#19 ほっとけい
「そんなことが――ご迷惑をお掛けして、申し訳ございません」
朝食の時間になり、メメント森廃教会に住むメンバーが食堂に集まっている最中、一舞は申し訳なさそうに頭を下げた。勢い余ってテーブルに頭をぶつけそうになるが、ギリギリで止めるあたり、ただ頭を下げれば良いとは思っていないようだ。彼女なりの誠意を感じる。
ちなみに、今朝のメニューは的当お手製のホットサンドである。廃教会に住むメンバーは、基本料理ができない人間ばかりなので、唯一料理ができる的当が用意することが多いのだ。
「雪上はどうして階段に」
「最高にデリシャスなのだ!」
「あ、うん。喜んでくれるのは嬉しいが、少し声のボリュームを下げてくれないか?」
「アッ、ハァイ」
的当に注意され、歩亜郎は黙々とホットサンドを食べることにした。もちろん、食後のティータイムも忘れない。飲むのはインフィニ
「それで、雪上? 何故、階段の下で眠っていたんだ?」
「私、時々意識を失うことがあって」
やはり、学園に編入する以前に、病院で療養していたことが関係あるのかもしれない。
「ま、そういうこともあるよな。心配だが、とりあえず美味いもん食べておけば倒れにくくなるかもな――パンのおかわり、いるか?」
「はい。ぜひ、お願いします」
的当がホットサンドメーカーからパンを取り出し、一舞に渡す。その様子を見て歩亜郎は彼女に対して「よく食べる子なのだ」と思った。二人前の食事を朝から満足そうに食す一舞の姿は見ていて気持ちが良いものであったが、そんなに食べると今度は昼食が摂れなくなるのではないだろうか。歩亜郎の心配を他所に、彼女は食事を終えた。
きっと自分が小食なだけなのだろう。栄養摂取は歩和郎に任せているし、そもそも冷静に考えれば、二人分程度なら余裕で食事を行える人間はこの世の中に大勢いるはずだ。
考えすぎなのだ。歩亜郎はそう結論付けた。
「お兄さんって、一舞さんの方をよく見ていますよね?」
「はぁ?」
食事が終わり、歩亜郎がいつものようにわざとらしく恰好つけて楽しみにしていたインフィニ
「後ろにある時計を見ていただけなのだ」
「じゃあ、今は何時ですか?」
「ほっとけい」
「得意げに言っているけど、面白くないわよ。馬鹿兄貴」
「滑ってもただでは転ばん! 笑いのトリプルアクセル、見せてやる!」
「やかましいぞ、歩亜郎! 食堂でスケートを始める気か! 外行け、外!」
「ハァイ」
三人が騒いでいると、皆の食器を洗っていた的当が怒鳴った。
歩亜郎ならば本当にできもしないトリプルアクセルを、この場で行うだろう。食器や包丁を洗っている最中にそんなことをされては危ないため、普段あまり怒らない的当も流石に怒ったのである。今回の場合、どのように考えても的当の意見が正しいだろう。
しぶしぶ歩亜郎は食堂を出ていく。その後ろ姿に哀愁を感じたのか、申し訳なく思った鬼衣人と葉子が彼を追いかけた。気遣いができる子たちである。しかし、その気遣いが彼のギャグにも適用されていれば、このような結末を迎えることは無かったのかもしれない。
まあ、それはそれとして――的当が溜め息を吐く。
「まったく、歩亜郎のヤツめ」
「いつもこんなに賑やかなのですか?」
「お前にはそう見えるのか、雪上。眼科に行くことをおすすめするぞ」
「ええ! ポアロくん、あんなにも面白い人なのに!」
どうやら的当と一舞の価値観は大きく違うようだ。ある意味、敵に回したくない。そのような感想を、的当は一舞に抱いた。こんなとき歩亜郎の保護者がいれば、彼をある程度コントロールできるのだが、彼の保護者は現在留守である。
「そういえば、この寮の管理人さんは? まだ、挨拶ができていないのですが」
「
「そうだな。アタシはレアキャラだから、な」
「え?」
そこにはハット帽を被った長身の女性が立っていた。スーツケースをガラガラと引き回しながら、女性は食堂の椅子に座る。その姿を見て、的当はひどく驚いた顔をした。
「なんだ、的当? 幽霊でも見るような顔をして」
「そういう神出鬼没なところ、歩亜郎にそっくりですよね」
「最高にデリシャス、だろ?」
「だからそれ、意味不明ですよ」
女性はハット帽を脱ぐと、髪の毛をポニーテールのように結び、わざとらしく姿勢を整えた。そして彼女は一舞に名刺を一枚、渡す。
「土湖花野学園大学心理学部想造力学学科霊魂研究専攻准教授、九十九振子……さん?」
名刺には長々とした肩書きと、彼女の名前が記されていた。
「よろしく、な。雪上一舞」
女性の正体は、この寮の管理人にして大学で准教授を務めているゴーストハンター、九十九振子であった。歩亜郎と葉子の保護者でもある彼女が、四季市に帰ってきたのだ。
「振子さん。もしかして、雪上に会いに来たんですか?」
「当然だ。この寮に新人が入ったのに、管理人が挨拶しないわけにはいかないだろ」
振子は一舞に会うために、海外から帰国したようだ。普段は霊魂研究という名のゴーストハンティングで忙しいはずなのに、合間を見つけて帰ってきたのである。
「私のために、ですか? ありがとうございます」
「何か困ったことがあれば、いつでも言ってくれ。しばらくは日本にいるから」
「珍しいですね。いつも放浪しているのに」
「クリスマスだし、な。たまには家族で過ごすのも、悪くない」
照れ隠しが歩亜郎並みに下手な人だと、的当は思った。やはり歩亜郎たちは親子なのだ。本物とか、偽物とか、関係なく親子なのだ。紛れもなく、母と息子なのである。
「ところで、歩亜郎はさっきから外で何をやっている? あいつの将来の夢は洗濯機か?」
「あれは笑いのトリプルアクセルというものらしい、です。俺にもよくわかりません」
「ただのトリプルアクセルではないのか?」
「笑いの、トリプルアクセルです。本人はしつこく、そう言っています」
「そこは譲らないのか、あいつは――羽生、結弦。ふふっ」
「え?」
「トリプルアクセル、スケート。譲らないのに、結弦――ふふっ」
どうやらギャグのセンスまで親子揃って同じようである。なんということだ。
「要するに、滑っているということですね! なんて面白いのでしょう!」
「雪上まで何を言っているんだ」
唐突な振子のギャグに頭を悩ませる的当の苦労も知らずに、歩亜郎たちが室内に戻ってきた。スケートは、もう終わりのようだ。結局、歩亜郎はトリプルアクセルができなかった。
「でも四回転エテコウなら、できたのだ」
「サルコウよ、馬鹿兄貴」
「しかも、本当は二回転しかできていませんでしたよ」
「今度、洗濯機に弟子入りするのだ」
「人生の選択は、間違いないことね」
「ん? 葉子、お前今――ふふっ、面白かったのだ」
「うるさい」
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