美しい言葉遊びですね。
教養と思いやりが綯い交ぜになっていてうっとりします。
自分でも、こんなに洒落たやりとりができたらカッコいいなと思いますが…。
教養(の無さ)が邪魔する(笑)。
私の「キツネの物語」に素敵なレビューを下さり、ありがとうございました。
とても嬉しかったです!
作者からの返信
内藤ふでばこさん、コメントありがとうございます!
>自分でも、こんなに洒落たやりとりができたら
頼朝や慈円自身も、まさにそのような「憧れ」のなかに生きていたのだと思います。「王朝びとへの憧れ」と言いますか……。東国に暮らしている頼朝は、特にその憧れが強かったことと思います。
憧れの思いにむかって行動していくと、いつしか自分も憧れと同化しているものなのかも……と、そんなことを思いました。
レビューコメント、喜んでいただけて幸いです!😄
洒落ているなあ。
これが「いとをかし」の感覚か!?
今の人が言ったらただの親父ギャグにしかならないものが、なぜこんな美し気に響くのだろう。
うちの母が「趣ある掛詞も、江戸時代の作品になってくるとただのダジャレに聞こえる」って言ってたのを思い出しました笑
時代が近づくにつれかっこよさが薄れて感じる不思議(笑)
作者からの返信
れんさん、コメントありがとうございます!
おお! まさに、「いとをかし」ですね~! それな~笑
確かに、お母様のおっしゃられるとおりですね。言葉には空気感がしみこんでいるんだと思います。
時代が下るにつれ、文筆の主体が、最先端のインテリ層から、どんどん庶民層におりてくる。識字率が高まるのは喜ばしいことなんだけど、鋭く美しいものよりも、とっちらかったような、身近なギャグセンスのほうが尊ばれがちに。江戸時代のほうが、庶民の空気をまとっている。
ま、どちらも好きですけどね笑😄