第9話 人のいない水族館
何年もずっと来たことがない水族館。
久しぶりということだけでもワクワクするというのに、誰もいないという要素が足され、さらに興奮が高まる。
「ここなら、落ち着いて考えられますよ」
そうだった、自分の状況を整理するためにここへ来たというのに、純粋に楽しんでしまっていることに気が付いた。
年中休みもなくずっとサッカーをやってきたヨウスケ。水族館も遊園地にも、最後に行ったのは小学生になるよりも前のこと。
水族館はこんなに興奮するものだったかと、悠々と泳ぐ魚たちに見入っているとミヤビがハッとして口を開いた。
「あ、私、お邪魔でしたよねっ。この上のテラスでしばらく時間を――」
「ちょっと、待って!」
逃げるようにそそくさと移動しようとするミヤビの手を、今度はヨウスケが引き留めた。それを見つめて、動きが止まる。
ヨウスケはミヤビの顔を見ることができず、うつむいたまま、そっと本心を口にする。
「その……一人じゃちょっと、怖いんだ……だから俺の話、聞いてくれない?」
今まで何かあったらハヤトと話していた。親友だから話せていた。
だからハヤトがいなくて、ヨウスケはが一人になってしまうと、気持ちの整理をしたくてもできない、そんな気がしたのだ。
「はい。私でよろしければ」
きっとミヤビは育ちがいいのだろう。丁寧な言葉を使っているのだから。
了承を得たヨウスケは、大きな水槽の前にある座席に腰を下ろした。
その様子を見てミヤビも丁寧な動作で隣に座る。まるでデートをしに来たようでもあったが二人の間に、野良も座ったことで、少し違う雰囲気を醸し出した。
流れる沈黙。
真っ青な水槽に目を向けたまま、無言の時が過ぎていく。
ミヤビもまた、黙って水槽を見つめていた。
「俺……さ。まさか死ぬなんて思ってなかった……あたりまえに明日があると思ってた」
ポツリと言葉をつづる。気づいたら死んでいた、なんてライトノベルでよく見かける転生物語でもなければ言うこともなかっただろう。そんな物語でも何が起きて死んだのかわかっている。ヨウスケがそれと違うのは、自分に何が起きたのかわからないままに死んでしまっていることである。
死の直前に親友と喧嘩をしたこと。必死になって練習していたサッカー。その大会が近かったこと。将来描いていた、就職や結婚などやりたいことが全て、できなくなったこと。
当たり前が消えてしまったこと。
そして今の気持ち。
全てを包み隠さず、言葉にする。
それをミヤビはずっと静かに聞いていた。
「――俺は、これからどうしたらいいのかな……?」
最後に投げかけた質問は、ミヤビに向けたものではない。自分に向けたものだった。
先の見えない、いや先のない現実。死んだのにここにいるという現実。
何をすればいいのか、何をしたいのか。何もわからない。
ぐるぐると迷い、ブレブレなヨウスケに対し、ミヤビはまっすぐと芯のある声を発した。
「私は」
ミヤビは悠々と泳ぐ魚から目を離さない。
青い水槽がミヤビの目にうつり、きらめいている。
「私は、死んでからもここにいるのは、神様がくれた最後の贈り物だと思うんです。神様が、道半ばで死んでしまった私達に、最後にやりたいことをやりなさいとくれた時間だと思っています」
何を言っているんだ、そう素直に思った。でも彼女は本気だった。
「昨日、私は、色々な人に会いました。子供も大人もお年寄りも。そこでみなさんが口をそろえて言うんです。死んだあと、七日間で私たちは消滅するって。たった七日。時間にして百六十八時間。その間は疲れることも体が痛むことも、お腹が空くこともない不思議な時間。神様が私たちにプレゼントしてくれた時間。それを使って、本当に悔いのないように過ごしなさい、そういうことだと思っています。だから……だから、私はやりたいことをやろう、そう決めました」
たった七日。その期間で彼女はもう、やりたいことが決まっているように見えた。
ならば、自分は?
やりたいことって何だろうか。
うーんと腕を組んで考えてみる。だが、いざ考えると、何も思い浮かばない。やりたいことは全て叶わないからだ。他に何があるかと言われても、何も思いつかない。
再びやってきた無言の時間。しかし今度はその時間はとても短かった。
「見てみて、ちょーやばくない?」
他に誰もいないと思っていた館内に、急にミヤビの声ではない高い女性の声が聞こえてきた。
静かな水族館の中に響く声。その声は少しずつ近づいてくる。
てっきり誰もいないと思っていたから、二人はドキドキしながら声が聞こえる方を見つめて待った。
「あっれー? なんだ、うちら以外にも人がいんじゃん! 見てみてー、ほらっ!」
水族館が作ったルートを逆走するようにやって来たのは、二人組の男女。
一人は胸元に赤いリボンを緩くつけ、膝よりもかなり短い丈のスカートをはいた制服姿の女子。もう一人は、そのリボンと同じ色のネクタイをして、同じく制服姿の男子。
仲よさげに歩いてやってくる姿は、仲睦まじい若い高校生カップルのようであった。
ヨウスケたちが二人を見たとき、同時に相手ももちろんヨウスケたちを見ていた。じっと、お互いの視線が交差する。
生きている人と、目が合うことはない。
つまり、このカップルはヨウスケたちと同じ、死者なのだとすぐに理解した。
「やっば。うちら、めっちゃ見られてるんだけど。マジウケる」
率直にヨウスケは、どこの頭のおかしいギャルかと思った。しかし、二人が着ているのは近くの偏差値が高い高校のもの。静かな男子の方はともかく、女子の話し方からするに、とても頭がいいようには見えなかった。
「エミリがおしゃべりだから、ビックリしてるんだよ、きっと」
男子の方が、自らの顔をポリポリと書きながら呟いた。まさにその通りで、ヨウスケとミヤビは驚きのあまりフリーズしていた。
それでも、お構いなしにカップルはどんどんと近づいてくる。
「ねえねえ、そこのカップルさんも夜の水族館デート? 誰もいない水族館って、ちょーヤバいよね。あっちとかね、めっちゃでっかいカニがいたの見た? マジヤバいから、オススメ」
語彙力のない言葉を並べる。ヨウスケのクラスメイトにも、似たような言葉遣いをする女子がいたのでかろうじて理解はできた。しかし、このような人と接したことがないのか、ミヤビの頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。
「彼女さん、可愛すぎてヤバい。お人形さんみたいじゃん!」
「あのっ。その、俺たち、カップルって訳じゃなくてですね。ついさっき会ったばかりですし」
一人でどんどん話を続けてしまう女子。ミヤビは口をパクパクさせている様子から、困っているようである。
ヨウスケが遮るようにミヤビとの関係性を否定する。
「え、マジ? ウチの勘違い的な? ごめーん」
絶対に悪いとは思っていない謝罪を聞き、苦笑いで返すことしかできなかった。
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