第635話

 ミーアが俺より先に、相柳へと接近していく。

 素の速度も俺より上だったが、彼女には〖神速の一閃〗がある。

 アレは瞬間速度を引き上げることができる。

 あのスキルを移動に使えば、俺より遥かに速い。


 ただ、ミーア一人で相柳を相手取るのは、彼女にとっても決して楽ではないはずだ。

 特に〖人化の術〗間は攻撃力が半減する。

 魔法力はそのままだが、ミーアの主要な攻撃魔法は〖ダークスフィア〗のみだ。

 防御が硬く、再生能力に長けた相柳相手には決定打がない。

 

 となると、〖人化の術〗を解除するつもりか……?

 ミーアの種族はタナトスとなっていた。

 アンデッド系統であることは所有スキルから明らかだが、どういった姿の魔物なのかは知らない。

 その気になれば〖ステータス閲覧〗から種族情報を確かめられるが、本人が話さない以上、勝手に調べるわけにも行かないと思っていた。


 相柳は大量の眼球でミーアを睨みつけていた。

 だが、ひとまずは近くのトレントから処理しようと考えたらしく、首の向きを変えた。

 トレントがびくりと巨体を揺るがし、枝を構えて戦闘態勢を取った。


「寂しいじゃないか、他所見とは」


 ミーアが目を見開いた。

 禍々しい殺気が周囲に走る。

 後方にいる俺まで、悪寒を覚えて身体が強張るのを感じた。

 恐らく彼女の特性スキル……〖死神のオーラ〗だ。


 相柳が硬直した。

 その後、相柳の大量の眼球が血走り、真っ赤になった。

 目と目の隙間から、血らしき真っ赤な液体が滲み始める。

 ミーアの挑発に対し、激怒しているようだった。


 ミーアは相柳に接近し、口許に笑みを浮かべた。

 手にした大剣……〖黒蠅大刀〗を構え、相柳の間合いの内側へと入り込む。


『〖人化の術〗、解かねぇのか!?』


 俺は慌てて爪を構えた。

 すぐに〖次元爪〗で援護射撃ができるようにだ。

 人間体では攻撃力が半減しているので決定打がないはずだ。

 おまけにHPも半減している。魔物の間ならあるはずの外皮もないのだ。


 相柳は、タフさと高火力の攻撃で殴り合いに持ち込むタイプだ。

 〖人化の術〗のまま相柳の間合いに入るのは無謀すぎる。

 一発入れても、返しの一発を受ければ致命傷を負いかねない。


「必要ない。この姿の方が戦い慣れているのでな」


 だが、魔法の間合いではない。

 今のミーアの攻撃力で、相柳相手に決定打を与えられるのか……?


 ミーアが剣を振るう。

 実体を持った斬撃が宙を飛び、相柳の頭部の大きな眼球を斬りつけた。

 相柳の大量の眼球の内、二つが潰れて真っ赤な血が噴出した。


 相柳は自身の負傷などないかのように、ミーアへと頭部を勢いよく打ち付ける。

 周囲が揺れ、地面が割れた。

 だが、ミーアは、いつの間にか相柳の頭の上へと移動していた。


 恐らく、また〖神速の一閃〗を用いたのだ。

 そのことはわかるが、俺もどう移動して上へと回り込んだのか、一切見えなかった。

 掲げていた〖黒蠅大刀〗を、ミーアは足場の相柳へ振り下ろす。


「〖残影剣〗」

 

 ミーアの手許がブレる。

 〖黒蠅大刀〗が二本になった。

 そういうふうにしか俺には思えなかった。

 振り下ろされた二つの刃が相柳の後頭部を抉る。

 裏側の神経を抉られた目玉が、相柳の身体から転げ落ちていく。


 相柳が激しく頭を振るい、ミーアを払い落とす。

 ミーアはその瞬間に宙へ跳び、相柳の顔面に再度一撃をお見舞いした。


 相柳は一瞬怯んだが、眼球を外側へ押し広げて大きな口を開いた。

 口の中から、赤紫の触手のような巨大舌が三本伸びる。

 口の端についている牙は長く、一本一本がミーアの背丈ほどあった。


 相柳は大口を開けたままミーアへと喰らいつきに掛かる。

 ミーアはその牙を蹴って後方へ逃れる。

 相柳はそれを追い掛け、ミーアが着地するまでに再び喰らいついた。


 だが、相柳が口を閉じたとき、ミーアは再び相柳の頭の上に立っていた。

 相柳の下顎を蹴って跳び上がっていたらしい。

 

 速い……!

