第716話 side:ヴォルク
『ク、クク……たかだか定命の剣士に敗れ……見透かされるとは』
アーレスの巨体がぐらりと揺れ、その場に膝を突いた。
『剣を……返してもらえぬか?』
ヴォルクは迷いなく、アーレスへと剣を突き出した。
『イイノカ……?』
アトラナートが恐々と我へ問う。
我は頷いた。
「自害するつもりらしい。偽りはないだろう」
『……感謝を。晩年を汚したオレだが、死に様くらいは……ぐうっ! うう、うぐぅおおおおおお!』
アーレスが潰れた兜を押さえて、苦しそうにそう叫ぶ。
鎧が、膨張している。
鎧の内部でアーレスの身体が膨れ上がっている。
「アーレス……?」
『自我が、オレの自我が、再び消えていく……オレは、オレは……! おお、おおおおおっ!』
『ヴォルク、様子ガ妙ダ!』
アトラナートが手から伸ばした糸が、我の手の素早く〖神裁のアスカロン〗を奪った。
そのままアトラナートが腕を振るい、〖神裁のアスカロン〗をアーレスの潰れた兜へと叩きつけようとした。
だが、アーレスの鎧を喰い破るようにして、その全身から赤黒い触手が伸びる。
触手は〖神裁のアスカロン〗を弾き飛ばした。
「おお、おおおお、オオオオオオオオオオッ!」
アーレスの身体が膨れ上がり、聖堂を崩していく。
『崩レルゾ!』
アトラナートが叫ぶ。
我とマギアタイトに糸を飛ばして付けると、聖堂の外へと勢いよく振るった。
地面に身体を打ち付けそうになったが、丸めて受け身を取り、素早く起き上がった。
アーレスの巨体に呑まれた聖堂が完全に崩壊していた。
「なんだ、あの異様な姿は……」
アーレスは異形へと変貌していた。
許の面影など、もはやどこにも残っていない。
その姿は青い、巨大な四足獣であった。
全身から赤黒い不気味な触手を伸ばしており、頭には禍々しい巻き角があり、獅子と人間の中間のような不気味な顔をしていた。
顔のすぐ下には、胸部の全体を占めるかのような大きく裂けた口がついていた。
『オ、オ、オオ……! オレは絶対的な存在……! この世界の王となり、全てを支配する……!』
アーレスの悍ましい〖念話〗が響く。
『妄執ニ囚ワレ、完全ニ正気ヲ失ッタカ!』
「……いや、恐らく、正気に戻ったからこそ自我を奪われたのだろう」
元々アーレスは最東の異境地に現れた際には、自我を全く持っていないように見えた。
〖スピリット・サーヴァント〗として長く顕在化したからか、故郷の地を踏んだからか、その後は自我が戻っているように見えたが、あれも結局は完全なものではなかったのだろう。
〖スピリット・サーヴァント〗は術者が都合よく対象を使役するためのスキルである。
アーレスの妄執は、神の声の目的に合わせて都合よく歪められていたのだろう。
目的の邪魔にはならないと残されていた自我が、アーレスが正気に戻ったことで妨げとなって奪われてしまったのだ。
『ドウスル、ヴォルク? コウナッテハ……』
アトラナートが我へと問いかけてくる。
許より我らがあの四体の中からアーレスを追ったのは、人型である相手ならばまだ戦える余地があるかもしれないという判断の許であった。
これほど巨大な相手になってしまえば、これ以上はもうやりようがない。
ハウグレーは世界の歪みを突いた力を用いてイルシア相手にも戦っていたが、あのような真似は我にはできない。
それに何より、我の肉体は既に限界を迎えていた。
「しかし、ここまで来て、ただ逃げるわけには……!」
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
アーレスのけたたましい咆哮が響く。
奴は高く掲げた前脚を地面へと叩きつける。
身体に大きな衝撃を感じ、我の身体は跳ね上げられた。
周囲の地面が全て裏返ったかのようにさえ感じた。
落ちた先はアトラナートの糸玉であった。
「すまぬ、助けられた……」
咄嗟に糸玉を作り出し、無防備に跳ね上げられた我を助けてくれたようであった。
『……ソレヨリ、アレ』
アトラナートが爪で示す。
視線を向ければ、ハレナエの街を突っ切って、一直線に巨大な崖が形成されていた。
それは砂漠の果てまで続いている。
ハレナエの全土より、人々の悲鳴と絶望の声が上がっていた。
アーレスが爪で地面を殴りつけて、地割れを引き起こしたようであった。
我が到着する前に、ハレナエに生じしていた巨大な崖……。
アーレスが引き起こしたものであるとはわかっていたが、これほど軽々しくこの惨状を引き起こしたのだとは思っていなかった。
「あんな化け物……どうやって止めれば……」
「オオオオオオオオオオオオオオッ!」
またアーレスが咆哮を上げて、両の前脚を持ち上げる。
再び先の攻撃を繰り返すつもりのようであった。
「ぐっ……!」
我は唇を噛んだ。
どうすればよいのか、まるで打開策が浮かばない。
そのときであった。
高く掲げられたアーレスの両腕が、謎の一閃によって弾かれた。
「ウゥ、ウオオオオオオッ!」
見るからに頑強なアーレスの表皮を貫通し、切断された触手が辺りへと舞った。
空間を飛び越えて、突然斬撃が発生したかのようにも見えた。
我はこの技に心当たりがあった。
イルシアのスキル〖次元爪〗である。
「まさか……!」
我は振り返る。
空の果てより、赤黒い、大きな竜が高速で飛来してくるのが見えた。
「イルシアッ!」
姿こそ大きく変わっているがイルシアに間違いなかった。
あのスキルはイルシアのものであったし、こう都合よく現れて加勢に入った竜が、奴以外であるわけがない。
「グゥオオオオオオオオッ!」
イルシアは接近しながら〖次元爪〗の乱舞を放ち、アーレスの反撃を許さない。
アーレスは前脚と触手での防戦一方となっていた。
そのままイルシアは接近して奴の身体を掴むと、地上に押し付けて大地を削りながら、ハレナエの外へと向かっていった。
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