第704話 side:ミリア

 聖女ヨルネスがイルシアさんによって無事討伐されてから、聖都は今、生存者確認に大急ぎであった。

 本当は私もそうした活動に少しでも協力すべきなのだろうけれど、どうにも気が乗らず、崩落した家屋のがれきの上に座り、ぼんやりと崩れ落ちた聖都を眺めていた。


 元々私がリーアルム聖国までやって来たのは、イルシアさんについての話が聖女リリクシーラから聞けるかもしれない、と考えてのことであった。


 高位の魔物の多くは〖念話〗という意思疎通手段を有する。

 今はそれどころではない状況になってしまったのはわかってはいるけれど、それでも少しでもいいから、イルシアさんと何か言葉を交わしたかった。


 聞きたいことは山ほどあった。

 なぜあの森を去ったのか、これまでイルシアさんに何があったのか、今この世界に何が起きているのか、聖女リリクシーラはどうなったのか。

 そしてできれば、私がここに来るまでの旅で何をして、何を見てきたのかも話したかった。


『……すまねぇ』


 ……たったそれだけだった。

 恐怖の象徴でもあるアポカリプスは、申し訳なさげに私へと頭を下げると、さっとどこかへ飛んでいき、姿を消してしまった。

 いや、アーデジア王国の場所を聞いていたのだから、そこへ向かったのは間違いないだろう。

 しかし、それが何のためなのかも私にはわからない。


「はぁ……」


 私は深く、溜め息を吐いた。


「さすがにお疲れのようだな、ミリア」


 メルティアさんの声に、私は横目で背後を確認する。


「疲れ……なんでしょうかね」


「無理もないさ。あれだけ連日命の危機に晒されていたんだ。私は楽観的な方だと自覚があるんだが、さすがに今回に限っては命の危機を感じたよ。こうして生きているのが奇跡のようだ」


 ずっと張りつめていた気が弛緩して、その反動で身体に力が入らなくなってしまったのだろうか。

 いや、そうした感覚とは何かが違う。

 単にずっと追いかけていたイルシアさんから全く相手にされなかったから、というのも少し違う。


「……あの聖女ヨルネス、本物だったのでしょうか?」


「さぁな、考えてもわからんよ。それに私は……そのまぁ、自慢ではないのだが、あまり学がなくてな。聖女ヨルネスなんて、名前くらいしか知らん。具体的に彼女がいつの人物で、何を成した人かだなんてさっぱりだ」


 私が暗い調子だったのをどうにかしたいと思ったのか、メルティアさんはややお道化たふうにそう口にした。


「じゃあ……あのアポカリプスは、本物だったと思いますか?」


「アポカリプスって……あのドラゴンは、ミリアの捜していたイルシアさんだったのだろう? それともやっぱり別のドラゴンだったのか?」


「いえ、絶対にイルシアさんです。間違いありません」


 別に私は、イルシアさんが邪悪な心を持っているだとか、世界を滅ぼす存在なのだとか、そんなことを言いたいわけではない。

 ただ、イルシアさんが進化した姿がアポカリプスそのものであったとして、それが何を意味するのだろうかと考えていたのだ。


「う、ううむ……私は聖神教にはさほど詳しくないからなぁ……。アポカリプスの描かれた絵画というのも目にしたことがない。せっかくだから一目見てやろうとは思っていたのだが、どうやら此度の騒動の中で瓦礫の中に埋もれてしまったそうだ」


 メルティアさんは頭を掻きながら、そう口にする。


「ただ……だ、他ならぬ信仰深い聖神教の教徒達があの化け物が聖女ヨルネスであると信じているようだし、あのドラゴンも黙示録の竜に違いない、と言っているそうだ。彼らは私より遥かに聖神教について詳しい。私の意見などよりは、ずっと参考になるだろうな」


「……もし聖女ヨルネスが本物で、アポカリプスも本物だったのなら、この世界には今、いったい何が起きているんでしょうか。私は、この事件がこれで決着がついたのだとは、とても思えないんです。何か……これはもっと大変なことが起きる、その予兆みたいなものなんじゃないかなって」


 そして、その大きな災禍の渦は、イルシアさんを中心にして起こっているのではないだろうか。


 イルシアさんはアーデジア王国への方角を知りたがっていた。

 行かなければならない場所があるのだという、何か強い使命感のようなものを感じた。


 そこまで口にして、ようやく少しわかった。

 この込み上げてくる虚無感は、近い内に訪れるであろう更なる災禍への絶望感や、閉塞感に由来するものなのかもしれない。


「……もっと大変な事件の予兆、か。国一つ一夜の内に地図から消してしまえそうな化け物が前座とは笑えない話だが、強ち間違いではないかもしれんな。しかし、だとしても……私達にどうこうできることではない。考えて頭を抱えたって、仕方のない話だ」


