第582話
気がつくと俺は、ぼうっと半目を開き、腹這いの姿勢でただじっと蹲っていた。
……ここは、どこだ?
思考が上手く纏まらない。
何か、何か大事なことがあったはずだ。
思い出せ。
俺はリリクシーラを倒して、そんであいつらと合流して……そうだ、ウムカヒメに話をしに行ったんだ。
それから、それから……。
「グゥォオオオッ!」
俺は声を上げながら、身体を起こした。
そ、そうだ、俺は神の声の奴に会ったんだ。
あいつは急に現れて、俺に一方的なことを告げて、勝手に逆上して、四体の〖スピリット・サーヴァント〗をぶつけてきやがった。
そんで隙を作って、俺に何かをしたはずだ。
俺は周囲を見回す。
高い、歪な木がずらりと並んでいた。
俺から見ても高い。
全長三十メートルといったところか。
〖タイラント・ガーディアン〗の倍以上の高さである。
まるで自分が小さくなったような錯覚さえ覚えた。
空に浮かぶ不自然に真っ青な月が、この歪な森を、妖しい光で不気味に照らしている。
その月は、この地が俺がこれまでいた場所とは決定的に異なる場所なのだということを、何よりも雄弁に教えてくれた。
歪な木々の光景や、妖しい月光だけではない。
これまでの旅と戦いで培われてきた俺の勘が、ここはヤバイと俺に訴えてきていた。
頭の理解が追いつかねぇ。
何がどうなってこうなっちまったんだ。
まさか、俺はあのとき歴代最強の魔王バアルとやらにぶっ殺されて、あの世にでも送られちまったっつうのか?
俺の記憶が確かであれば、神の声は〖異界送り〗だとか口にしていた。
あれは、対象を別の空間に送り飛ばす類のスキルだったのではなかろうか。
んな力があったとして、それこそ神の声に逆らうのが絶望的になってきたが、あの〖スピリット・サーヴァント〗の出鱈目さを思うに、それくらいできたっておかしくはねぇ。
そこまで考えても、やっぱりわけがわからねぇ。
腑に落ちねぇことばかりだ。
結局俺を本人の力でこの場所に送り飛ばすつもりなら、どうしてあの四体の〖スピリット・サーヴァント〗を見せびらかすような真似をしたんだ……?
思考が纏まってくると、神の声の〖スピリット・サーヴァント〗達に続いて、脳裏にアロとトレントの姿が浮かんだ。
そ、そうだ。あいつらは俺に近寄ってきて、神の声のスキルに巻き込まれていたはずだ。
神の声の考察なんて後回しだ!
アロ達はどうなっちまったんだ。
それに、アロとトレント以外の奴らも、神の声の前に置いてきたままになっているはずだ。
「グゥオオオオオオオッ!」
俺は不気味な森の中で叫んだ。
『アロ、トレント! どこにいるんだっ! 聞こえたんなら、返事をしてくれっ!』
続けて〖念話〗を放った。
この森には何が潜んでいるのかわからねぇ。
今まで俺が見てきた常識が通用する場所だと、俺にはどうにも思えない。
何せ神の声の奴が連れてきやがった場所だ。
自分の位置を大声で知らせるのは自殺行為だったかもしれねぇ。
だが、んなことよりもアロ達と合流するのが優先だ。
ここがヤベェところであればあるほど、アロ達の危険が高いってことだ。
「りゅ……りゅうじん、しゃま」
遠くから、絞り出すような声が聞こえてきた。
俺は不気味な木々を薙ぎ倒し、声の元へと向かう。
辿り着いた先では、アロがぐったりとその場で横になっていた。
ステータスをチェックして、生きていることを確認する。
俺と同様に、神の声のスキルで飛ばされたときのショックで意識が朦朧としているようだった。
だが、特にHPが大きく削られたり、なんてことはない。
俺は安堵の息を吐いた。
『無事だったんだな……アロ』
俺は前足で丁寧に掴み、背へとアロを乗せた。
「ありがとうございます、竜神さま……。あの、ここは……?」
『俺にも、さっぱりわからねぇ。それより、トレントは? 俺の記憶違いじゃなければ、あのとき一緒に送り飛ばされたはずなんだが……』
『あっ、主殿! ち、近くにおられるのですかっ! たっ、助けてくだされぇっ!』
トレントの〖念話〗が聞こえてきた。
俺は息を呑み、〖念話〗の方へと駆けた。
『すぐに行く! それまで堪えてくれっ!』
アロに続き、トレントまですぐに見つかったのはラッキーだった。
だが、どうやら現地の魔物と接触しちまったらしい。
どういう敵が出てくるのかは想像もつかねぇ。
とにかく、トレントとアロに被害を出さねえように俺の全力をぶつけるしかない。
…… 〖念話〗の先では、トレントがその巨体の半分を地中へと埋めているところだった。
枝と幹が、狭苦しそうに僅かに蠢いた。
『あっ、主殿! 引き抜いてくだされ!』
……何がどうしてこうなったんだ?
