第681話 side:ミリア
胸部に二つ目の顔を有する化け物は、屋根から飛び降りると私達の方へと駆けてきた。
恐ろしい速度だった。
とてもじゃないけれど、走って逃げられるような相手じゃない。
「北区の大教会を滅ぼした奴だ! 明らかに、我々を標的にしている! 倒すしかない!」
メルティアさんが叫んで剣を構える。
こうなった以上、動かないヨルネスよりも、向かってくる化け物の方が遥かに脅威だった。
ラッダさんが腕を伸ばして指に角度を付け、化け物へと向ける。
「……魔物の速さから危険度を測るメーベル法では、推定危険度はB級以上ですね。アメミットの牙を用いた矢は、奴に使うべきだったかもしれませんな。シリウス様の〖ドラゴンショット〗で上手く頭部を撃ち抜いていれば、近づかれる前に一撃で倒せたでしょうに」
メーベル法は聞いたことがある。
接近してくる魔物の視覚的な大きさの変化を指で確かめ、心中でカウントした秒数から相手の速さを割り出し、ステータスを概算する方法である。
正確な秒数を数える技術、周囲のものと比較して魔物の元々の大きさを正確に割り出す技術、窮地を前に冷静にそれらを駆使して数値を算出することが求められる。
難易度が高く、使用できる場面も限定的であるため、有名ではあるが実際使っている人を見たのは初めてだ。
「B級以上……」
私はラッダさんの言葉を反芻する。
危険度B級は、一般的に災害と称される危険度の魔物だ。
B級単体で一つの村が壊滅に追い込まれる。
大きな都市であっても、対応を誤れば充分滅ぼされかねない。
私がこの危険度の魔物を見たのは、イルシアさんか、王城で見た偽王女の側近だった三騎士のサーマルくらいだ。
「接近されたら終わりだ! とにかくこの距離で攻撃するぞ!」
メルティアさんがそう叫んだ。
僧兵達が一斉に矢を放つ。
だが、矢が当たってもせいぜい掠り傷がつく程度で、まともに刺さっていない。
この距離で、この危険度の魔物を相手に、スキルの裏打ちもない弓矢ではこれが限界だ。
私の魔法でどうにかするしかない。
化け物の腹部に杖の照準を合わせた。
「〖ファイアスフィア〗!」
真っ直ぐに飛んで行った火の球は、化け物の腹部にある二つ目の顔へと当たった。
だが、表面が微かに焦げたものの、化け物は一切動じずそのまま直進してくる。
「う、嘘……!」
私の魔法攻撃で駄目だったなら、今の戦力では、遠距離であの化け物に有効打を与えることはできない。
「ミリア、下がって白魔法に徹しろ! 私達でどうにか倒す!」
私の前に並ぶように、メルティアさんと僧兵の三人が立った。
あっという間に距離を詰めてきた二つの顔を持つ化け物が、大きく飛び跳ねて私達の前方へと躍り出てきた。
土煙を巻き起こして前衛四人の行動を牽制した直後、巨大な腕の一撃が僧兵二人を薙ぎ払った。
二人の身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「〖ルナ・ルーチェン〗!」
メルティアさんは化け物の死角側へと走りながら、刃から放った無数の光弾で攻撃する。
しかし、全く化け物には堪えていない。
防ぐような姿勢さえ見せなかった。
「〖クレイ〗!」
私は土煙に乗じて、土を操って化け物の左足を固めることに成功した。
これでさすがに、かなり戦い難くなるはずだ。
化け物は即座に、左足で激しく地面を踏み鳴らした。
地面に罅が走り、〖クレイ〗の足枷が砕け散った。
死角側から斬り込もうとしたメルティアさんを、伸ばした腕で軽々と突き飛ばす。
「ぐはっ!」
こちらの布陣が崩れるのに、五秒も掛からなかった。
硬い身体に剛力、そして何より圧倒的な巨体によるリーチ。
まともに接近戦を仕掛けて、たかだか五人で勝てる相手ではなかったのだ。
シリウスさん達の隊が生きていて、アメミットの牙があって、それでようやく五分だっただろう。
