焼くだけの日
しらは。
第1話
そうだ、今日は焼くだけの日にしよう。
そう思いついたのは、目が覚めたときにはもう陽が高く、朝どころかお昼ご飯の時間まで軽くぶっちぎって過ぎ去っていたからだった。
今さら外に行く気はない。
買い物もしたくない。
なんなら洗濯も掃除もお休みで、今日は焼くだけにしたい。
一度そう決めてさえしまえば、不思議とどんどん気力が湧いてくる。
―――そう、私は今日という日をズボラに過ごすためならどんな障害だって乗り越えてみせる!
自分でもわけの分からないテンションになり、でもなんだかそれも心地よくて、そのままの勢いで友人にメッセージを送る。
『今日は炊事、洗濯、掃除なんもしない! 焼くだけ! 焼いて食うだけの日や、まいったか!!』
あいつなら今頃、夕飯の買い出しでもしてるか、洗濯物を取り込んでいるかぐらいの時間だろうし、このメッセージはかなり頭にくることだろう。私は満足してキッチンへ向かう。
お気に入りのフライパンをコンロにセッティングすると、さっそく冷蔵庫を開け、焼くだけで食べられそうな食材を物色する。
まず、ソーセージは鉄板だろう。これは縦に割ってフライパンへぽい。
スライスチーズも焼くと美味しいって知らない世界でマツ●が言っていた気がする。ぽい。
ゆで卵は……どうなんだろうか。すでに火が通っているけど。まあいいか、輪切りでぽい。
焼き芋は流石にいいかな、もう焼いてあるわけだし、そのまま食べよう。一瞬そんな考えが頭をよぎったが、しかし私は決めたのだ、今日は焼くだけだと。得意のレンチンさえ今日はしたくない。
私はズボラだが、ズボラにだって意地がある。そう思いなおしフライパンへぽい。
炊き置きしてあった冷やご飯もやはりレンチンはしたくないので、おにぎりにした上でぽい。
いま気づいたけど野菜が無いな。どうなっているんだ私の冷蔵庫。とりあえず一人暮らしの強い味方である冷凍野菜をテキトーにフライパンへぽいぽいする。
完璧だ。
私はすっかり空っぽになった冷蔵庫を見て満足した。
あとはフライパンを火にかける―――つまり焼くだけ。
その前に携帯をチェックすると、予想通り先ほどのメッセージに対する返信が来ていた。
『いや、炊事って料理のことだし』
なんてこった、炊事=料理のことだったのか。全然知らなかった。
これってけっこう恥ずかしいことなんだろうか。そんなことないよね。だって学校でも習わないし。
『情報には感謝する。しかし、もう遅い! もう誰にも私を止めることはできないのだ!!』
私はそうメッセージを送り返すと、満を持してコンロの火をつける。
じゅうぅ~っと、小気味の良い音が聞こえ始める。
現金なもので、ソーセージやチーズの焼ける匂いがしてくると、とたんに私のお腹が空腹を主張してくる。
まだ早いと必死に自分を抑えつけ、ソーセージと野菜に塩コショウ、おにぎりには当然醬油を垂らす。
醤油の焦げる匂いが、たまらなく食欲をそそる。
まだ早いんだって! 私はこのままだと耐えられそうにないので、手が勝手に動くのを止めようと携帯を開く。
『いや、最初から止める気はないけど』
そんな簡単に諦めないで!?
私は心の叫びのままメッセージを打つ。
『やばいよやばいやばいホントにやばい、このままだと負ける! チーズと醤油の匂いしか勝たん!』
送って数秒、今回はすぐに返信が届く。
『出川かよ』
別にボケてるわけじゃないんだよ、素直な気持ちなんだよ!
さっきのメッセージが途端に恥ずかしくなってしまったが、しかしよく考えたら何も知らない友人にこの気持ちが分からないのも無理のない話。
私はあと少しで完全体になるフライパンを写真に撮り、メッセージとともに送りつける。
『ほほう、これを見ても同じことが言えるのかね?』
ちょうどお腹の空く時間帯だし、この写真を見ればアイツも羨ましがるに違いない。
私はこっそり優越感にひたると、すっかり焼きあがった具材たちを確認し、食前の準備を始める。
まずは食器。いまいち使い勝手の悪い丼はこんなときにこそ使うべきだろう。
そして飲み物。常備しているウーロン茶を引っ張り出し、コップに注ぐ。
最後にデザート……が欲しかったけれど、残念ながら何も無かったので諦める。
全ての準備を済ませた上で、ようやく火を止め、まず焼きおにぎりを、そして他の具材たちを乗っける。
完璧だ。完璧すぎる布陣に私は涙した。
いや、実際に泣いたわけじゃないけれど、そのくらい感動した。
いただきます、と箸をとろうとしたとき、新着メッセージが届いていることに気付く。
ふふふ、あの写真を見て悔しがらない人間がいるだろうか? いや、いない!
私はある種の期待を込めて早速メッセージを開く。
『マヨネーズとか合いそうだね』
マヨネーズぅぅ!!
私は慌てて冷蔵庫に走った。
*******
危ないところだった。今回は素直に感謝しよう。
あいつにはあとで感謝メッセージを送らなくては。
しかし今は何を置いても、この丼を食べる!
私は自分自身に気合いを入れて、勢いよく箸を伸ばす。
「はふぅ」
思わず変な声が出てしまう。ここにいるのが自分ひとりでよかった。
この美味しさは……罪だ。
私はどんどん箸を進めていく。
心配だった焼き芋だが、焼くことでそのまま食べるよりずっと甘くなっており、かつチーズの塩味との相性が抜群だった。
ゆで卵も、普段は作り置きの冷えたまま食べることが多いが、焼くことでほくほくとした食感も戻り、マヨネーズを掛けた状態で焼きおにぎりと一緒に口に入れると、たまらなく美味しい。
反り返るほどカリカリに焼いたソーセージは唯一の肉として存分に存在感を示しているし、冷凍野菜たちも様々な彩りを加えていて、見た目にも美味しい一品に仕上がっている。
ああ……これが幸せということか。
私はあっという間に空になってしまった丼を眺めながら、その余韻にひたる。
もう二度と作れない奇跡の料理だった。
名づけるならそう、ずばり「奇跡の焼くだけ丼」といったところだろうか。
昼過ぎに目が覚めたときには落胆したものだが、こうしてみると実に有意義な一日だった気がする。
今はもう、世界中の全てのものに感謝したい気持ちでいっぱいになり、忘れないうちに友人へメッセージを送る。
『さっきはありがとう。「奇跡の焼くだけ丼」はあなたの協力なしでは生まれなかったよ』
私はごろんと横になる。
もう洗い物も明日にしてしまおう。外出してないからお風呂だって入らなくても大丈夫。
そんな満たされた気持ちで眠りにつこうとしたとき、またもメッセージが届く。
『サツマイモ余ってたらバター焼きも美味しいよ。アイスのっけたりとか』
私はゆっくりと立ち上がると、上着に手を伸ばす。
やれやれ、長い一日になりそうだ。
焼くだけの日 しらは。 @badehori
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