 それはそうだろう。

 もはや伝承を超えて、神話の域に達しているような大事件が起こっている。

 人間一人に何かできるようなことではない。


「でも、なんだか凄く、不吉な予感がするんです。あのとき……どうにかして、イルシアさんともっと話をしておくべきだったんじゃないかって。そうです、このままだったら、もう二度とイルシアさんに会えないような、そんな気がするんです」


 イルシアさんは何か、とてつもなく大きな事件に巻き込まれようとしている。

 いや、もしかしたら、ずっと前からその連鎖のようなものの中に彼はいたのかもしれない。


 私は立ち上がり、東の果ての空を見た。

 イルシアさんが向かっていった方角であり、海原を超えた先にはアーデジア王国が位置する。


 向かわないと深く後悔するような、そんな気がした。

 イルシアさんの巻き込まれているであろう大事件に、私なんかが行ったって、なんともならないのはわかっている。

 しかし、ここで行かないともう二度と会えなくなるかもしれないという、そうした確信めいたものがあった。


「メルティアさん、私、アーデジア王国へ戻ってみようと思います」


「な、何を言い出すんだミリア!」


 メルティアさんは驚いたらしく、大声を上げた。


「身勝手なのはわかっています。……でも、ここで行かないと、ずっと後悔することになりそうな気がするんです」


「あのドラゴンがアーデジア王国で何をするのか、見届けたいというのか? だが、追い付けるわけがない」


「わかっています。それでも向かいたいんです」


 イルシアさんは、とんでもない速さで東の果てへと消えて、すぐにその姿が見えなくなってしまった。

 ここからアーデジア王国へ向かうには、船に乗るにも、大周りにして馬車で向かうにしても、最短でも一ヵ月は要するはずだ。

 私が辿り着く頃には、きっともう、全て終わってしまった後だと思う。


「……そう、か。元々、あのドラゴンの行方を追うのが、ミリアが一大決心をして村から飛び出してきた理由だったからな。ここで私が無暗に引き留めるわけにはいかんな」


「……ごめんなさい。最後の最後で、何もわからないまま別れを受け入れて、それっきりになってしまうのが怖いんです」


「最後まで付き合ってやりたくはあるが、私はしばらく聖都に残り、復興を手伝おうと思う。……ここでお別れだな」


「本当に、これまでお世話になりました。きっと……いえ、必ず、また別の地で会いましょう」


 私がそう言ってメルティアさんへと頭を下げたとき、近くの瓦礫の山が蠢き始めた。

 私とメルティアさんは、同時に各々の武器を構えた。


「な、なんだ、人間か? 誰かいるのか!」


 メルティアさんが大声を上げる。

 

 即座に攻撃したかったが、生き埋めにされていた人間が起きた、ということも考えられない話ではない。

 レベルの高い人ならば、この程度の瓦礫に埋もれても生きていることは充分に考えられる。

 私とメルティアさんは、じっと蠢く瓦礫を睨んでいた。


 しんと、瓦礫の動きが止まる。

 助け出すべきなのだろうか?

 私はメルティアさんに目配せし、それからゆっくりと瓦礫の山へと歩み寄った。


 そのとき、瓦礫の山が瞬時にひっくり返された。

 中から現れたのは、聖女ヨルネスが〖ニルヴァーナ〗によって死体から生み出した化け物であった。


 腕が三本あり、目が四つ並んでいる。

 背丈は二メートル以上ある。


「あの化け物の、生き残り!?」


 化け物は身を隠すような知性はないようだったので、騒ぎにならないということは全て片付いたのだろうと油断していた。

 恐らくこの個体は、身を隠していたのではなく、瓦礫に埋もれ、振り払う体力が回復するのを待っていたのだ。


「まずいな……デカめの奴か」


 メルティアさんが舌を鳴らす。


 化け物の大きさは、私がこれまで見た限りでは、概ね三通り存在する。

 人間とさほど変わらない個体と、この目前の個体のような人間より一回り大きな個体、そしてイルシアさんが倒していた四メートル以上はある個体である。


「〖ファイアスフィア〗!」


 私が放った炎弾を、化け物は三本目の腕でガードする。

 腕から焼け焦げて煙が上がるが、本体はまるで痛がっているような様子も見せない。


「くらうがいいっ!」


 腕で炎弾を防いだ隙にメルティアさんが素早く剣の一撃を叩き込んだ。

 化け物の硝子のような硬質の体表に刃がめり込み、罅が走った。

 しかし化け物は素早く持ち直し、三本の腕で、メルティアさんの剣の刃をがっしりと掴む。


「く、くそ、このっ! 放せ!」


「メルティアさん、剣を放して!」


 純粋な力勝負になった時点で、この化け物相手に打ち勝つのは不可能だ。

 ましてや相手は、手の数が違う。

 化け物は刃を握り締めていた手の一本を放して、メルティアさんの腹部へ拳を打ち付けた。


「ぐぁっ!」


 メルティアさんの身体が吹き飛ばされ、地面に膝をつく形で着地した。


 判断が一瞬間に合ったため、化け物の拳をまともに受けるのは避けられたようだ。

 剣を引っ張り合っている状態で叩き込まれていたら、力の逃げ場がなかった。

 化け物が素早くメルティアさんに飛び掛かって体当たりを仕掛けるのを、メルティアさんは地面を転がるようにしてどうにか逃れた。


 メルティアさんの膝からの着地は、足にかなりの負荷が掛かっていたはずだ。

 だが、それでも体勢を強引に整えたおかげで、化け物の追撃を回避することができたのだ。

 ギリギリの判断であった。

 