戦闘の音を聞き付けてか、遠くから他の化け物が三体ほど、別々の方向からこちらへと向かってくるのが見えた。
通常の個体なので普段であれば対応できる範囲だが、今重傷を負っていないのは、私を含めて二人だけだ。
唯一立っている僧兵も、既に戦意を喪失したらしく、槍を持つ手をだらりと垂らしていた。
化け物が、私の目前に立つ。
「ファイアスフィ……!」
魔法を発動する前に、巨大な手で身体を掴み、軽々と持ち上げられた。
つるりとした陶器のようで、不気味な感触だった。
杖で殴りつけてみたが、とてもじゃないが振り解ける相手だとは思えなかった。
膂力に差があり過ぎる。
「ミッ、ミリアッ!」
メルティアさんが悲鳴のような声を上げる。
このまま握り潰されて殺される。
私がそう確信したとき、化け物の全身が大きくくの字に折れ曲がり、その巨体が宙へと浮いた。
私は一瞬遅れて、化け物の腹部に斬撃のようなものが走ったのだと気が付いた。
続いて、化け物へと縦の斬撃が走る。
あれほど頑強だった化け物の身体が砕け、左右に裂けて地面へと倒れ込んだ。
私は巻き込まれ、地面へと投げ出された。
「B、B級以上の魔物が、一瞬で……」
何が起きたのかわからない。
地面に倒れたまま周囲に目を走らせるが、斬撃を放ったらしい人物は見当たらなかった。
ただ、先程の攻撃の余波で、地面に大きな亀裂が走っていることに気が付いた。
これほどの威力だったならば、あの化け物の身体が容易く砕かれたことにも納得がいく。
周囲から轟音が響いた。
こちらへ向かってきていた三体の通常個体の化け物の身体が、同時に先程の斬撃のような攻撃で爆ぜたのである。
全て同じ人物の仕業だとすれば、あまりに攻撃可能範囲が広すぎる。
私達は皆、目前の光景が信じられず、ただ地面に倒れて、呆けたように周囲を眺めていることしかできなかった。
「ミ、ミリア、大聖堂だ!」
メルティアさんの声に、私は起き上がりながら大聖堂の方へと向いた。
巨大な建物の屋根の上に、大きな赤黒いドラゴンが立っていた。
頭部には悪魔のような巻き角がついており、青白い、長い鬣が靡いている。
長い牙に、巨大な尾。そして毒々しい輝きを帯びた、明らかに武器として特化された鉤爪。
それは私がこれまで見てきた魔物の中で、一番悍ましい姿をしていた。
鋭い双眸が私達を捉えていた。
「信じられん……しかし、間違いない」
血塗れのラッダさんが、目を見開いてドラゴンを見上げていた。
その顔は恐怖に染まっていた。
「し、知っているんですか?」
私が訊けば、ラッダさんは頷いた。
「幼き日より、書物や絵画で何度も目にしてきましたよ。聖神教の預言書に記されている、世界の終わりを告げるドラゴン……アポカリプス。でも、まさか、本当に実在しただなんて……。どうなっているんだ? ヨルネス様が現れて聖都を破壊したかと思えば、アポカリプスが現れるなんて……! もう、滅茶苦茶です! 聖都だけじゃない! この世界はもうお終いだ!」
アポカリプスと目が合った。
怖かったけれど……なぜかそれ以上に、懐かしい気持ちになった。
不気味で恐ろしい眼光の奥に、温かい、穏やかなものを感じた。
覚えのある視線だった。
ロックドラゴン騒動の際に、村への帰路を急ぐ私を背に乗せてくれた、あのドラゴンと同じ眼差しだった。
「もしかして、イルシアさん……なの?」
高位のドラゴンなんて、そう何体も存在するものではない。
それに彼が本当にイルシアさんだとしたら、聖女リリクシーラが嘘の情報を広めて彼の討伐へと出向いた理由にも納得がいく。
イルシアさんが聖神教の恐れるアポカリプスへと進化することを予見していたのかもしれない。
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