第25話 こころ。


「あ、痛いよね? ん? 痛くないんだっけ? 死んでるとどうなのか、ちょっとわかんないや、ごめん。えっと……そうだ」


 ミヤビはヨウスケによって手を怪我していることを思い出し、慌ててポケットを探る。

 そこから取り出したのはヨウスケにはあまりにも不似合な薄い生地の淡い色をしたハンカチだった。


「ずっと持ってはいたんだけど、普段タオル使っているから、こっちは全然使ってないから綺麗だからね。でも一枚しかないから、片手しか縛れないな……」


 何度か部活で学んだ応急処置の知識を引っ張り出す。捻挫程度でしか使わなかった知識だが、ここで他にまとめて学んだものが役だった。

 すでに両手とも傷口は止血はしているために、あとは痛まないように、傷口を覆っておくことしかできない。

 それでも、傷口に何かが当たって気にかかるよりはいいだろうと優しくハンカチで手を覆った。


「痛くない?」

「大丈夫です」


 ヨウスケを傷つけぬように、強がって言っているのかもしれない。でも、少し照れたような顔をするミヤビの傷口を手当てする。そうして包まれた細い手をヨウスケが握り、図書館から出ることにした。


 ヨウスケにはまだ時間はあるが、ミヤビに残された時間は長くない。急がなければと、足が速くなる。


「ヨウスケさん。ヨウスケさんは痛くないですか?」

「なにが?」


 出口に向かう途中、ミヤビが心配そうに聞く。ミヤビの方が見る限り痛そうなのに、死後に怪我をしてない自分がどうしてそう聞かれるのかさっぱりわからなかった。


「俺は何処も怪我してないよ。ミヤビちゃんの方が――」

「目に見えるものだけが怪我ではありません。見えない傷……心の怪我は見えないからこそ、治療が必要でもわからないし、大変なものです。だから……」

「心の……そうだね、どっちかといえば、大丈夫とは言いがたい、かも」


 心は疲弊している。知りたかったはずの自分の死の理由が、あまりにも悲惨なものだったことに加え、謎の黒い影がヨウスケ自身を包んだことでミヤビを傷付けてしまった。

 無意識とはいえ、傷つけたことは心苦しい。

 初めてここで、今の心情を吐露する。


「私も傍にいます。だから、急がず、ヨウスケさんのペースで行きましょう? 焦らないで。一緒に居れば、傷が治るのは早くなりますよ」

「……! ありがとう」


 ヨウスケの手をしっかりと握り返したミヤビ。

 傍に彼女がいることに、安堵を覚えたヨウスケは歩くスピードが落ちていく。

 図書館を出て、路上へ。

 すれ違う人なんてどうでもいい。いちいち注目していても、意味がない。今はミヤビのやり残したことを叶えたい。助けてもらってばかりの彼女に恩返しをしたい。その一心で進むヨウスケを、ミヤビは同じスピードで隣を歩く。


「ところで、これからどこに行くんですか?」

「んー、楽しいところだよ」


 身長差があるから、ヨウスケの一歩とミヤビの一歩に差がある。それ埋めるようにミヤビの様子をうかがいながら、進んだ。

 そうして向かった先は駅前のショッピングモール。ここを選んだ理由としては、クラスの女子たちも放課後によく行くという話を聞いていたからだ。


 ヨウスケはあまり来たことがないが、夜でも人が吸い込まれるように入って行くのを見ている。ここならば、学生らしいことができると思った。


「あ、やべ。お金持ってねえ……」


 何か食べたり、ゲームをしたりとそういうことをするにはお金が必要である。しかし、お金を持っていないのに加え、持っていたとしても使えないかもしれない。


「うふふ」


 ショッピングモール入り口で足を止め、情けない顔をしていたヨウスケを見て、ミヤビは笑った。苦い顔でその顔を見ると、とても楽しそうな顔をしていた。


「あっ、ごめんなさい! ここに来てから私達が何かに触れないことに気が付いたんですよね?」

「うっ、気づかれてたか……」

「はい。ヨウスケさんの顔を見てピンときました」


 顔に全てが出てしまうのが、恥ずかしく思った。


「どうしたんです? 行かないのですか?」


 今度はミヤビがヨウスケの手を握ったまま歩きはじめる。


「いいの? 俺らが楽しめるかなんて、わかんないけど……」


 ミヤビが楽しいと思えるかわからなかった。

 ショッピングモールなんてお金がなければ楽しめない。他の場所へ行った方がいいのではないかと考えたのだった。


「何言ってるんですか。楽しいに決まっているじゃないですか!」

「ほんとに?」

「そうですよ! だって、ヨウスケさんと一緒ですもん!」


 くるっと体をひねると、ミヤビの髪がふわりと舞う。

 少しだけ顔を赤らめたミヤビを見て、ヨウスケの顔はほころんだ。


「さあ!」

「うん、行こうか!」


 ずっと手をつないだまま、二人はショッピングモールの中へと吸い込まれるように入って行った。

 ショッピングモール内は、比較的人がまばらだった。平日ということもあるだろう。


 入ってすぐの食料品のコーナーには、主婦がカゴを抱えて品定めをしている。


「食べ物見てもな……あっちに行こうか」


 手を握ったまま進む方向を変えて歩けば、広い通路を挟み、両側にびっしりと店が並んでいた。

 その多くは女性向けの衣料品店。あいだに、家具や雑貨などを扱う店など、多種多様なものが並ぶ様子を見て、ミヤビは目を輝かせている。


「あんまり来たことない?」

「ないです! 買い物はみんな、お母さんだったので。私が行って、何か病気をもらってきては困ると……あのお店、行ってもいいですか?」


 ミヤビは可愛いワンピースを着たマネキンが店頭に立つ店を指さした。

 正直ヨウスケはそのような店に入ったことがない。よく行く店といえば、スポーツ用品店ばかりだった。いつも着ているのは制服かユニフォームと練習着。ほとんど着ることのない私服でさえ、同じくスポーツ用品店で買ったものである。


