いつか思い出す、あの恋の結末

如月逕和

最後の逢引

 付き合うか、付き合わないかは、セックスできるか、できないかだと思っている。大学生になった途端、親からの束縛を逃れて一気に枷が外れた私は、合コンに呼ばれれば一つ返事で参加、クラブで踊り明かし、好きでもない男とキスをして駆け引きを楽しんだりした。でも、身体を簡単に許すことは絶対にしなかった。セックスは愛を求め合うものだとそう信じていたから。愛のないセックスに意味はない。ただ快楽を求めるだけの行為に何も魅力を感じないからだ。

「また来るの?」

「またってもうあれから1年は経ってるよ。」

「まぁ私はもう社会人だからね、そっち行くくらい大したことないから。」

「無駄に大学院に行ってる俺への当てつけかよ。」

「当てつけじゃないけど、こっち来たって遊ぶようなところないし、そっちの方が遊ぶ所いっぱいあるじゃない?なに来てくれるの?」

んーと口ごもる彼に、私はとりあえず行くから来週あけといてねと早口にまくし立てて電話を切った。

 当時流行っていたSNSで知り合って私が一方的にスキスキと言い続けてはや7年になる。高校3年生のウブな私はもういない。処女はハタチになる前に初めて付き合った男に捨てた。その男は、歴代の彼氏の中でぶちぎりでセックスがうまかったと知ったのは別れて他の男とシた時だった。セックスが上手い理由は結局、若い頃から遊んで来た証拠なんだよなと思いつつ彼と肌を重ねていた日々を思い出すこともある。でも結局、私はそれを捨ててしまって今はひとり。ただそれを後悔したことはない。自分で決めたことには責任を持たなければならないからだ。

 一泊二日の荷物は当日朝に、ボストンバッグに詰め込めるほど身軽に用意ができるようになったのも、社会人になれてきた証拠なのかもしれない。出張と違いところをあげるのであれば、服が少しかさむだけ。いつも通りの出張アイテムの洗面用品に、使い切りのデパコスでもらったちょっといい試供品のクリームを入れる。継続しないと意味がないことは分かっていても、少しぐらいは効果があるだろうと希望を抱いてチャックを閉じた。いつもより丁寧にスキンケアをして、メイクを施していく。「アレクサ、お気に入りの曲流して。」と言えばアレクサは「はい、お気に入りの曲を流します。」と機械的に返事をしてミュージックが流れる。いつも通りの休日の始まりのように見えて、実はそうではなかった。これから会いにいく彼との最後のデートになるのだから。

 新幹線で片道1時間半で着く都会は、いつ来てもきらびやかで田舎臭くないかいつも心配になる。私たちの待ち合わせ場所はいつも同じ「銀の鈴」初めて東京に来た私が迷子になって、ようやく着いた場所が銀の鈴。半泣きになりながら彼に電話して迎えに来てもらったのも随分前のことだ。もう慣れたからいく場所の近くの駅でいいよといっても彼は断固として、待ち合わせ場所を銀の鈴から変えなかった。すでにボストンバッグはコインロッカーに預けて、ミニバックだけをさげて彼が来るのを待つ。まるで普通のデートの待ち合わせのように身軽な私を

彼はもっと身軽な格好でやってくる。ナンセンス。考えるのはやめよう。いつも通り約束の時間を少しすぎた頃にやってくる彼を見つけて私から駆け寄る。

「遅刻なんだけど?」

「いつものことじゃん?」

悪気なくそういう彼に、私は口を尖らせてそういうことじゃなくてと腰に手をあてて彼を見上げた。そんな風に睨んでも怖くないからとケラケラと笑った。ほら、時間が勿体無いでしょ。行こうかと、遅刻してきておいて私を急かすように、けど優しく私の腰に手を回してその場から歩き出す。

