第416話 究極のステーキ

 本日のメインディッシュ、肉料理と赤ワインが運ばれて、全員の前に出される。

 料理はフードカバードームで隠されて、中身が見えなかった。


「本日のヴィアンドは、鹿のリブロースステーキでございます。隣のソースはフォアグラソースです。こちらもお好みでお召し上がりください」


 ソラリスが料理名を告げると同時に、給仕係が一斉にフードカバードームを外した。

 皿の上には縦5cm×横4cm×厚さ2cm程の肉料理がまだ熱々の状態で置いてあった。肉料理の横には、茶色いソースを皿に塗ってある。


 ナオミ以外の全員が、皿の上の料理を見て首を傾げた。

 今までの料理は見た目から驚かせていたのに、この料理はただ肉を焼いただけ。全員がメインディッシュとしては、物足りないと思った。


 だが、彼らはこの料理を見くびっていた。

 一見ただのステーキに見える。だが、このステーキはルディの科学、魔法、技術が詰まった、究極の料理だった。




 ルディが用意した肉料理は、去年の秋に仕留めた鹿の肉。

 秋に捕れた鹿は冬に備えて、草や葉、木の実を沢山食べており、丸々と太った鹿の肉は、多くの脂肪分が含まれていた。

 リブロースを選んだ理由は、赤身と脂質が半々で、肉の本当の味が味わえるから。


 まずルディは、いつも通りに仕留めた鹿の血抜きをしてから、二週間ほど肉を熟成させた。

 次に、その熟成肉を魔法で瞬間冷凍して、–40℃で保存した。


 こうしたのにも理由がある。

 肉は凍結速度が速いほど保水能力が向上し、肉は保水能力があればあるほど柔らかくなる。

 また、肉の脂肪は–20℃で酸化が始まる。–40℃で凍らせれば、肉は新鮮さを維持しながら、長期の保存が可能だった。

 そして、肉に多く含まれているタンパク質は、冷凍変性によって崩れ、軟化やスポンジ化が起こる。これも肉を柔らかくさせる理由の1つだった。

 だが、それは同時に肉の水分が流出する原因でもあった。


 そこで、ルディは王城に来てから、肉の正しい・・・解凍と調理を行った。

 冷凍した肉を防水の袋で密封して、一日前から氷水に浸し、0℃前後でゆっくりと解凍させる。

 こうする事で、肉から水分が流出するのを防ぎ、旨味と柔らかさが維持できた。


 さらに肉を柔らかくするために、焼く一時間前にヨーグルトに浸して、焼く直前にヨーグルトをふき取った。

 こうした理由は、さらに肉を柔らかくするのが目的だった。

 肉のpHは7前後で中性。だが、ヨーグルトに浸す事でpHが下がって、酸性に変わる。

 すると、筋原線維たんぱく質が分解され、さらに保水性を高める事ができる。


 塩、胡椒も肉の水分が流れて固くなる原因の一つ。焼き始めるのと同時に肉にかけて味を調えた。

 火を通すのも固くなる原因の一つなので、肉は強火で素早く焼くのが秘訣。


 まず、片面を焼いてから、ヘラで肉を回して側面を焼き、肉汁をできるだけ漏れないように焼いた。

 次に、フライパンに溢れた肉汁をヘラで掬って上面にかけ、熱した油だけで上面を焼く。

 上面の肉の色が変わったらひっくり返して、焦げ目が付くギリギリまで焼いた。

 最後は香り付けにラム酒でフランぺ。


 まだレアな状態だがフライパンから取り出して、既にソースを塗った皿に載せ、直ぐにフードカバードームで蓋をする。

 そうする事で、肉は予熱で内側がじっくりと焼かれて、食べる頃にはミディアムになった。




「熱いうちに食べるとしよう」


 クリス国王がステーキにナイフを入れる。すると、たった一回で肉が切れた。


「……⁉」


 肉の柔らかさに驚いて、クリス国王の目が見開いた。

 それは彼だけでなく、肉にナイフを入れた全員が同じように驚いていた。

 肉にフォークを刺して断面を見れば、中はうすい桃色に焼かれて、じゅわっと肉汁があふれ出る。それを見ただけで口の中に唾液が溢れた。


「……‼」


 食べた途端、クリス国王の目が驚愕で瞳孔が開きっぱなしになった。

 鹿肉の赤身は野性味溢れ、溶けた脂肪が口の中で溢れる。

 そして、たった二、三回噛んだだけで、肉が溶けて消えた。


「…………」


 本当に美味しい物を食べた時、人間は何も言えなくなる。

 普段からルディの料理を食べ慣れているナオミ以外、あのクレメンテ子爵ですら、無言で皿の上のステーキを見下ろしていた。


「ソラリス、このソースはすっごい濃厚で美味いな。材料は何だ?」


 場の空気を読まずナオミがソラリスに質問する。


「練ったフォアグラを鹿の油で焼き、生クリームを入れた物でございます」

「なるほどね、生クリームか。ハルビニアでは手に入らない品だな」

「ルディもなんとか手に入れられないかと悩んでいました」


 ハルビニア国では酪農が盛んではなく、牛乳は直ぐに腐る。

 気温が温暖な地域では、生クリーム以前に牛乳が手に入り辛かった。


 二人の話を聞きながら、クリス国王も肉にフォアグラソースをつけて食べる。

 まず濃厚なフォアグラの香りが立ち上り、そのあとから噛むほどに肉の旨味が滲み出た。

 ソースが濃厚なので、普段食べている肉ではソースに負けるだろう。だが、鹿肉の野性味が感じられる味わいに、このソースは高相性だった。




「……ふう」


 ステーキを平らげたクリス国王は、満足げな表情を浮かべた。

 料理がこれほど美味しいと思ったのは、何年ぶりだろう。

 確かに今までの料理も美味しい。だが、ルディの作った料理は……別の世界の料理。

 今までの常識を全てぶち壊して、新しい世界が広がった。


 ルディが欲しい。


 料理だけじゃない。政治、軍事、経済、全てに精通して、性格も無欲。

 部下にするにはまさに理想の人材だといえよう。

 だが、ルディは奈落の魔女の弟子。彼女は今回の戦争でも、たった一発の魔法で、一万のローランド兵を戦闘不能にした。

 ルディに手を出すのは、竜の尻尾を踏むのと同じぐらい危険だった。

 クリス国王は悔しいと思いつつ、どうやってルディをこちら側へ引き寄せるか思考に耽った。

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