諦めてためるな

白咲夢彩

諦めてためるな


「おい、そこの坊主。何している。大丈夫か」


「え?」


「話なら聞くぞ」


 俺に突然声を掛けてきたのは、安っぽい格好の中年男性だった。


 おいおい。そんな険しい顔してなんだよ、おっさん。声を掛けてきたのはいいが、俺は坊主でもないし、何もしていないぞ。多分。

 いや、何もしていないというのは嘘になる。なんでかって、実は俺、今、自殺をしてやろうかなんて考えて高い背の歩道橋の真ん中で、道に流れる車をひたすら見つめていたからだ。まあ、本当にしようなんて思ってはいないが、こうやって橋の上から地面を見つめたくなるくらい辛い日はあるのさ。


 それくらいに今が辛い俺だが、この声を掛けてきた通行人は、こいつ飛び降りる気か?なんて察知でもしたのだろうか。構ってきてくれたわけだ。


 俺はあまり大事にはしたくないので、大したことはねえ、気にすんな。と軽い返事を返す。


「ああ、ちょっと眺めていただけっす」


 こんな坊主野郎の事なんざ、すぐ忘れて消えるだろう。大したことなんてないのだから。そうだよ、大したことなんてねえよ。

俺はここから離れようと、足をおじさんの反対方向へと素早く踏み出した。

 構ってくれたと言うべきか、絡まれたと言うべきなのかわからないが、これで会話は終了したはずだった。しかし、おじさんは、俺が動き出した途端、俺の腕をグイっと勢いよく掴んで引っ張った。


「うわ!!ちょっと何すんすか」


 俺は予想外の出来事に、汗を増やして驚く。急に腕なんか引っ張られて、ドキっとするし、怖い。これが、美人さんとかなら、いい意味でドキっとするだろうが、それ以外は一瞬ゾッとするやつだぞ。

驚いた顔でいると、おじさんは俺を強い眼差しで見つめながら、俺に謎の言葉を強く叫び始めた。


「諦めてためるな、諦めてためるなよ」

「……ん?え?えっと?」


 突然すぎて、俺はびっくりしたと同時に、おじさんの言葉に、「ん?」と疑問を浮かべる。何か、良い言葉を投げられているのはわかるが、何かが違うのだ。

 おじさんは言葉を投げた後、ブンっと俺の手を勢いよく放して、俺を見つめていた。その場で、俺は一瞬……考え込んで、考え込んで……言葉の違和感を解く。


「諦めてたまるか?ん?んんん?え?」

「諦めてためるのかって聞いてんだ、坊主」


 この一瞬で、頭を捻りすぎて、んんん?と言葉を漏らしていたらしい。俺の漏らした言葉に秒の速さで、おじさんは言葉を返してくるが、ますます混乱してしまう。

 いや、諦めてためるなって何。諦めてためるのかって何?

 諦めてたまるか!という個人の叫びに使う言葉ではないのか?

 俺が知ってんのは、諦めるもんか!みたいな、あれだよ、あの、絶対にしないぜ!みたいな意味。

 でも、今回のは、超新種なんだが。

 俺はわけわからんが何故か気になりすぎた結果、おじさんに聞いてしまう。


「あの、どういう意味すか、それ」

「諦めてたまっちゃあいかんと言っている」


 やばい、おじさんは分かるだろ?って顔でこちらを見てくるが、わからん。どこかの方言だろうか。癖が強い。諦めてたまるか!たまっちゃあいかん?たまるな?たまる??


 俺は、分からないぞ?と、顔にしわを増やす。俺の辞典にはない言葉なので、脳みその引き出しをとにかく探しに行くのだが、おじさんの言葉の意味は、見つからない。そして、おじさんは呆れた顔で、なにやらまた、話し始めた。


「坊主、死んだらたまんだよ」

「え?死んだらたまる?」

「そう、たまんだよ」


 ますますわからないが、たまるとは何だろうか。でも、何かがたまるのだろう。死んだらたまるって、墓の事だろうか、いや、墓ってたまっているものなのか?よくわからん。


 俺はもう、おじさんの言葉が気になって仕方が無いので、恐る恐る、答えを聞くことにした。


「何が……たまるんすか?」


 すると、おじさんは顔をぐしゃりと変え、猛烈に怒って叫ぶ。


「バカタレ!そんなのも知らねえで、死のうってのか」

「いや、死のうってわけでは……」

「嘘だね、死ぬ顔してたぞ!」


 おじさんは目の前で、顔を赤くし、めちゃくちゃ怒っている。鬼のようだ。そして、俺はそんなに、そんな、顔をしていたのだろうか。ちょっと、悪い夢を考えてしまっていただけじゃないか。心配しすぎだよ、おじさん。