「今日はどこに行こうかプリンセス?」

「…空飛ぶペンギンがいる水族館。」

「…お望みのままに。」

ぽつりと呟いたその言葉に、揶揄って笑うこともなく私を導く彼にエスコートされて足を早めた。

 東京に来るといつも立ち寄る池袋。聖地めぐりと題して彼を連れまわしたことが記憶に新しい。東口を出てすぐの老舗のパン屋さんの2階の喫茶店でいつも通りの遅めのランチをとる。出かける前に食べたからお腹空いてないという彼はコーヒーだけでいいと言い、いつも頼むレディースセットでケーキを一つに絞れなくて、痺れを切らした彼が結局ケーキセットにして決めかねたもうひとつのケーキを頼んでくれるのがいつもの見慣れた光景だ。んーおいしいっと、一口一口味わって食べる私を彼はホットコーヒーを啜りながらそりゃ、良かったと涼しげに言う。

「空飛ぶペンギンみたら次はどこ行くの?また聖地巡礼?」

「もぉ、私が聖地巡礼女みたいじゃない!毎回は行ってないもん。ここのケーキが食べたかったの!」

「本当、ここのケーキ好きだよなお前…」

「ええ、好きよ。とっても…」

貴方と一緒に食べるここでのケーキは格別だものとは言えずに、私は最後の一口を口に運んだ。

 飲み込んだのを確認した彼が、行くかと腰をあげたのをみて素直に頷く。伝票を先に手に取ったのは

私の方で、払うよと言ってくれた彼に私は首を横に振った。

「付き合わせたのは私だし、ケーキ半分以上食べたから…その代わり、夜ご飯は貴方の奢りね。」

しぶしぶと言ったように財布をポケットにしまえば邪魔にならないようにと先に店を出て行く彼の後ろ姿を見送る。支払いを済ませて外に出ると電話をしてる彼がいた。手をあげて私に近づかれないようにするためにか背を向けた。来るなと制されてる事もを分かった上で私は、その背中に抱きついた。

相手は誰なのか、もしかしたら彼女かもしれない。けど私にはそれを聞く資格もなければ、嫉妬する資格もない。ただ、早く電話が終わればいいのにと抱きついたその温もりを忘れないようにと目を閉じた。

 悪いといった彼の謝罪は何に対してなのか分からないまま、私はいいよと言って手を差し出した。彼はその手を迷う事なく握りしめて、私を連れてってくれる。空飛ぶペンギンなんてよく考えたものだ。諸説あるが、昔はペンギンは空を飛べたと言われている。進化の過程で飛ぶことが必要ではなくなったから飛べなくなったそうだ。空飛ぶペンギンのエリアはその上にある空の青でまるで飛んでいるように見える。それは、人間のエゴかもしれないが、あったかもしれない世界に私は酔わせられる。私もかもしれない世界に酔いしれているのかもしれない。その酔いから醒めるまでのカウントダウンは確かに、ゆっくりと近づいていた。

 東京という街は移動するだけでどうしてこんなにも時間がかかるのだろうか。コンパクトに見えて全然コンパクトなんかではない。東池袋駅から有楽町駅まで約30分。彼のおすすめだと言うもんじゃ焼き屋さんを目指してゆらゆらと電車に揺られる。電車の揺れってなんでこんなにも眠気を誘うのだろうか。まるでゆりかごの中にいるようで、繋がれた右手を握ったり離したりして意識を保とうとする。

「眠いでしょ?寝てていいよ。着く前に起こしてあげる。」

「んーでも、お喋りしたいもん。」

そう言いながらも、意識が少しずつ遠のくのが分かった。少しだけ高い位置にある彼の肩に頭を乗せてワガママを言う。彼の返事を聞く前に眠気には勝てずに眠りに落ちた。

 彼がオススメする、もんじゃ焼き屋さんは店員さんが焼いてくれるスタイルの所で、それはもう可愛らしい店員さんが焼いてくれた。

「可愛い女の子が焼いてくれたもんじゃ焼きは美味しいね!」

「社会人になっても女の子好きは治らないんだね。」

「え?可愛いは正義でしょ?」

はいはいと半分諦めたように、頷く彼を見ながら私はもんじゃ焼きへ小さなヘラを使ってすくったアツアツのもんじゃ焼きを口に運んで、ビールで流し込んだ。

「そうだ、今日泊まるホテルは決まってるの?駅まで送るよ。」

ビールのジョッキを静かに置いて、彼と目線を合わせてそっと晒した。先に東京駅に置いてあったボストンバッグを回収してから、このもんじゃ焼き屋さんに来てるから当たり前なんだけど、食べ終わったらサヨナラの時間だ。周りの活気のいい店員さんの挨拶の声と、上機嫌なおっさんの声。若い女性達甘い声と、人当たりのいい雰囲気を装っているような若い男性達の声に私と彼の返答はかき消された。目の前のジュウーと焼ける音がやけにうるさくも聞こえた。

