第702話
俺は海原の遥か上を飛んでいた。
リーアルム聖国のあった大陸は、既に水平線の遥か彼方へと消えてしまっていた。
海の上を全速力で飛んでいると、昔より遥かに速くなったんだなと実感する。
ヨルネスとの戦いによる消耗からの休息を兼ねているとはいえ、悠長に移動しているわけにはいかなかった。
こうしている間にも、各地で〖スピリット・サーヴァント〗は大暴れしているはずなのだ。
しかし、目的の大陸が見えてくる前に、次の〖スピリット・サーヴァント〗を討伐するため、どこへ向かうべきなのかを決めなければならない。
アーデジア王国の位置を確かめたのは、この世界におけるリーアルム聖国の位置を知りたかったためである。
真っ先にアーデジア王国へ向かうのかどうかは、また別の話であった。
ただ、アーデジア王国の王都アルバンは俺が訪れたことのある地だ。
大国の王都でもあるし、神の声が狙うには絶好の場所であるだろう。
神の声が〖スピリット・サーヴァント〗を差し向けた可能性は充分にあるはずだ。
そうした意味でも、大きな候補の一つではある。
リーアルム聖国は俺にとっては訪れたこともない国ではあったのだが、神の声がこの国を狙ったのは、リリクシーラが神の声との契約を破ったから、という建前であったはずだ。
それについては、神の声の奴が直接口にしていたため間違いはない。
リリクシーラと神の声との契約の内容については、だいたい想像がついている。
恐らく神の声は、リリクシーラが自身に逆らえなくするために、リーアルム聖国への攻撃を脅しに使ったのだろう。
リリクシーラは俺に敗れたことで命令を全うできなかったとはいえ、神の声から見て充分に役割を熟したはずではあった。
結局のところ、神の声にとって重要なことは、神聖スキル持ち同士が殺し合う、という部分であったのだから。
そうした意味では神の声がリーアルム聖国を狙う理由はないはずだが、奴にはそんな理屈は通用しないのだろう。
あいつの性格の悪さは筋金入りだ。
だからこそ、そこからあいつの狙う場所を逆算することもできる。
俺がこれまで訪れた場所……ミリアの村、砂漠の国ハレナエ、リトヴェアル族の集落、最西の巨大樹島、王都アルバン、最東の異境地。
そして人間のいない四大魔境の二つは候補から除外できるため、四つに絞られる。
この内の三か所が、あの神の声が〖スピリット・サーヴァント〗に襲撃させている場所だろう。
規模から考えると、ミリアの村が襲撃を受けた可能性が最も低い。
細かい推理には誤りがあるかもしれねぇが、大枠としては外していないはずだ。
論理的に考えれば……真っ先に向かうべき場所は、ハレナエではないかと思う。
海に面した大きな砂漠を見つければいいので、国を見失ってあらぬ方向へ飛んで行っちまった、なんて間抜けなことにならなくても済む。
そして、ハレナエはアーデジア王国と近い。
ハレナエからアーデジア王国までニーナを送ったことがあるからわかる。
ハレナエにさえ辿り着くことができれば、アーデジア王国へも迷うことなく進めるはずだ。
つまり、迷う心配が低く、かつ候補の地二つを素早く回ることができるのだ。
もしも片方が間違っていたとしてもタイムロスにはならない上に、上手く行けば二か所の〖スピリット・サーヴァント〗を片付けることができる。
被害を少しでも減らすためには、ハレナエから向かうべきだ。
だが……それだけを目安に向かうわけにもいかない。
「グゥ……」
俺は牙を食いしばる。
リトヴェアル族の集落はアロの出身の地であり、彼女の両親がいる場所なのだ。
後回しにするわけにはいかねぇ。
どうするべきなのか考えてはみたが、やはり、アロの故郷を蔑ろにするという選択肢はなかった。
人の生き死にに優先順位なんざつけるべきではないだろうし、つけたくもない。
だが、目前に選択肢を突きつけられているのだ。
選ばなければならねぇ。
『……アロ、トレント。神の声の奴がどこを狙うつもりなのか考えてみたが……奴は、俺が一番嫌がるところに狙いを付けて来やがると思う。だからよ、まずは……』
どう説明するべきだろうか。
アロに気を遣って移動先を変えたのが悟られれば、彼女としても心苦しいものがあるはずだ。
「竜神さま」
アロが俺の〖念話〗を遮る。
『なんだ?』
「森には……リトヴェアル族の集落には、私に行かせてください」
俺はアロの言葉を聞いて、衝撃のあまり、すぐには〖念話〗を返せなかった。
『わ、わかってんのか!? 向こうには今……神の声の、〖スピリット・サーヴァント〗がいやがるんだぞ? 歴代最強格の、神聖スキルの所有者だ! 最低でもオネイロスやタナトスみてぇな伝説級だ! いや、伝説級上位の可能性だってあるんだぞ!』
そもそも伝説級であるヨルネスだって、スキルやステータスが独特過ぎることを危険視してアロを連れて行かなかったのだ。
実際、連れて行っていれば、アロもトレントも〖エンパス〗で瞬殺されていた可能性が高い。
〖スピリット・サーヴァント〗との戦いは、これまで以上に危険すぎるのだ。
「……もしかしたら、一矢報いることさえできずに殺されるかもしれない、なんてことはわかっています。でも……私のお父さんとお母さんが、あそこにはいるんです。私が行かないことで、二人が死ぬことになるかもしれません」
