第9話

「…………ん」


 窓から差し込む光が俺のまぶたき、思わず開けてしまう。もう少し寝たい気もしたが、このままでは学校に遅れてしまうだろう。


 ベッドから降り、すぐさま制服に着替えると、おぼつかない足取りでリビングに行く。


「あら健人、おはよ」


「おはよ……」


 母さんがキッチンの方から声を掛けてきたので、返事をする。


「あら、かえではまだなのね。健人、ちょっと起こしてきてくれる?」


「え……? まぁ、いいけど……」


 リビングから出て、階段を登り、楓の部屋前に到達する。まだ寝ているからだろうか、部屋からは何も聞こえてこない。


 扉をコンコン、とノックするが、応えたのは静寂のみだった。


「楓、起きてるか?」


 しかし、返事はなかった。


 これは、熟睡しているかもしれない。そうなると、部屋に入って起こすことになるが、許可なく入ってもいいのだろうか?


(……いくか)


 母さんから頼まれたことだし、これは仕方がない。


 俺は細く息を吐いた後、ドアノブに手を掛け、そのまま扉を押す。


「お邪魔しまーす……」


 勇気を振り絞って部屋に一歩、足を踏み出す。

 部屋全体を見渡すと、左側の奥方にベッドが設置されているのを確認し、俺はそちらへと歩みを進める。


 楓の部屋に入るのは久しぶりだ。半年ぶりだったような気もする。

 さて、楓は起きているか否か。


「……なんて幸せそうな顔で寝てるんだよ」


 本当に寝ているのかと思わせる程、楓は頬を緩ませていた。良い夢でも見ているのか? だとしたら起こすのに抵抗があるが、寝坊されては困る。


(さて、どう起こすか……)


 ここで早速、好感度を落としながら起こすという手もある。それならば、どう起こせばいいだろうか?


 ──毛布を勢いよく取るとか?


 それだけで好感度が下がるのならいいが、普通に起きて終わりそうだ。


(いや、横に添い寝……駄目だ。嫌がるどころか、歓迎されてしまう)


 楓のことだ、添い寝では逆効果になるだろう。

 ならばどうするか──


「おはよ、お兄ちゃん」


「うおっ?! お、起きてたのか?!」


 楓は寝起きという感じを一切思わせない声音で、顔を向けてきた。


「どうして、お兄ちゃんがここにいるの?」


「え? あぁ、楓を起こしに来たんだ」


 一瞬、本来の目的を忘れてしまったが、すぐに思い出す。


「じゃあおやすみー……」


「いや寝るなし!」


 楓は瞼を降ろし、二度寝しようとする。


 このままでは、俺が母さんに怒られてしまう。役目を果たすまでは、リビングに戻れないであろう。


「言い忘れたけど、楓はおはようのチューをしてくれないと起きませーん。もちろんライトキスで」


「……どこぞの童話じゃないんだから起きろよ」


 しかしそれっきり、楓は口を開くことなく狸寝入りしだした。


(……待てよ? ここで好感度を下げる方法があるじゃん!)


 キスをしないと起きないのならば、それを利用して好感度を下げてやろう。


「楓にライトキスをしないと起きないんだよな? だったら、俺は絶対にしない。あーあ……これで一生眠ることになるのかー。残念だなー」


 最後の方は棒読みで煽ってみるが、楓はピクリともせず、瞼を降ろしたままだった。


 流石は楓だ。この程度では起きないのか。ならば遠慮なくいかせてもらおう。


「絶対に起きるなよ? 俺はこのまま一階に降りるが、絶対に降りてくるなよ?!」


 ……返事がない、ただの屍のようだ。


 まあ、どちらにせよ好都合だ。このまま部屋を立ち去るとしよう。


「じゃあな楓! 降りてきたら俺、楓のこと嫌いになっちゃうかもな!」


 俺は踵を返し、部屋から出ていく。

 結局何も言ってこなかったが、時間ギリギリになったら流石に降りて来るだろう。


 また一階へと降り、リビングに戻ってくる。母さんは相変わらず、キッチンでお弁当の具材を作っていた。


「楓は起きたの?」


「あとで降りてくるから、安心してくれ」


 俺は端的に伝えてからイスに座り、朝食のトーストを食べ始めた。


 今日から本気で楓の好感度を下げることにしているが……どうしようか。


 好感度を下げるための手段なら、たくさんある。


 無難に冷たく接っしたり、パシったり、楓の友達の前でふざけたりするのもありだ。

 楓が風呂に入っている時に、寝間着を隠したらどんな反応を示すか、面白そうだ。


 でもやっぱり、女性がされて不愉快に思うことを一番知っているのは女性だ。アドバイスが欲しいな。


 ……そうだ! 母さんに訊けば教えてくれるかもしれないではないか!