 こんなゴミみたいな自分の為に、怒る事ないのに。怒らせてごめんよ。

 俺は申し訳ない気持ちになったが、でも、言葉の意味を考える。良く分からないが、考えなくてはいけない気がしたからだ。


「お前が死んでもたまるもんはたまるぞ。いつまでも残るぞ。もしかしたら、お前にもたまったままかもな」


 いや、待ってくれ。考えるがわからんぞ。頑張れ俺。頭を捻るんだ。


 もしかして、これは幽霊とかを信じる何かなのか。別路線のスピリチュアルな何かか。

 いやいや、死んでもたまるものって言ったら、借金か?家族に借金が残るとかいう話なのか?他に何がある?えーーとえっと……。

 もう、俺の頭の中はぐるぐるしてきて大変なので、やっぱり答えを聞くことにした。もう、降参だ。


 俺は両手をバチンと顔の目の前で合わせ、頭を下げてお願いをした。


「すいません、わかりません。答えを教えてください。お願いしやすっ!」


 すると、おじさんは「はあ、しょうがねえバカが、よく聞けよ」と、腕を組み、落ち着いた声で、俺に話し始めた。やっと答えを教えてくれるらしい。


「あのな、たまるってのは、気持ちのことだ。生きるのを諦めたら、お前の家族、友人、お前を想う誰かに、お前の今の辛い気持ちが永遠と残るんだぞ!」


「お、俺の気持ち……」


 ああ、そうか。


 ああ……。


 俺はおじさんの言葉の本当の意味と向き合い始める。


 辛くて死にたい、毎日の苦しい気持ち。誰にも言えない、人生が上手く進まないもどかしさ。夢が叶わぬままで、先の見えない真っ暗な未来。早くいなくなってしまいたいという、諦めたい気持ち。諦めて消えたい、楽になりたい。誰にも打ち明けられない、俺の気持ち。


「そうだぞ。お前の気持ちがだ。もちろん俺にも残るな!」


 想像もしていなかった言葉に、俺は驚き、赤くなるおじさんを、先ほどのぐるぐる思考なんか捨てて、強い眼差しで見つめていた。そして、おじさんの言葉をひとつひとつ丁寧に俺は飲み込む。


「そんで、死んだからって、楽になるとは限らねえ。死後の世界なんて、生きている人から教えてもらえねえし、説なんかいっぱいあるが、正直誰もわからん未知の世界だ。死んでも、今の感情が霊として残るかもしれねえし、今より辛いかもしれねえ。生まれ変わるのかも、まっさらになんて、なってくれるのかもわからねえ」


「死ぬのと、生きるの。生きる方が安全だろ!なあそうだろ?」


「確かに……」


 死後のことなんて俺は考えていなかったから、おじさんの言葉が刺さった。死んで楽になるなんて、一体誰が言ったんだろう。


「まあ、生きた時間をもっとためてから、死ぬかどうか考えな」


「ためる……」


「そうだためるんだ、それからでもいいだろ、死を考えるなんてよ。生きて生きて死の意味を見つけてみろ」


 生きれば生きるほど死がどういうことなのか分かるのだろうか。

 いや、絶対見つからない。見つかりはしない。俺は今そう思う。


 俺は楽になれると勝手に決めつけて、その決めつけた幻想に逃げたかっただけなんだ。


 このたまった気持ちからただただ逃げたかっただけなんだよ。


「ここで諦めたら、死ぬほどたまるぞ!」


「辛い気持ちが?」


「そうだ、皆にだ」


「長く生きてりゃ、幸せが今よりもたまるからな。まあ、苦しいもんも、増えるがな。俺は若い頃、奥さん自殺で亡くしたけれど、今は幸せがやっと、苦しいを超えた。ま、そんなこんなで、生きていた方が良いもんためられんだろ」


「ためる……たまる……」


「たまたま、今日散歩していてよかった。あんたに大事なこと話せたからな。生きろよ、そんだけは約束だ。とにかくためろよ!あ、万歩計の歩数で、今、買い物ポイントをためられるアプリもあるぜ。お得だし、おススメだ」


 ためるなとか、たまるとか、ためてとか、おじさんは一体どんだけ、ためる系が好きなんだ。さてはお店のポイントカードを沢山所持してる系だな。それは、間違いなさそうだ。

 そして、おじさんは、かなりの勢いで喋った後「さいなら」と最後に伝え、駅方向に消えていってしまった。

 俺はもう、いろいろと、たまる系が心に刺さりまくり大変なことになっている。おじさんの言葉が溢れるほど心にたまってんだよ。


 どうしてくれんだよ、おじさんよ。


 まあ、でも、俺はひとつ大事な言葉を今日覚えた。


「諦めてためるな」


 それは、俺に魔法をかけた、不思議な一言だった。

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