「…一緒に泊まってくれる?」

「…いいよ。」

 ビジネスホテルのダブルは、ラブホテルみたいにイヤラシイ雰囲気は何もなく、必要なものが程よく揃っていた。一夜の間違えにはちょうどいいのかもしれない。部屋に入ってすぐに彼は私を後ろから抱きしめた。

「ねぇ、誘ったってことは、そういう意味であってる?」

「んーそうだね。んーどうだろう?」

と答えになってない返事をして、まわされた腕を解いて中へと進んだ。ボストンバッグを机の上に置いて、未だにドアの前にいる彼の方向を向いた。ホテルに入る前に寄ったコンビニでストロングゼロを開けて、喉に流し込んだ。もっと酔わないと、頭に残る罪悪感の本能を消し去らないと過ちを侵さない弱い私。ゆっくりと近づく彼に、飲みかけのストロングを手渡す。黙って受け取ったそれに口をつける。喉を通るたびに、動く喉仏。私にはない男らしさ。

愛のないセックスは嫌だと思う反面、長い間燻らせてきたこの恋を昇華する為には、それしかないと思った。飲み干され空になった缶は彼の手でテーブルに置かれた。テーブルと彼との間に挟まれた私は、彼の頬に両手を添えた。愛おしそうに私の名前を呼ぶ。これまで呼び捨てで呼んだことなどなかったのに。その優しい声に、否定することなど出来なくて私も応えるように彼の名前を呼んだ。

 優しく触れる唇と唇の合間に溢れる吐息。深くなればなるほど、身体は熱くなり、止められなくなる。簡単にブラウスの隙間から手が入り込んで、手慣れたようにブラジャーのホックが外される。ブラウスもブラジャーも彼の手によって床に落ちていく、そのままゆっくりとベッドに倒れ込み、腰の辺りを跨いだまま、彼は上半身のシャツを脱いだ。明るいままのライトに照らされて、程よくしまった身体付きに反射的に私は胸を隠した。

「なんで隠すの?綺麗だよ。」

「明るすぎるのは嫌いなの、お願い暗くして…」

その言葉に、彼はいくつかスイッチを切って、回して丁度いい暗さになった所で、胸を隠してた私の手を解いてベッドに押さえつけた。首筋に、胸元に、お腹に、脇腹に、まるで恋人が証を残すようにゆっくりとキスを落とす。その行為が私にはただ虚しく感じた。優しくしないで、もっと酷く、強く、自らの欲望のままにぶつけてくれたら。私は淫らな女として受け止められるのに、こんなにも苦しい思いをしなくても済むのに。降り注ぐ口付けに、まるでそこに愛があるように錯覚した。本物の恋人のように私の名前を何度も呼んで、耳元で甘い言葉を囁いた。「可愛い。もっと声聞かせて。」「手で口押さえちゃダメ、聞こえないでしょ?」「ねぇ、名前呼んでよ。」

 夜明け前、目が覚めた私に映ったのは規則正しく繰り返される寝息をたててる彼の横顔。産まれたままの姿の私たちは恋人のように抱き合って眠っていた。腕枕をしたままの彼の手は痺れてないだろうかと不安になりそっと腕から離れた。ベッドの周りに散乱してる服を見て昨日のことが夢ではないことを思い知らされる。上体を起こした事に気づいた彼が私の名を呼んだ。

「まだ、夜明け前だよ。もう少し一緒に眠ろう」

そう言って、身体を引き寄せた。まだ、今日が終わるまではこのまま彼の優しさに溺れていたい。私はもう一度彼の腕の中でもう一眠りする。

これが、偽りの愛だったとしても、私の心は満たされていた。さよなら、愛した人。

ーこれが最後の逢引。






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