 ヨウスケの妹がレースのついたスカートやらなにやらを買っては自慢するように見せてくることもよくあった。

 だからそういう服を女子が好むのだろうなとは考えたことがある。だが、妹と一緒に買いに行ったことはない。だから、女性の服を扱う店に入ったことがなかった。


「恥ずかしくなんてないですよ。だって、誰も見ていませんから。ほら、行きましょう!」


 確かに人には見られない。

 ヨウスケは緊張しながら、ミヤビのウィンドウショッピングに付き合った。


「次はこっちのお店もいいですか?」


 ショッピングモールの端から端まで、あっちこっちを歩き回って、何時間も経過していた。

 何も買うことはできないけれど、それでも疲れのない体で十分楽しんだ。

 いつの間にか他のお客さんがいなくなり、閉店間際を告げる蛍の光が流れている。

 どこの店も閉める作業を始めていた。


「もちろん。どこへでも行こう」


 そういう自由な精神でふらついていたときだった。


「あ……」


 ふと、ヨウスケの足が止まる。

 何事かとミヤビが視線の先を見れば、そこにはヨウスケと同じ制服を着た学生たちがいた。


「知り合い、ですか?」

「うん。同じ部活の仲間……というか、後輩たちだよ」


 集団の顔ぶれは、ヨウスケのよく知るものだった。

 一緒に汗をかきながら練習をしてきた。学年は異なるが、仲間であることは変わりない。


 そしてその中に一人。あの日、親友にとがめられていた後輩がいた。

 その後輩の顔色は悪く、酷くやつれているようにも見える。あんなに楽しそうにサッカーをしていた姿からは、想像がつかないほどであった。


 何やら仲間内で話したかと思うと、集団はスポーツ用品を扱う店へ吸い込まれるように入って行き、姿が見えなくなる。


「大丈夫ですか?」

「ああ、俺は大丈夫……でも、あいつはそうじゃないかもしれない。なんか、すげぇ痩せて見えた」

「ではみなさんのお話、聞いてきますか?」

「うーん……」


 今の状態ならば、盗み聞きするなんて簡単だ。目の前にいても、気づかれないから。


 ショッピングモールが閉まる時刻。それは部活ならとっくに終わっている時間でもある。

 今、このタイミングにわざわざ、買い物にくるほどの用はないだろう。たとえシューズに穴が開いても、すねあてをなくしても、練習着が破れたとしても、レギュラーメンバーではない後輩たちがみんな集まって、閉店間際に駆け込むほどの内容ではない。


 何をしに来たのか気にはなるが、せっかく楽しくミヤビと遊んでいる中で、暗い話を持ち込むことは避けたい。それが本心だった。


「やめとくよ。あいつにはあいつなりに、何かあるんだろうし、もう俺にはどうもできない……。練習一筋のあいつだから、きっと大丈夫だろう」

「……そうですか。ヨウスケさんがそういうのであれば、そうなのでしょうね。では、次は映画をこっそり見ちゃいませんか? レイトショーでまだやっているみたいなので」


 スイッチを切り替えるのが早いミヤビにつられ、二人はその場をあとにした。





「おい、どうした? 何止まってんの? いいものでもあったか?」


 集団の中で一番体の大きい少年が、足を止めて後ろを振り返ったやつれた少年へ声をかける。


「あ、ううん。今ね、そこに先輩がいたような気がして……」


 やつれた少年は、誰もいない場所をじっと見つめていた。それに違和感があった仲間たちが次々に集まってくる。


 誰もいない場所と、やつれた少年を交互に見ては、皆がみな、首をひねる。


「ばぁーか。いる訳ねえだろう! 先輩は死んだんだ。殺されたんだ! 葬式もしたんだし、それは間違いねえ事実だ。だから先輩に送るものを買いに来たんだろうが。ここでひょっこり先輩が出てきたら、怖えよ。そりゃ間違いなく幽霊だってーの。いる訳ねえだろ、幽霊なんか」

「……そう、だよね。ごめんね、変な事を言って」


 気のせいであることはわかっている。でも、少年にとっては中学生のころからの憧れであり、尊敬できる先輩。あたりまえに練習し続けて、大会を迎えて、勝つことを信じていたからこそ、急に亡くなってしまったということは信じられずにいた。


 食事ものどを通らなくなり、部活にも参加できていない。学校も休み続け、今日になってやっと登校した。そして、仲間たちに誘われてここまで来ていた。


 自分が先輩たちの喧嘩の発端となってしまったことを後悔し、幽霊でも現れてくれたのなら謝って、お礼を言いたい。どちらもできないまま、今に至ってしまっている。


 その気持ちから幻想が見えてしまったのかもしれないと何度も言い聞かせた。


「ほら、閉店で追い出されちまうだろ? 早く選ばないと」

「……うん」


 小さな声で返事をし、少年たちの集団は再び商品棚を見つめた。


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