#3 個人情報は保護しなければならない

 珍しく高いモチベーションを維持している歩亜郎の案内で、四季市の市役所『タワーオブシーズン』にやってきた的当たち。早速、展望フロアへ向かう。


 この建物は四季市の中心に建設されたこともあり、市内を一望するには最適な場所だ。普段、夜の間は閉鎖されているものの、クリスマスなどの特別な時期には開放されている。


 だからきっと、サンタクロースを捜すことはできるだろう。見つけることはできないかもしれないが、それで一舞が『約束の少年』と会えるなら今回の依頼は概ね達成である。


「おい見ろよ、葉子! あそこに飛行船が!」

「子どもか!」


 エレベータで展望フロアに着いた途端、的当は無邪気に目を輝かせ、窓から遠くの空を見つめる。どうやら飛行船が飛んでいたことに感銘を受けたようだ。隣では葉子が溜息を吐いているが、彼女もそわそわしており、本当はこの景色を楽しんでいるのだろう。


「あいつら、本来の依頼を忘れているのだ」

「あの、九十九くんは窓際へ行かないのですか?」

「ポアロくんとお呼びなさいっ!」

「こほんっ――ポアロくん、実は高所恐怖症だったりして?」

「高いところは、いろいろ昔のことを思い出すから、な」


 歩亜郎が窓際から離れた椅子に腰かけると、隣にちょこんと一舞が座る。他人との距離が近いことに抵抗感を覚えた歩亜郎であったが、相手に悪気がないことは明白なので、微妙に尻を動かし、慎重に距離を置いた。


「思い出すって、何を?」


 しかし、一舞がさらに距離を詰めてくる。長らく入院生活が続いていたことで、他者との距離感覚の調整が上手くいかないのだ――そう思うことで、歩亜郎は冷静さを維持した。


「僕は冷静だ僕は冷静だ僕は冷静だ僕は冷静だ冷静は僕だ冷静は僕だ冷静は僕だ――」


 前言撤回。歩亜郎は、ちっとも冷静ではなかった。


「あの、大丈夫ですか?」

「もし、問題がないように見えたのなら、視力検査に行くことをお勧めする」

「ポアロくんって、眼鏡フェチなのですか?」

「もう、それでいいや」


 上手く話の内容を変えることに成功した歩亜郎は、ようやく冷静さを取り戻す。その脳裏には、かつて彼が救おうとして救えなかった彼女の姿が浮かび上がっていた。


 彼女、世知崎真矢よちざきまや。的当の大切な幼馴染。過去のある出来事により、校舎の屋上から転落して以降、病院に入院している。歩亜郎が高所恐怖症になってしまった理由は、その時の転落の光景を思い出してしまうからである。


 あの時、既に自分が悪よりも悪い悪になっていれば彼女を救えたかもしれない。その後悔が、歩亜郎の中から正解を消し去った。謝りたくても、彼女にはもう謝れない。真矢は歩亜郎のことを忘れてしまっているから。償いはもうできない。極端な話、歩亜郎に残された道は悪――それを上回る悪の道であった。


「ごめんなさい、ポアロくん」

「何故、謝る」

「私、あなたに何か嫌なことを思い出させてしまったようなので」

「ああ、そういうこと。べつに、嫌なことを思い出したわけではないのだ」

「本当ですか? あ、あっちで大和くんが呼んでいますね。行きましょうか」


 一舞の視線の先にはこちらに声を掛ける的当と葉子の姿があった。何か見つけたのだろうか。そう思い、歩亜郎は彼らの周囲を見渡す。そしてすぐに歩亜郎の心は最悪の極みのような気分で満たされた。的当達の隣に、四季市の市長が立っていたからだ。


「やあやあ、歩亜郎くん。久しぶりだね」


 市長、深池真夏は飄々とした表情でこちらを見ている。彼のことが嫌いな歩亜郎はトイレに行こうとするが、その瞬間市長の姿が消え、歩亜郎の目の前に再び現れる。いわゆる、瞬間移動のようにも見えるその行動を、歩亜郎はよく知っていた。


