でないのだろう。非合理的。不可解。俺は彼のことをよく知っている。声も体温も鮮明に覚えている。夢ならばもっと俺に都合の良いものを見せてくれてもいい。なぜこんな半端なものを見せるのか。不可解。
憤りさえ覚えながらも、夢の中の俺は思考する。覚醒を拒否する。夢から醒めるならせめて、さよならを。
「ご覧」
不意に彼が空を指さした。部屋の中にいたはずなのに、いつの間にか外にいる。夢の中ならなんでもありだ。
「彼らだ」
と彼は言った。
人型高所作業用ロボット――通称『巨人兵士』。体長は5メートルほど。首のない胴体に巨大な二本の腕、足はなくキャタピラで動く。俊敏ではないが器用。建設現場で働くことが多いとデータにはある。また土木建築現場での作業の他に、災害時には救助活動や消火活動にも使用されるのだとか。
その巨人の一体がこちらに向かってくる。彼も俺も突っ立っている。彼はあっという間に捕まって、背骨を握り潰されて墜落する。あれほど淡かった夢が不意に色彩を帯びる。
ガラスの破片を靴で踏んだような音とともに、彼の手足がピンと張ったあとダラリと垂れた。
グシャグシャになって地面に投げ捨てられた彼を見ながら、俺は、こんな場面ばかり鮮明でなくとも良いのに、と妙に冷静に見ていた。巨人兵士が去っていく。そして彼の死だけが残された。
✳︎✳︎✳︎
今日も彼にさよならを言えないまま目が覚めた。朝だった。
着ていたものを丸ごと籠に入れ、殺傷事件の夢ごと流すべくシャワーを浴びる。雨水を浄化し温めた水が降ってくる。俺の身体を伝った水は排水溝を通り再び浄化されて生活用水になる。
我々にとって幸いであることは、水に不自由しないこと。最低限生きていける資源のあること。いや幸いかどうかは知らない。不幸なのかもしれない。
鏡の中には、先ほど夢で背骨を潰された男が一年ほど歳をとった姿が写っている。
白髪の長い髪は直毛で、瞳が赤い。俺と彼は全く同じ遺伝子を持つクローンなのだから、顔だちも身長もそう変わらない。この世界の人間は皆そうだ。僅かに残された資料によれば、我々は人間とは思えないほど美しい顔立ちをしているらしい。
つまり生殖によって遺伝子を混ぜ合わせ新たな遺伝子の組み合わせを作る試みは、ここ七十余年は行われていない。我々クローン以外の人間は死に絶えた。
我々は総じて白髪赤眼で、男で、かつて超能力と呼ばれた念動力を保有している。女を見たことはないが、同性であり同じ遺伝子を持つクローンに性的感情を持つ。それが恋愛感情なのかはよくわからない。
我々は思春期まで生存すると、流行病のように、死に絶えた、我々とは違う遺伝子の人間の、恋愛なるものに興味を持つ。だが、詳しく記された本はここにはない。娯楽用と思われる恋愛小説は存在するので、一様に舐めるように読むが、我々が仲間に持つ感情が恋なのかという最大の疑問に答えてはくれない。
人類が滅んでしまった理由、世界が滅ぶ前に何があったのか、我々とて関心は持っている。しかしながら、ロボットどもに殺戮されている現状では、じっくりと研究している暇がない。悩んでいるのは非合理的。非生産的。非常識。
妙な時間に起きてしまった。俺はとりあえず服を着て、ある場所へ向かうことにした。廊下には誰もいなかった。背中を丸めて歩く俺を、足音だけが追いかけてくる。
クローン以外が滅びてから、我々もまた緩やかに滅びの道をゆっくり歩んでいる。この基地から出ればロボットに殺され、しかしながら施設は確実に老朽化していく。老衰と同じだ。俺たちが死んでしまえばここは廃墟として残るだろう。人類の最後の遺産として。
施設の最下層にある水槽の群れの前で立ち止まる。この水槽こそが我々の生まれいづる場所。人工子宮だ。そこは薄暗く湿っぽい空気に満たされていた。水槽、正確には羊水で満たされた円柱状の人工子宮が並んでいる。それらの中に入っているのは全て我々の複製体である。クローンの胎児が培養液に浸かっているのだ。
一零一、一零二、人工子宮には番号がふられている。子どもを出産する日付である。二二二番の前で足を止めた。ガラス越しに中を見る。それはまだ空っぽ、つまり空胎だった。
よくあることだ。老朽化により、それまでは一年に一人、我々を生み出していた人工子宮のなかには、なかなか着床しないものも、できないものも出てきた。その直し方を我々は知らない。
「二五番! 」
名前を呼ばれた。我々は生年月日がそのまま名前になり、だいたい下二桁で呼ばれる。夢に出た彼は二二と呼ばれていた。ちなみに〜番と呼ぶのは軽めの尊称である。
「おはよう三零、零一」
俺を呼んだ方が三零、その後ろで控えめに立っているのが零一である。三零は十二歳、零一は十八歳。我々の寿命は二十五年ほどである。
「出勤要請です! 爆弾鳥が畑荒らしてるそうです! 」
三零は元気よく言って、
「じゃ、北玄関で! 」
と走り去ってしまった。せわしない奴だ。パタパタと軽い足取りだが、あれでも我が班のエースである。
「お邪魔しましたか? 」
零一が尋ねてくる。
「まあ、いい」
俺と零一は戦闘におけるバディである。二二番が死に、バディが空席になったので彼がその役目を任された。
「あの……」
伏し目がちに零一が何か話たそうにしている。その視線にわずかな湿度と熱を感じる。
「なんだ早く言え」
別に彼のことは嫌いではない。
「二二二二-二二五番」
名前かつ個体識別番号をフルで呼ばれることはあまりない。
「な、なんだ改まって」
「お誕生日おめでとう」
「あ、ありがとう」
そうか。そうだった。今は二千二百四十一年の二月二十五日。二千二百二十二年の二月二十五日に、二二五番の人工子宮から生まれた俺は、十九歳になった。
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