第42話 勇者パーティー12:潰走翌日
翌朝、クリストフは静かに覚醒した。
「なんで俺はベッドで寝てるんだ? 昨日は確か……」
見覚えのある自室の天井。
だが、ベッドで寝付いた覚えはない。
胸の辺りに感じる重みに視線をやると、椅子に座ったクウカが上体を預けたまま眠っている。
「どういう状況だ?」
クリストフは記憶の糸をたどっていく――。
「そうだ。ジェイソンを入れてダンジョンに潜ったんだ。第10階層から始めて……ストーンゴーレムと戦って……」
!!!!!!
――眼前に迫る巨大な石の拳。
――今までに味わったことがない激しい衝撃。
――弾き飛ばされる身体。
「うわああああああああ」
クリストフは跳び上がる様に上体を起こす。
突如、記憶がフラッシュバックした。
急激に流れ込んでくる昨日の体験。
あの瞬間が何度も何度もリピートされる。
目を閉じても浮かんでくるストーンゴーレムの拳。
いくら追い払おうとしても、追い払うことが出来ない。
クリストフは頭を抱えて呻く。
「うううううう」
それは――クリストフが初めて感じた死の恐怖だった。
今までどんなモンスターと戦っても恐怖することはなかった。
しかし、格下と舐めきっていたストーンゴーレムの一撃はクリストフの心に大きな楔(くさび)を打ち込んだ。
そして、その楔を押し広げたのはクウカだった。
一晩かけて【恐怖(フィアー)】を染み込ませ、決して消えない深い傷を心の奥底に植え込んだのだ。
「クリストフ?」
目を覚ましたクウカが声をかける。
ガタガタと肩を震わすクリストフに。
だが、その声はクリストフには届かない。
「ねえ、クリストフ。大丈夫なの?」
肩を揺すり、さっきより大きな声で話しかける。
ようやく気が付いたクリストフが顔を上げる。
「クウカ……」
悪夢に怯える子どもが母親に縋るような目でクウカを見上げる。
その目にクウカは欲情する。
――いいわ。なんて素敵な目なの。クリストフ。ああ、クリストフぅ。
だが、そんな思いはクリストフに悟らせず、聖母のような笑みでクリストフを迎え入れる。
両手でクリストフの頭を抱え込み、優しく撫でつける。
「大丈夫よ。クリストフ。私がついているからね。ずっといつまでも私が一緒にいるわ。あなたは私が守ってあげるわね」
「うわ〜〜〜〜ん」
抱きしめられたクリストフは恐怖から逃れるように、恥も外聞もなく泣きわめき、クウカにすがりついた。
そんなクリストフの頭をクウカは優しく優しく癒やすように撫で続ける。
回復魔法の【平常心(ピース・オブ・マインド)】を弱く織り交ぜながら。
本来なら、【平常心(ピース・オブ・マインド)】は短時間で心の平静を取り戻させる魔法だ。
しかし、クウカは違う使い方をした。
出力を最小限に絞り、少しずつ少しずつクリストフの心を落ち着かせるように。
もちろん、クリストフのためではない。
時間をかけてゆっくりと、彼女への依存心を植え付けるために。
彼女が頭をひと撫でするたびに、クリストフの恐怖と不安は薄れ、潜在意識下で彼女に依存する気持ちが大きくなる。
だが、恐怖に怯えるクリストフはそんな彼女の意図には気付かない。そして、彼女の笑顔が醜く歪んでいることにも――。
◇◆◇◆◇◆◇
クリストフは長い時間、クウカの腕の中で泣きじゃくった。
他人に決して弱みを見せない彼にとって、それは初めての事だった。
そんな事を構っていられないほど、クリストフに刻み込まれた恐怖は大きなものだった。
その恐怖もクウカがひと撫でする度に薄まっていく。
【平常心(ピース・オブ・マインド)】が織り込まれたひと撫でで。
やがて、涙も止まり、恐怖も薄れていく――。
「少しは落ち着いた、クリストフ?」
「あっ、ああ。すまない」
「仕方がないわよ。あんな事があったばかりだもの」
「あんな事」――その言葉にクリストフは記憶が刺激され、ピクリと震える。
いくら薄まっても、恐怖は完全にはなくならない。
「ほら、薬を飲んで、もう少し休んだ方がいいわ。準備するから待っててね」
「ああ」
クウカは昨日と同じ粉末を水に溶かし、クリストフに渡す。
「はい。これを飲めば気持ちが落ち着くわよ」
「ああ」
クリストフは疑いもせずに飲み干す。
「横になった方が良いわよ」
「ああ」
だんだんとクリストフの頭はぼうっとしてくる。
クウカの言うがままベッドに横になった。
「もう少し眠る?」
「いや……」
「怖いの?」
「……ああ」
「大丈夫よ。私が付いていてあげる」
クリストフはこれまで多くの女性に手を出してきた。
彼にとって女を抱くのは遊び。
誰かに本気になるつもりはなかった。
特定の相手に縛られず、恋愛を謳歌する。
それこそ、勇者である自分に相応しい。
そう思っているからだ。
だから、今までクウカには手を出さなかった。
彼女が好意を抱いていることも知っていたし、何度かアプローチをかけられたこともあった。
だけど、決して手出ししなかった。
クウカの情念の苛烈さを薄々感づいていたからだ。
一度抱いてしまえば、クウカは底知れぬ嫉妬心で雁字搦めに束縛するであろう。
それはクリストフの望むところではなかった。
だから、彼女の恋心を知りつつ、それを利用し、都合の良い駒として扱ってきた。
少なくともクリストフはそう信じ込んでいた。
本当はクウカの方が一枚上手で、逃げ道をひとつずつ潰し、クリストフが逃れられぬ蟻地獄に嵌まる日を虎視眈々と狙っていたのだ。
そして、その罠に今――クリストフが嵌り込んだ。
嵌り込んでしまった。
しかし、薬で思考がぼやけているクリストフはそれに気が付かない。
クウカが与えた薬は昨日の睡眠薬だ。
しかし、量を抑えてある。
眠りには落ちないけど、思考が覚束なくなる程度に。
まさにクウカの計算通り。
自分の計略が上手くいった喜びにクウカは打ち震えていた――。
◇◆◇◆◇◆◇
【後書き】
【朗報】クウカちゃん無事闇堕ちルート突入!
次回――『火炎窟攻略2日目9:リュークとセラ』
若いってイイね!
ラーズと3歳しか変わんないけど。
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