第740話 side:トレント

「アアァッ!」


 キマイラの一体が、しつこく私の〖樹籠の鎧〗の木の根へと喰らいつき、そのまま首を振ってこちらの動きを乱す。

 そちらの対応に追われて速度が大きく落ち、その隙に他のキマイラ達が私達の先へと回り込もうとする。


『ぐぅっ!』


 私は〖樹籠の鎧〗を身体から切り離した。


『アロ殿、すぐに飛行速度の上昇を! このままではキマイラに囲まれ……』


 前方へと向き直ったとき、回り込んだキマイラが、私のすぐ目前へと迫って来ていた。


『あ……』


 アロ殿の分身の二体は、他のキマイラへの対応に追われていた。

 即座にこちらのカバーへ回ることのできる余力はなさそうであった。


 アロ殿は咄嗟に肥大化させた右腕をキマイラの口へと押し当て、噛みつかせた。

 噛み潰された骨の砕ける音がして、血飛沫が舞った。


「〖ダークスフィア〗!」


 アロ殿の叫び声と共に、キマイラの頭部を中心に魔法陣が展開される。

 キマイラの頭が爆ぜて血肉が飛び散る。紫の爆炎が口と鼻の穴から漏れた。


 アロ殿はキマイラの口から自身の腕を引き出す。

 痛々しい牙の痕が残っており、自身の〖ダークスフィア〗で焼け爛れていた。


『アロ殿っ!』


「大丈夫……すぐに、再生できるから……!」


 そのアロ殿の背後に、キマイラが迫っていた。


「あ……」


 アロ殿の右翼が、背中の肉ごと喰い千切られる。

 アロ殿は私から手を離し、地上へと頭から落下していく。


 私は大急ぎで降りて、彼女の身体を〖樹籠の鎧〗の木の根で支えた。


『し、しっかりしてくだされ、アロ殿!』


「ごめん……トレントさん、私、もう魔力が……」


『そんな……!』


 周囲は既にキマイラに囲まれてしまっている。

 この状況で攻撃面の能力に長けるアロ殿が動けなくなってしまっては、もはや私にできることは何もない。

 何せキマイラは我々よりも素早いのである。

 もう逃げられる術がなかった。


 私とアロ殿の前と後ろに、アロ殿の分身が二体降りてきた。


「〖ゲール〗!」


 前後に大きな竜巻を飛ばして、囲むように接近していたキマイラの群れを吹き飛ばす。


「ま、魔力、もうないけど……仕方なかったよね?」


 泣きそうな顔で、分身の一体が私達へと声を掛けてくる。


『はい……ありがとうございましたぞ』


 〖ゲール〗で周囲のキマイラを遠ざけてくれなければ、今頃私達はキマイラの餌にされていたはずである。

 しかし、今の〖ゲール〗でキマイラを倒せたわけでもない。

 ただ距離を取れただけである。

 周囲を包囲されている状況に変わりはないし、こうしている間にも後続のキマイラ達がどんどんと私達の許へ迫ってきている。


 ……そして、私もアロ殿も、もうロクに魔力が残っていない。


 考えねば……考えねば。

 今からどうにかできる方法が、何か、きっと、まだ残されているはずである。


「アアアァアアッ!」


 〖ゲール〗の竜巻が止むと同時に、遠ざかっていたキマイラ達が、一斉に我々の許へと集まってくる。


 そのとき、キマイラ達を踏み潰し、魔獣王が我々の前へと姿を現した。

 それだけで大地が揺るぎ、土の飛沫が舞った。


『流石ニ限界ダッタヨウダナ。〖暴獣万化〗ハ必要ナカッタカ』


『あ、あ、ああ……』


 ついに本体が来てしまった。

 圧倒的な巨躯が我々を見下ろす。


『ダガ、セメテモノ情ケダ。我ガ拳デ葬ッテヤロウ』


 魔獣王が四つの腕を構える。


 周囲にはA級上位のキマイラの群れが百体以上……。

 対面するのは、伝説級上位の魔獣王。

 ここにいる全ての敵が、我々よりも遥かに速い。


 もう……全員無事に生還することは、明らかに不可能であった。


 私は〖樹籠の鎧〗で包んだアロ殿を、彼女の分身の片割れへと放り投げた。

 分身は大慌てでアロ殿を抱き止めた。


「うぐっ! トレント、さん……?」


『アロ殿……私が隙を作ります。森へと戻って、リトヴェアル族を助けてやってくだされ』


 私は言いながら〖木霊化〗を解除した。

 元の姿……ワールドトレントへと戻る。


『ホウ……小サキ者ト言ッタノハ、取リ消ス必要ガアリソウダ』


 魔獣王が楽しげに口にする。


「トレントさん! 何をやってるの! 今元の姿に戻ったら……!」


『〖不死再生〗ですぞ!』


 私の身体が青い光に覆われた。


 〖不死再生〗……限界までMPを吐き出し続ける代わりに、自身の生命力を爆発的に上昇させるスキルである。

 使用間は強制的にHPを回復させ続け、防御力を引き上げる。

 私がこれで魔獣王とキマイラの気を引いてみせる。


 それに……私には、〖不死再生〗と〖ウッドカウンター〗のコンボがある。

 〖不死再生〗で耐えた後に、〖ウッドカウンター〗で相手の攻撃力を利用してそのままぶん殴ることができるのだ。

 これだけは魔獣王相手にも有効なはずである。


 倒しきれるなんて甘いことは考えていないが、アロ殿が逃げられるくらいの時間は稼いでみせる……!


『大シタ戦士ダ。貴様ノ事ハ、我ガ自我ガ〖スピリット・サーヴァント〗ニ完全ニ呑マレルマデハ覚エテオイテヤル』


 魔獣王が腕を大きく引いた。

 拳を振るうところは見えなかった。

 次の瞬間、大きな衝撃が私の身体を貫き……気が付けば、私は奴から離れたところで転がっていた。


『あ……あが、今、何が……』


 私の身体から、力が抜け落ちていく……。

 〖不死再生〗の青い輝きが消えていく……。


 〖不死再生〗は残りのMPが1%以下になれば解除される。

 どうやら魔獣王の一撃から死を防ぐためだけに、私の残りのMPは完全に失われてしまったようである。

 HPもMPももう残ってはいなかった。

 もうこれ以上は、何のスキルも使えない。


「トレントさんっ!」


 アロ殿の叫び声が、遠く聞こえる。


 すみませぬ、アロ殿……。

 私は命を張っても、ただの僅かな時間稼ぎさえできませんでした。


『マダ生キテイルトハ……ナント頑丈ナ奴ヨ』


 魔獣王が私を称賛する。


『〖死神の種〗は、私のスキル。我々を追ってきたのは、このスキルを解除することが目的であったはず。私を殺せば、〖死神の種〗は止まりますぞ。どうか、お願いします……アロ殿だけは、見逃してくだされ……』


『悪イガ……我ガ行動ヲ決定スルノハ、最早我デハナイノダ』


 ……〖スピリット・サーヴァント〗のことだろう。

 魔獣王は自我があるようにこそ振る舞ってこそいるが、〖スピリット・サーヴァント〗の支配から逃れられているわけではないらしい。


『ソレニ、貴様ノ友モ、ソノツモリハナイラシイ』


 三体のアロ殿が、魔獣王の前に並んで浮かんでいた。

 真剣な面持ちで魔獣王と対峙している。

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