Fall into a Snare

コルヴス

Fall into a Snare

1

 時は四百年ほど遡り、四代目の王、無権力者の王としてその悪名が知られているアベルの時代。神の一族に産まれたくせに、神に認められず王権を獲得できなかった青年、それがアベルだった。

 先代のアントゥスは数年前に逝去し、その子であるアベルの父親はグティエレスの名を捨てた。アベルに兄弟はいない。従兄弟や叔父は正当な血を持っていないため王にはなれない。王権を持っていようがいまいが、もうアベルに王になって貰う以外選択肢はなかった。

 神を絶対とする教会は、神の力を持たぬ少年に国を統治されることを恐れていた。神のいない時代など想像するだけで地獄だ。しかし、いない物はいないし、王権をもっていないものを無理矢理獲得させることもできない。

 教会は長い話し合いの末に苦渋の決断を下す。

 アベルは王として認められた。しかし、後釜ができるまでの、王権を持つ子が生まれるまでのツナギでしかなかった。


 アベルが王になって数年、成人を迎えて三年後のこと。

 王妃であるシェアトは、城の一階の小さな物置として使われていた角部屋にいた。そこは正門の逆側、月も太陽も見にくい北側にある。窓が一つついているが、景色はちょっとした芝生と城壁だけ。空など望むべくもない。

 この小さなみすぼらしい部屋こそが王妃の部屋だ。

 シェアトはポットの紅茶をふたつの欠けたティーカップに注いだ。婚約祝いにどこかの貴族から貰った逸品だが、貰ったときのことに思い入れはなかった。無理矢理結ばれたことを祝福されても嬉しくないし、シェアトはあの日アベルに心ない言葉を吐かれていた。


――そなたを愛することはないと神に誓おう


 人生のうちで一度でも良いから燃えるような恋がしたいなんて夢は早々に砕かれた。三年経った今でもアベルはシェアトを嫌っているような態度をとり続けている。最近は目に余るほどの暴力を受け、シェアトの身体には痛々しい傷がいくつもあった。

 アベルは神様と同じ白い髪と金色の瞳を持っていながら、神々しさという物が感じられない。会う度に他人の事など全く眼中にない、自分の人生も諦めたさびた金属のような瞳が向けられる。髪はどこにいても死んだ珊瑚のような冷たい色をしていた。

 淹れたばかりの紅茶には手をつけず窓際の椅子に腰かけた。日はとうに沈み、登り切った満月が芝生を青白く照らしていた。外を見ても何もありはしないが、シェアトはぼうっと外を眺めていた。目を瞑って長く息を吐く。何もすることがない時間は退屈で、昔のことばかり思い浮かぶ。

 うたた寝の間に紅茶は冷めてしまった。

 コツ……コツコツ、……ガタッ 不規則で小さな音が廊下から聞こえてくる。それはだんだん大きくなり、時々止まりながら近づいてくる。音を聴いたシェアトは目を開け、ゆっくり立ちあがった。机の上に仲良く並ぶティーカップを恨めしそうに眺め一つを一気にあおると、もうひとつに紙袋に入った白い粒を流し入れた。

「待ちくたびれましたよ、アベル様……」

 こんな所に普段人は来ない。立ち寄る理由もなければ口実もない。しかし、一人だけその理由がある人がいる。だから、シェアトは近づいてくるその人物が誰であるか確信していた。今日はきっと来ると思っていた。待っていた。それが愛する人であるから。

 結婚させられたときはアベルの事が嫌いだった。神にも人にも愛されない孤独な人で、人に好かれようともしていなかった。命令口調で冷たく言い放ち、褒め言葉を聞いたことはなく、しかし罵声は浴びせ人格を否定する人。誰もがそう思った。

 しかし、婚約して近くにいるようになると、それが間違いであったと気がつく。

 シェアトはアベルが教会の人たちを否定しているのではなく、教会の操り人形にならないように反撃しているのだと知っている。教会に虐げられながらも奥歯を噛んで必死に耐え、凜として前を見据える横顔を一番近くで見ている。シェアトにとってアベルとは悪の王ではなく、劣悪な環境でも必死に生きようとするヒーローだった。

 だから、いつしか自然と惹かれるようになっていた。教会に嫌われようとも一途に民を思い、周りの反対を押し切って自分のためにならない事を進める王の背中に寄り添いたいと思った。

 それに、客観的に見ればアベルは先代に比べて王としてふさわしい振る舞いをしている。権力者第一になりその他多くの無権力者をないがしろにしていたにせよ、教会を完全に無視したのは神の子としてあるまじき行動だが、それによって世界の大多数を占める無権力者の暮らしを大幅に改善することができた。

 結果、蓄えた富で豪遊していた教会がほぼ無一文になったため、更に教会の反感を買ってしまった。当時は教会が世界の実権を握っていたため、王一人が改革をしたところで教会が「王は悪である」と言えばそうなってしまう。

 それでもアベルは耐え続けた。自らの身を贄にして世界を支えようとしていた。

(でもアベル様は神様ではないんです、一人で背負えるわけ無いでしょう)

 ギィィと嫌な音を立ててドアが内側に開いた。手首から垂れ下がる貴金属がドアにぶつかる。白い上質な布が覗いて、身に余るほどの装飾で着飾った青白い王が小さな部屋に姿を現した。

「シェア……ト」

 頭から滑り落ちた王冠が大きな音を立て、続いて布や装飾に引きずられるように身体が崩れ落ちる。どさっと身体が床にたたきつけられ、金属のじゃらじゃらとした音が部屋に響く。

「アベル様!」

 駆け寄ったシェアトは王の肩を抱き、何度も名前を呼んだ。手際よく体を圧迫するベルトを緩める。重りのような装飾品の数々を外してソファに放っていく。

 こういうことは初めてではない。教会に逆らったことで発言力の大きい老人達に虐げられ、できるはずも無い量の公務を課せられ疲弊していた。それでもいつもなら城の最上階にある寝室に直帰するのだが、意識が飛びそうなほど疲弊している時は無意識に階段を下り、狭く長い廊下を歩いて妃の部屋までやってくるのだった。

「もう休んでください、ね」

 アベルの細い髪を撫でながらシェアトはそう呟く。

 隈が出来痩せた夫は暫く気絶していた。

「シェアトはもうアベル様のこんな姿、見たくないですから」


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