なんと興味深い!
仏教で性行為をそこまで悪いものと捉えていたとは・・・カトリックと同様なんですね。
私はてっきり、イタリア人は性欲が強いからああいう宗教になったんだとばっかり(👈失礼!
娯楽のない昔の時代、性行為は一銭もかけずに楽しめる娯楽だったのかも知れない。
その上、現代のように避妊する方法もない。
だから宗教で「だめだよ!!」と力説する必要があったのかも・・・
作者からの返信
れんさん、コメントありがとうございます!
キリスト教も仏教も、性の問題については、似たような経過をたどっていますね。
・性行為を厳しく禁ずる
・一部の僧侶/司祭は耐え切れず、同性愛に走る。
・浄土真宗や、プロテスタントなど、性的にすこしゆるい宗派が生まれる。
>娯楽のない昔の時代、性行為は一銭もかけずに楽しめる娯楽だったのかも知れない。
>その上、現代のように避妊する方法もない。
>だから宗教で「だめだよ!!」と力説する必要があったのかも・・・
おっしゃるとおりですね。集団の秩序を維持するのに、禁ずる必要があったのでしょう。
性的なものは、元来、社会秩序を乱すほどのエネルギーをもっている。と同時にそれは、大衆の生命力であり、熱気であり、活力源でもある。野放図でもなく、禁止でもなく、その中間のバランスが大切だなぁと、あらためて思いました😄
なるほど。三途の川の「三途」について考えたことがありませんでした。勉強になりました。ありがとうございます。
女性は最初の相手に背負われて急流をですか。衆道の方たちはどうなるのかついつい考えてしまいますね。
作者からの返信
土岐三郎頼芸さん、コメントありがとうございます!
衆道、それ、自分も考えました!
中世の衆道の僧侶の言い分からしますと、「女と性交するのが罪なら、男とすればいいじゃん」という、そういう変な論理がまかり通って、衆道文化が発展していった……そういう考えの僧侶からすると「男との性交は、罪にならないんだぜ」と。
でも、元来の仏教は、相手が男であれ女であれ、感覚的な欲望に溺れることそのものを罪としたわけで、衆道に走った浅墓な僧侶はみんな《強深瀬》を渡らされて地獄行きだと思います。笑
……まあ、原理的にはそういうことなのですが、
人間の性本能というのは強大ですので、土台、それを押さえ込もうとすること自体が無理な話だと、自由な現代人の自分としては、思います😅
すごいお話ですね。
人を待つのはそれ程苦ではありませんが、文庫本とか持ってないと辛いですね(笑)。
「私、泳ぐの得意なんで!」とか言って、さっさと渡ってしまったらダメなのかな。
魔性の魅力を全開にして、可愛い男の子を頂きまくったお姉さまはどうなるのでしょう?
やっぱり、坊やたちを背負うべきなんでしょうか(笑)。
作者からの返信
ふでばこさん、コメントありがとうございます!
う~ん、現代の三途の川は、文庫本やスマホをもった人々であふれかえりそうですよね!笑
そう考えると、なんかディズニーランドとかUSJのアトラクションみたいに思えてきました。係員の妖怪じいさんとばあさんが目を離した隙に、ひとりで渡る女性が出てきたり……。「ああ、駄目じゃ、戻れ、戻れ!」とか叫んでそう……笑
>可愛い男の子を頂きまくったお姉さま
……は、肉欲の罪で、間違いなく3番の急流でしょうね。ただし、女性が男性を背負うという話は見たことがないので、やっぱり、「初めての男」に背負われて渡るんでしょうね!
そう考えると、女性にやさしい世界観なのかも!?