『俺が最優先でリトヴェアル族の集落へ向かう!』
「竜神さまには、別に向かわなければならない場所があるはずです。お願いです。お父さんとお母さんの許へは、私に向かわさせてください」
『なっ、そんな……』
「犠牲が出るのは、どう足掻いてももう避けられないんです! 私だけ、半ば竜神さまに守られるような形でずっといるわけにはいきません! 聖女ヨルネスが伝説級だったと聞いてから、ずっと考えていたんです。伝説級なら、相性次第では私にだって勝算があるかもしれません! 私に戦わせてください!」
確かに……勝てる可能性はゼロじゃねぇ。
上手く行けば、効率的に〖スピリット・サーヴァント〗を片付けて、数百人、場合によっては数千人規模の人間が助かることに繋がるかもしれない。
だが……だが、それでも分が悪過ぎる。
とてもじゃないが、ここで送り出してやることはできねぇ。
『無茶なことをするんじゃねぇ! リトヴェアル族の集落には、俺と一緒に向かう! それでいいだろ?』
『そうですな。アロ殿が向かったとして、どうにかなる相手だとはとても私には思えませんぞ。アロ殿が伝説級相手にどうにか形になるのは、せいぜい魔法攻撃力と手数のみ。歴代最強格の神聖スキルの持ち主が、それだけで押し切れるとはとても考えられませぬ。気持ちはわかりますがアロ殿、もう少し冷静にならねば』
トレントも俺と同意見のようであった。
「トレントさん、でも、私は……」
『ですから主殿、私もアロ殿と共に向かいますぞ』
アロの言葉を遮り、トレントはそう言い切った。
俺は立て続けに驚かされた。
衝撃のあまり、飛行体勢ががくんと崩れた。
『だ、だから、アロやトレントでどうにかなる相手じゃねえんだよ!』
『そうとは限りませんぞ、主殿。もし伝説級相手なら、アロ殿の手数と魔法攻撃力は、充分応戦できるレベルのはず。そして私の防御面の性能は、伝説級であった主殿のオネイロスのステータスと並ぶほどであったと、私に言ってくださったではありませんか』
……だ、だが、それでもやっぱり、とても神の声の〖スピリット・サーヴァント〗に敵うとは思えなかった。
『それに、大事なのは勝つことだけではありませんぞ。主殿もアロ殿も、急いて肝心な部分を見失っております』
『か、肝心な部分……?』
『はい。アロ殿が主殿を連れずにリトヴェアル族の集落に向かいたいのは、被害を減らすためであって、一刻も早く〖スピリット・サーヴァント〗を討伐したいから、ではないはずです』
『それはつまり、どういうことだ?』
トレントの言いたいことが今一つわからなかった。
〖スピリット・サーヴァント〗による被害を減らすことと、一刻も早く〖スピリット・サーヴァント〗を討伐することはイコールであるはずだ。
『〖スピリット・サーヴァント〗の目的はあくまで主殿を急かすことなのでしょう。だとすれば、主殿がいない間に本気を出すことはないのでは?』
それは恐らくトレントの言う通りだ。
実際、ヨルネスの力なら、都市一つ滅ぼすのにあんなに時間を掛ける必要はないのだ。
手加減をしながら甚振っていたとしか考えられない。
その理由はトレントの指摘通り、俺を急かすのが目的であって、その前に本当に都市を滅ぼしてしまっては本末転倒だからだ。
『だが、本格的な戦いになれば、向こうだってさすがに本気を出して来やがるだろう』
序盤は確かに不意を突けるかもしれねぇ。
だが、それで追い込まれれば、神の声の〖スピリット・サーヴァント〗だって全力での反撃に出るはずだ。
油断している間に畳み掛けて倒し切れるような甘っちょろい相手であるわけがない。
どうせ回復スキル完備で、MP限界まで戦ってくるような奴ばかりだ。
『ですから、本格的な戦いにならなければよいのです。状況に応じて避難の手助けだけ行えば、〖スピリット・サーヴァント〗には本気を出させずに被害を減らすことができますぞ。主殿が駆けつけてくるまでの時間稼ぎくらいはやってご覧に入れましょう』
な、なるほど……。
確かにそれはそうだ。
完全に盲点であった。
対聖女ヨルネスでも、もし序盤からアロとトレントがあの都市にいれば、被害の規模は全然違っていたはずだ。
重要拠点に避難民を誘導して、ヨルネスの生み出す化け物を片っ端から討伐して回ることができていただろう。
『それでもしも神の声の〖スピリット・サーヴァント〗がどうにかなりそうな奴でしたら、私とアロ殿で倒してしまえばいいのですぞ』
トレントが冗談めかしたふうにそう言った。
「でも……」
『ここが譲歩の限界ですぞ、アロ殿。これ以上は現実的ではありません。普段ならこういった後先を見据えた策は、アロ殿が提案していたでしょうに。もう少し冷静にならねば』
「……うん」
アロは小さな声で、そう了承する。
「……ありがとう、トレントさん」
さすがにここまで言われちまったら、これ以上は引き止められねぇ。
確かに言っていることもトレントに分がある。
あくまで避難の手助けに徹するのならば、さほど危険度は高くはねぇだろう。
ただ、それは、〖スピリット・サーヴァント〗に目を付けられない限りは、という範囲ではあるが……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます