第5話 サキュバス

「――ダンジョン……? これが……?」


 僕は改めて、目の前にそびえるピンク色の建造物を見上げる。やはり、どう見ても連れ込み宿にしか見えない。

 いや、正直にいえば、童貞の僕は本物の連れ込み宿をまじまじと見たことはないのだが、物の本を読んで知識としては知っている。特に『ご休憩・ご宿泊』なんてパワーワード、健全な若者のエロセンサーに引っ掛からないわけはない。

 横にいるティアナも顔を真っ赤にしているけど、恋人とこういうところを利用したことあるのかな……なんて考えがチラリと頭をよぎったが、その瞬間すごい顔で睨まれた。……なんで気づかれたんだ?


 戸惑う僕らをよそに、母上は入り口の方へ進む。扉がひとりでに左右に開いた。何かの魔法だろうか。

 そのまま入って行ってしまったので、取り残された僕らは、おっかなびっくり後を追う。

 そこは玄関ロビーのようだった。これまで見たこともない調度品がいくつもある。

 例えば、左の壁にしつらえてある光るパネルだ。よく見ると、おそらくこの建物内にある部屋ごとの光景が、部屋番号とおぼしき数字とともに映し出されている。そのうちいくつかのマスは光が消えている。思うに『使用中』ということなんだろう。

 ……やっぱり、どう考えても連れ込み宿じゃないか。


「すみませーん。オトナ三人で!」


 怖ろしいセリフが聞こえて振り返ると、母上が受付らしき小窓を覗き込みながら、気軽な感じで声をかけていた。


「ちょちょちょ、なに考えてるんですか母上!」

「そうですよ! 初めてが幼なじみの母親含めた3Pだなんて、アブノーマル過ぎます!」


 僕とティアナは慌てて母上を羽交はがめにする。

 ――ん? 気になるセリフが聞こえたような気もするが、今はそれどころじゃない。


「すみません! うちの母、どうも情緒不安定みたいで、さっきのは聞かなかったことに……っ!」


 僕は慌てて受付の中の人に弁解する。小窓から覗いていたのは、白髪しらが頭の不気味な老婆の顔だった。


「ホッホッホ。そのお声は奥方様。お待ちくだされ、今そちらにうかがいますでな……」


 そう言うと、老婆は受付の奥に引っ込んでしまった。次いで、受付部屋の横のドアが開く。しかし、そこから出てきたのは、先ほどの老婆ではなかった。

 

 現れたのは、胸元の大きく開いた黒いドレスに身を包んだ、長い黒髪の大人の女性。頭の左右に生えた羊のような角もさることながら、圧倒的な存在感を放つその胸のふくらみに、自然と視線が引き付けられてしまう。凄まじい引力だ。

 初対面の女性に失礼だと思って、無理やり視線を彼女の顔に逃がす。

 若干たれ目がちな、優しげな目元。満月のような黄金色の瞳。すっきり通った鼻筋。果実のようにみずみずしい、厚い唇。左の口元に、小さなほくろ。

 妖艶ようえんな、という言葉がここまでぴったりくる女性に、僕はこれまで出逢ったことがなかった。

 

 その美女は優雅な足取りで僕らの方に歩み寄ってくると、突如、無邪気な表情になって母上に抱きついた。


 「キャー! ドナティちゃん、久しぶりじゃな~い♪」

 「アンナちゃーん。お久しぶり~♪ 十年ぶりくらいかしら~」


 ――あ、あれ? さっきのお婆さんは???

 僕が混乱してると、ふたりの大人の女性はクスクスといたずらっぽく笑いあった。

 

「ルクス、こちらさっきの受付のお婆さん。――というのは幻術で見せてた世を忍ぶ仮の姿で、本当はこのダンジョンの管理者・サキュバスのアンナちゃんでーす」


 アンナと呼ばれた女性は、静かに頭を下げる。それに伴い、角度を変える魅惑の谷間が強力な引力を発生させる。


「アンナと申します、『色欲』のルクス様。今後は御身おんみのために、この身体とこの命、ご自由にお役立てくださいませ――」


 えー、この身体も? 自由に? ホントに? イインデスカネー?

 僕の中で紳士面しんしづらした魔獣が暴れまわっている。ドウドウドウ、しずまりたまえ……。


「あの、ええと、さっき言ってた『ダンジョンの管理者』って……?」

 

 僕は邪念を祓うために、適当に話題を切り替える。


「ええ。ご存じのとおり、マスターなきダンジョンは稼働しません。この『色欲』のダンジョンも、ルクス様がいらっしゃるまで『休眠』状態にありました。その間、人間たちの目からダンジョンの存在を隠すため、私が連れ込み宿に偽装カモフラージュしていたのです」

「なるほど……。じゃあ、連れ込み宿に見えるだけで、中身は本物のダンジョンなんですね?」

「いえ、本物の連れ込み宿として経営していましたよ? 旅の途中で立ち寄る冒険者カップルもいますが、近隣のウイーノの街の方々が主なお得意様です」


 ――んんん? 魔族のダンジョンなのに、人間相手に連れ込み宿を経営……? それって倫理的にいいのかしらん……?


「あれ、もしかして、母上がここに来る前に言っていたのって……?」


 ――うちにとっての『お客さん』が多い街ね~


「そのまんまの意味ね~」


 オイオイ……。



★★★ 次回 ★★★

『第6話 ダンジョンランキングは666位だそうです。』、お楽しみに!


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