 しかし、長くは持たない。

 私の魔法とメルティアさんの剣では、あの化け物にはあと一歩及ばない。


 こちらは段々と負傷させられ、消耗していくというのに、あの化け物は自身の損傷について、さほど気に留めていないように思える。

 腕が丸焦げになっても、腹部を砕かれてもお構いなしだ。

 痛覚が薄いが故に、打たれ強いのも奴らの強みであった。


 近くに戦えそうな僧兵も見当たらないため、応援を呼ぶこともできやしない。


「〖ファイアスフィア〗! 〖ファイアスフィア〗!」


 私は炎弾を連発した。


 長期戦になれば順当に地力で敗れる。

 短期決戦を仕掛けるしかない。


 化け物は、スッ、スッと、機敏な動きで炎弾を避ける。

 完全に見切られている。


 メルティアさんが足を負傷してまともに仕掛けられなくなったため、私からの魔法スキルにその分意識を割くことができるのだろう。

 これでは上手く引っ掛けて一撃当てることができたとしても、決定打を与えることは決してできない。


「このままじゃ……」


 私は必死に頭を回転させる。

 何かあるはずだ。

 この化け物が異様に打たれ強いとはいえ、足を損壊すれば機動力は大幅に落ちる。

 意表をついて一撃当てることさえできれば、そのまま倒すことは叶わないにしても、形勢は大きく変わるはずだ。


 そのとき、空から何か、黒い魔物が飛来してきた。

 翼を広げてこちらへと滑空してきている。


 その魔物は化け物の頭に牙を立てると、身体を素早く回転させながら地面へと降り立った。

 化け物の頭部が宙を舞う。

 化け物は頭を失くしてもしばしその場に突っ立っていたが、やがて自身が死んだことに気が付いたかのように、膝から崩れ落ちて動かなくなった。


 魔物は黒い、ドラゴンのような姿をしていた。

 全長は四メートル程であり、身体に走る線様はどこか美しくもあり、魔物の神秘的な雰囲気を演出していた。

 蝙蝠に似た翼が背からは伸びている。


「た、助けて、くれたの?」


 私は魔物へと声を掛ける。

 魔物はぐぐっと背伸びをしたかと思えば、私の方を振り返った。

 その円らな愛らしい瞳に、私は見覚えがあった。


「キシッ!」


「クロちゃんっ!?」


 王都での動乱の最中で行方不明になっていた、クロちゃんだ。


 外見も大きさも変わっている。

 以前のクロちゃんに翼は生えていなかったし、大きさも現在の半分程度であったはずだ。

 しかし、クロちゃんであることに間違いなかった。


 私は感極まって、思わずクロちゃんに抱き着いた。


「ありがとう! クロちゃん、もしかして助けにきてくれたの?」


 クロちゃんはくすぐったそうに首を竦めながら、二又の尾をフリフリと揺らす。


 聖女ヨルネス騒動の間、聖都内でクロちゃんのような魔物が発見されたという話は特に聞かなかった。

 聖女ヨルネスの展開していた結界のせいで中に入れず、周囲をウロウロしていたのかもしれない。


 ふと、私は気が付いた。

 通常のルートでアーデジア王国へと向かえば、イルシアさんを追うのにはどれだけ急いだって、一ヵ月近くは掛かるはずだ。


 しかし、今のクロちゃんには翼がある。

 クロちゃんは私と別れてから、進化して現在の姿を手に入れたのだろう。

 身体能力だって以前よりも跳ね上がっているはずだ。


 だとすれば、クロちゃんの力を借りれば、通常のルートで進むよりもずっと早くにアーデジア王国へと辿り着くことができるかもしれない。


 私は抱き着いていた腕を解き、クロちゃんと至近距離から顔を合わせた。クロちゃんも私の様子に真剣なものを感じ取ったらしく、首の角度を戻し、尾の動きを止めた。


「クロちゃん、お願いがあるの。私……イルシアさんを追って、急いで今から東の地へと向かいたいの」


 クロちゃんは私の言葉を聞くと、驚いたようにぱちりと瞬きをした。

 それからすっと、私へ背を向ける。


「クロちゃん……?」


 私が声を掛けると、クロちゃんは首を伸ばし、私の方を振り返る。


「キシッ!」


 その鳴き声は『乗って』と言っているようだった。


「ありがとう、クロちゃん!」


 これがきっと、イルシアさんの後を追う、最後の旅になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る