 いや、速いだけじゃああはならねぇ。

 完全に相柳の動きを見切っている。


 〖神速の一閃〗は、あまり複雑な動きはできねぇはずだ。

 使用間はほぼ直線移動だ。下手に連打すれば、むしろ隙を作ることになる。

 だが、ミーアは相手の動きを読み、的確に〖神速の一閃〗を使っている。

 言葉にするほど簡単なことじゃねぇ。


 相柳の頭部は、外皮がない弱点であると同時に、豊富な攻撃手段を持った部位である。

 弱点と同時に武器だ。

 近づかず、遠距離魔法で攻撃するべきだと俺は考えていた。

 しかしミーアは自分から頭部へ近づき、相手の攻撃を全て至近距離で往なしている。


 俺はリリクシーラの雇った剣士、ハウグレーを思い出した。

 ミーアがあんな反則技を使うかどうかはわからないが、剣術やスキルの精度なら、恐らく彼女はハウグレー以上だ。

 ハウグレーは一般聖騎士以下のレベルだったが、俺相手に単騎で古びた短剣一本で挑んできた。

 ミーアは、レベルのあるハウグレーだ。


 ミーアがまた相柳の頭部の眼球を斬りつけた。

 相柳は眼球の合間より、大量の〖腐蝕酸〗を放出した。

 ミーアは頭部を蹴り、地面へ逃れる。

 相柳が激しく首を振り、〖腐蝕酸〗を撒き散らした。


 まるで雨だ。

 地面が溶けだし、煙が上がる。

 一旦距離を置くしかないと、俺にはそう思えた。


 だが、ミーアは逆に距離を詰めに掛かった。

 〖腐蝕酸〗の雨をものともしていない。

 耐性があるのかと思ったが、違った。

 雨の合間を抜け、避け切れない飛沫は大剣で斬っていた。


 目前の光景を、俺は受け入れられなかった。

 これが勇者ミーア……!

 ハウグレーといい、ヴォルクといい、この世界の最上位剣士はステータス以上の力を持っているとは思っていた。

 ミーアはその完成形だ。

 俺には、そういうふうに思えた。


 だが、〖腐蝕酸〗の雨の中、相柳がミーアへと大きく尾を掲げた。

 あまり動き回れないミーアを、自身の撒いた酸の雨を突っ切って尾で叩き潰すつもりらしい。

 元々相柳は、自身の放つ〖腐蝕酸〗への耐性スキルを所有している。


 避ければ〖腐蝕酸〗を受ける。

 だが、避けなければ相柳の尾の直撃だ。

 〖人化の術〗間の彼女の体格とステータスでは、あの攻撃を正面から受け止めることはできない。


 相柳の攻撃をまともに受けるよりは、〖腐蝕酸〗の飛沫を浴びた方がマシだ。

 ミーアならば〖腐蝕酸〗に触れても、一気に行動不能に追い込まれることはないだろう。


 俺はそう考えたのだが、ミーアは動きを止めた。

 相柳の尾の一撃をまともに身体でくらった。


『おっ、おい、ミーア!』


 援護すべきだったか!?

 さすがにミーアが、伝説級とはいえ低レベル相手の攻撃で一撃でやられたとは思えない。

 だが、かなり重いダメージを負ったはずだ。


「〖掬虚月きくうつろづき〗」


 次の瞬間、相柳の太い尾が大きく抉れた。

 相柳の硬く分厚い鱗が、事もなげに引き裂かれている。

 血と肉片が飛び交い、相柳の巨体が吹き飛ばされ、黒い大木に叩きつけられた。

 相柳は地面に落ち、ピクリとも動かなくなった。


 な、なんだ、今の攻撃……。

 耐久型の伝説級の魔物である相柳に、攻撃力半減の人化状態で決定打を叩き込んだ。


 ミーアは大剣を背負う。


「受けた打撃を、移動のエネルギーに変えて打ち消す受け流しの技だよ。剣先に威力を乗せれば、こういうこともできる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る