 これは市長の空想超能力、想造力イマヂカラによるものだ。


「久しぶりだね?」


 逃げようとする歩亜郎の行く手を、市長が阻む。


「おっかしいのだ。どこかでお会いしたことあったかなぁ? 昨夜キャベツに頭をぶつけたから記憶に欠落があるのだ」

「嘘だね。君はそもそもキャベツとレタスの違いがわかるような人間ではない」

「ああ、思い出したのだ。そのイライラする話し方、市長か」

「そちらの女の子は雪上一舞ちゃんだね? 学園に無事編入できたみたいだね」

「おい。声を掛けてきたくせに、今度は無視するのか?」

「君の相手は疲れるからね」


 市長は一舞の方を向く。彼に無視された歩亜郎が何か喚いているが、市長は気にしない。


「私のことを知っているのですか?」

「もちろん。市民の顔と名前は当然、憶えているとも」


 どうやら市長は一舞のことを知っているようだ。市長が市民の一人を認知しているのも妙な話ではあるが、この男、深池真夏は本当に市民の顔と名前を憶えているので、別におかしなことではない。特に一舞は最近市民になったばかりなので、憶えやすかったのだ。


「久しぶりの四季市は昔と比べれば変わったかもしれないけど、ぜひ有意義な日常を過ごしてほしい。我々は君を歓迎するよ」

「ありがとうございます」


 そこで、ふと歩亜郎はあることに気がついた。


 一舞は以前四季市市内で父や母、妹の一無とともに暮らしていた。だが、十年前の火災で家族が亡くなり、彼女は何年間も病院のベッドの上で一人ぼっちだったのだ。あちらこちらの病院をたらい回しにされながら、ずっと一人ぼっちだったのである。歩亜郎がそのことに気が付くのに、時間は掛からなかった。彼にしては珍しく、すんなりと答えを導き出せた。


 そんな彼女がたどり着いた場所は結局四季市。市長の言う通り、自分ももう少し一舞を歓迎しても良いのかもしれない。歩亜郎はそう結論付けた。


「市長は仕事中なのでは? ここにいてもいいのかしら?」

「今は休憩中でね。秘書の浅川さんに留守番を頼んでいるから大丈夫」

「気楽で良いですね」

「市長である私が険しい表情でいたら、市民が明るくならないだろう?」


 葉子に対して笑顔を崩さずに己のポリシーを語る市長。その笑顔がなんとなく胡散臭いと思っている歩亜郎は市長のことが嫌いであった。しかし答想者アンサラーがこの街で日常を送ることができている理由は、紛れもなく彼のおかげでもあることを歩亜郎は知っている。このことから、歩亜郎は歩亜郎なりに、市長へ敬意を払っているのだ。


 そう、九十九歩亜郎という少年は基本的には他者が嫌いであるが、だからといってその人格や能力を否定するようなことはしないのである。好きか嫌いかは歩亜郎自身の問題であって、その問題に他者そのものを巻き込みたくはないようだ。


「的当くんから聞いたよ。君たちはサンタさんを捜しているようだね。この展望フロア、クリスマスシーズン中は終日開放しているから、遠慮せず思う存分捜すといいよ」

「ありがとうございます」

「展望フロアからの眺めも良いけど、個人的には下のフロアにある食堂からの眺めも最高だよ。お腹が空いているなら、そこも行ってみては?」

「そういえば今日は終業式で昼前には解散だったし、すぐに部室の掃除を始めたからまだ昼飯食べてなかったな」

「なら行きましょうか。アタシもまだ食べていないし」

「決まりだな。よし歩亜郎、雪上、食堂へ行くぞ」

「了解です」


 的当たちがエレベータへ向かう中、歩亜郎だけがその場に残る。食堂へ行きたくないのだろうか。それは、違う。市長に、まだ何かを聞こうとしているのだ。


「市長は雪上一舞が以前四季市に住んでいたことを知っていたな?」

「ああ、うん。そりゃあ市民のことは知っておかないと、市長として」

「なら当然、あいつの妹について知っているだろう? 雪上一無のことだ」

「それは」

「そいつも昔、この街に住んでいたはずだ。知らないとは言わせない」


 そう、歩亜郎は市長から一舞の妹についての話を聞き出そうとしていた。市民のことを誰よりもよく知っている市長なら、一無のことも知っているはずだ。


「あの火災の関係者を教えてくれ。その中には、『約束の男の子』とやらがいるはずだ」

「その男の子が誰のことか知らないけど。一般人である君に、大事な市民の情報を簡単に開示するわけがないだろう。個人情報は保護しなければならない」

「ではせめて、一無の姉である雪上一舞には市長の知っていることを教えてやってくれ」

「ふぅー、わかったよ。君がそんな風に誰かのために頭を下げるのは初めてだからね」

「感謝する」

「まあ君も同じく妹を持つ存在として、何か共感する部分があるのかもしれないね」

「そうかも、な」

「そろそろ次の仕事の時間だから、失礼するよ」

「僕も的当たちのところへ行かなければ」


 話を終え、二人はエレベータホールへ向かう。


 市長は市民との約束は破らない。歩亜郎はそれを信じることにした。

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