「母さん、質問いいか?」


「え? いいけど……どうしたの?」


「母さんがされて嫌なことって、何?」


「うーん……」


 母さんは顎に手を当て、考える素振りを見せる。


「……やっぱり、健人と楓が私より先に死んじゃうのは嫌かなー」


 おっと、重過ぎる回答を返されてしまった。


「あー……じゃあ、女子が男子にされて嫌なことって何かあるか?」


「女の子がされて嫌なこと? うーん……言葉使いが荒かったり、冷たくされるのは嫌かなー」


「それだ!」


 とても良いことを聞いた。

 そういえば昔の楓は、俺に対して常に冷酷だったから、多少なり心に堪えていたんだ。


 ──次は俺が冷たく接する番、か。


 そうと決まれば行動は早い。俺はすぐに朝食を平らげ、食器をキッチンへと持っていく。

 そしてリビングを飛び出し、二階の楓の部屋の前に到着した。


(まだ寝ているなら都合が良いのだが……)


 俺はドアノブを捻り、楓の部屋へと無断で入る。窓から差し込む光だけが部屋を照らし、まだ少し薄暗かった。


「おい、さっさと起きろ」


 少し怒気含んだ声を楓に投げかけるも、返事は無かった。どうやら、本当にキスをしなければ起きないらしい……なんと面倒くさいことか。


 俺は楓が寝ているベッドの傍らへと移動し、視線を落とす。その顔は先程と同様、幸せそうな寝顔をしていた。


 そんな幸せそうな顔をする楓の両頬に両手を伸ばし、掴む。


 そして──引っ張った。


「むうぅぅぅっ?! な、なっ?!」


「おい、さっさと起きろって言ってんだろ」


「わ、わったら! わったら、はなて!」


 楓がベッドの上でジタバタしだしたから、俺は頬から両手を離した。


 楓は重たそうに毛布を退け、ベッドから降りる。まだ半眼で、寝癖も所々に見られた。


「えへへ、おはようお兄ちゃん。起こしてくれてありがとね」


「…………」


 何で感謝されてんだよ俺?! やっぱりおかしいって俺の妹!


 俺は心を落ち着かせるよう咳払いをする。


 どうやら甘かったらしい。ならばさらに、冷たく接するしかなさそうだ。


「は? 何が『ありがとう』だ? 気安く感謝の言葉を送るんじゃねえよ」


「え……?」


 楓は呆気に取られたように、目を大きく見開く。

 もちろん、これで終わりな訳がない。


「何だそのボケーッとした顔は? さっさと着替えて朝食取りやがれ。ミジンコの為に俺がわざわざ出向いてやったんだから、頭を垂れて感謝しろよな」


 それだけ言って楓に背を向け、部屋から出ていく。


 楓は今、どんな表情をしているのか興味が湧いたが、ここで振り返ってはいけない。

 また一階のリビングへと移動する。


 しばらくして。

 俺がソファに座りながらテレビを見ていると、リビングから制服姿の楓が入ってきた。


 俺はチラッと楓を一瞥した後、すぐに視線をテレビへと移す。

 見た感じ、落ち込んでいる様子ではなさそうだが……どうなのだろうか?


「あら楓、おはよう」


「うん、おはよう……。ねえ、母さん?」


「どうしたの?」


 楓の声に少しだけ覇気が無かったので、俺は耳だけ傾けておくことにした。


「あのね……と仲直りする方法って、どうしたらいい?」


「……?!」


 突然の言い出しに、肩がビクッとする。

 何だかとても、嫌な予感がしてきた。


「えっ?! 健人と喧嘩したの?! ちょっと健人──」


「あぁっ! もうこんな時間か! 早く学校に行かなくては!」

 

 俺は急いで立ち上がり、リビングから逃げ去るように出ていく。

 そして、玄関に置いてあったカバンを掴み、スタコラサッサと家から飛び出した。

 

 

 








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