第677話 side:ミリア
「ど、どうしよう……」
私は民家の中で頭を抱えた。
明らかにヨルネスは、ただの人間に太刀打ちできるレベルの相手ではない。
この聖都リドムは彼女の張った魔法の壁に覆われているため、逃げ出すこともできはしない。
おまけに聖都リドム内は、ヨルネスの〖ニルヴァーナ〗によって不気味な化け物の群れに襲われている。
「と、とにかく、聖女リリクシーラが戻ってくるのを待つしかない! ……ドラゴン討伐が済まずとも、聖都の事情を知れば引き返してくるかもしれん」
メルティアさんは私に気を遣ったらしく、そう付け足した。
「でもあの化け物の群れから、身を隠し続けるのも簡単なことじゃありません。聖女リリクシーラが戻ってくるまで、一体どれだけ時間が掛かることか……」
それに、戻ってきたとしても、とてもあのヨルネスをどうにかできるとは思えない。
確かに聖女リリクシーラはA級のドラゴンに匹敵する力を有していると称えられている。
ただ、ヨルネスは明らかにそんな次元の相手ではない。
聖女リリクシーラが高位ドラゴンに匹敵する魔術師であれば、ヨルネスは神に等しい魔術師だ。
たとえ聖女リリクシーラとて、数分で聖都をまるまる壊滅させることなどできはしないだろう。
「何も……できることなど、ないでしょうね。抗っても……恐怖する時間が延びるだけ……。この世界に、ヨルネス様より強い人間など、存在しないのですよ」
お婆さんが顔を青くしたまま口にする。
そのとき、民家の扉が破られた。
首が異様に長く、顔が上下逆さになっている怪人が、中へと押し入ってきた。
ヨルネスが〖ニルヴァーナ〗によって死体から造り出した化け物だ。
「ミリア、〖クレイシールド〗を使え!」
メルティアさんが叫ぶ。
「え……? は、はい! 〖クレイシールド〗!」
言われるがままに、私は〖クレイシールド〗を展開した。
土の円盾が前方向を覆う。
素早くメルティアさんが私の横に立ち、土の円盾を化け物へと蹴り飛ばした。
狭い家屋内である。
化け物は避けるのではなく、防ぐ方を選択した。
両手を伸ばし、円盾を受け止める。
「あの力み方……そこまでレベルは高くないはずだ! やるぞ!」
メルティアさんが化け物へと剣先を向ける。
「〖ルナ・ルーチェン〗!」
刃が光を放ち、その光が三つの熱の塊として化け物へと飛来していく。
私も化け物へと杖を向けた。
「〖ファイアスフィア〗!」
化け物は円盾で両腕が塞がっていたため、私達の攻撃を、頭部でまともに受けることになった。
〖ルナ・ルーチェン〗で体勢を崩した後、〖ファイアスフィア〗を受けて飛んでいった。
首に罅が入って砕け、そのまま倒れ込んで動かなくなった。
「レベル自体は、やはりそう高くない。D級の魔物と同等程度か……いや、それより少し低かったかもしれない。あまり具体的に考えたくはないが、ある程度は生前のレベルに由来するのだろうな」
メルティアさんが額の汗を拭いながら、そう言った。
最初は意図がわからなかったが、化け物は首が長かったため、盾を与えても満足に弱点を守れないと咄嗟に判断しての指示だったのだろう。
私よりずっと長く冒険者を続けているだけはある。
真っ先に相手の大まかなレベルを確認したところといい、メルティアさんは魔物を前にしたときの対応に手慣れている。
「あの化け物に、固有のスキルはなさそうだな。外を見ても、それらしいものを使っている個体は見つからない。もっとも、レベルについてもスキルについても個体差が大きそうなので、楽観視はできんがな」
メルティアさんは破られた扉の前に立って周囲を窺う。
「食糧のある場所に人を集めよう。生存者に外を歩かせていては駄目だ、またいつあの雨が来るのかわかったものじゃない。死体も野晒しにしては、また奴の赤い光が来る。魔法で焼くか、埋めるか、近くの建物に運び込むかしなくてはならん。それに、あんな化け物に付き合っていたら魔力も足りなくなる。籠城して、見張りを交代するしかない」
メルティアさんは口早にそう言った。
私に伝えたい以上に、口に出して頭の中を整理したかったのだろう。
絶望的な状況だが、メルティアさんは冷静にあろうと努めている。
私も状況に流されてばかりではいられない。
首を振って、恐怖を頭から少しでも追い出そうとした。
「……そう、ですね。聖女リリクシーラと、聖騎士団の帰還を待つしかありません」
聖女リリクシーラがヨルネスに敵うのかは正直望みは薄い。
だが、それに賭けるしかない。
「いや、案外、戦力が集まれば聖女ヨルネスを討伐できるかもしれん」
「えっ……」
私はメルティアさんの言葉に耳を疑った。
「見ろ、ミリア。肝心のヨルネスは、ずっと天使像の頭の位置で浮かんでいるばかりだ。彼女が本当に力を有しているのなら、悠長にあの化け物達に任せていないで、自分の手で殺して回ればいい」
「それは、そうかもしれませんが……」
「あの魔法攻撃は、ただのハッタリだ。いや、あの雨は確かに規模は大したものだったが、あれは即死状態異常と、呪いを付与するスキルだろう。故に、当たった壁や地面がダメージを受けている様子もない」
確かに、あの雨は生体以外にはほとんど影響を及ぼしていないようだった。
だからこそ〖クレイシールド〗で防ぐことができたのだ。
「ヨルネスは直接的な攻撃手段に欠けるのかもしれん。それに、ああして人間が簡単に近づけないところにいるということは、攻撃を恐れている証拠だ。ヨルネス本体は、恐らくそう頑強ではないのだ。戦力を集めて叩けば、倒せないものではないかもしれん。巨大なドラゴンや化け物じゃなく、ただの人間なんだ。どれだけ膨大な魔力を秘めていようとも、囲んで叩くことさえできれば、討伐も不可能ではないはずだ」
「そ、そう……でしょうか? でも、あの天使像の頭を吹き飛ばした魔法……」
「あれは確かに脅威だな。だが、あの雨に比べれば、まだ攻撃規模は優しい。聖騎士団不在とはいえ、リーアルム聖国の一般僧兵とて、その辺の冒険者よりは遥かに水準が高い。分が悪いのは間違いない。だが、D級の魔物が、この閉ざされた聖都に大量発生しているのだ。時間が経てば、打つ手がなくなるのは我々の方だ」
私はメルティアさんに並び、空を見上げた。
ヨルネスが冷たい目で、聖都の街並みを見下ろしている。
ああしている間に、もう一度黒い雨を降らせるなり、虹の魔法を放つなり、なんでもできるのではないだろうか。
できないのではなく、単にやらないとしたら……?
魔力が減るのを恐れている?
あれだけの規模の魔法だ。さすがに消費魔力が少ないとは思えない。
この後に、聖女リリクシーラとの戦いを控えているから?
いや、それでも悠長過ぎるように感じる。
だが、メルティアさんの言うように、ヨルネスがただの僧兵を恐れているとも思えない。
もしも、時間を掛けて聖都リムドを破壊することに意味があるとしたら?
「……まるで脅しを掛けて、誰かを急かしているみたい」
「何か言ったか? ミリア」
「いえ……」
「あれに挑むのが不安なのもわかる。私だって、無策で挑むつもりはないさ。聖都の残存戦力と合流し、拠点を築き……その過程で、ヨルネスの情報を充分に集めてから、また一から考える」
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