「トレントさん……なんでこんなときに、遊んでいるの?」
アロが物悲しげにトレントへと尋ねる。
『ちっ、違いますぞ! 私にもわかりませぬっ! 咄嗟に〖スタチュー〗の金属化で我が身を守ろうとしたのですが、恐らくはそのせいで地面に突き刺さったのではないかと……!』
……確かにそれなら、あり得なくはないかもしれない。
俺もスキルで飛ばされたときの記憶はない。
恐らく空中に投げ出され、〖スタチュー〗の金属化のせいで地中に身体が突き刺さってしまったのだろう。
俺はトレントの幹に前脚を回し、力を込めて持ち上げてやった。
辺りの大地が少しばかり揺れる。
『助かりましたぞ主殿』
俺はトレントの、ピンと伸びている根へと目をやった。
お、重いと思ったら、無駄に根を張りやがって。
『……緊張したり不安になると、こう根が強張ってしまうのです』
トレントが俺へと弁解する。
俺は背のアロへと顔を向けた。
アロはトレントの様子を目を細めて観察していた。
俺はトレントへと向き直り、深く息を吐いた。
『そ、そこまで呆れなくとも……』
『いや、アロもトレントも、無事で良かったぜ。悲鳴をあげてたから、魔物にでも出くわしたんじゃねぇかと冷や冷やしてたんだ。それに、トレントの様子を見てっと、そんお陰でなんとなく冷静になれた気がするよ』
『あ、主殿……!』
トレントが嬉しそうに幹を張る。
俺は頭を押さえ、考える。
アロとトレントは無事だった。
それは本当に嬉しいことだ。
……だが、状況は最悪だ。
アロとトレントの無事を確認し……そしていつも通りのトレントさんっぷりを見て、俺はようやく冷静に、現状を見つめ直すことができていた。
なぜ神の声が、俺に〖スピリット・サーヴァント〗を見せびらかしたのかわかった。
俺に力の差を誇示することで、今の俺では絶対に敵わないことを知らしめるためだ。
俺が従うならそれでいいと考えていたのは本当だろう。
だが、あのとき逆上したのは、わかりやすく自分の強さを演出するためのパフォーマンスだったのかもしれない。
奴は、俺が更に強くなる目的を持つために、〖スピリット・サーヴァント〗をばら撒いて世界を滅茶苦茶にすると宣言したのだ。
俺はこの世界を抜けて元の世界に帰って、神の声を止めねぇといけない。
しかし、今のままでは敵わないことはしっかりと教えられた。
だから、元の世界に戻るヒントを探しながら、ここできっちりレベルを上げてこい、ということだろう。
従わなければ……その代償は、俺がこれまで見てきた世界の全てだ。
『馬鹿にしやがって……』
俺は思わずそう呟いた。
そして神の声は、俺が強くなった結果をデータとして観測したいのだ。
だが、奴は、絶対に俺が自分と同じ高さまで追いつくことをよしとしないだろう。
ギリギリまで強くなったら、あの出鱈目な力で押し潰しに来るに決まっている。
最終的には自分を超える魔物を作り出して、この世界を吹っ飛ばして元の世界に帰るのがあいつの目的であるはずだ。
しかし、俺は神の声には従わないと、はっきりと宣言してしまっている。
俺が神の声を超えるチャンスなんて、奴はきっと回さない。
あそこで嘘でも従うと答えていれば、奴の寝首を掻くチャンスを得られただろうか?
いや、そんな生温い奴じゃねぇ。
口で言って信じるとも思えないし、心を見透せたって何ら不思議じゃねえ。
それこそ奴の言っていた通り、俺がアロ達を殺して経験値に変え、この世界に未練がないことを証明する必要があったはずだ。
俺は神の声に従い、あいつが次々に出してくる人質を助けるためだけに動き続けるしかないのか?
もしかすれば、これまでの全てもそうだったのかもしれない。
俺が助けてきた奴だって、俺がいなければ別の奴が〖イルシア〗として神の声によって配置されていただけだったのか?
そもそも俺さえいなければ、奴が引き起こさなかった問題ごとだってあったかもしれねぇ。
俺は、あいつの書いたシナリオの上で、俺がどうにかできる範囲の問題を提示され続けてきただけだったのか?
そしてその最後には、あいつに呆気なく殺されるのだ。
そのときはアロ達の命の保証だってねえ。
何せスケールが違うのだ。
神の声は、神だ。少なくとも、そう称されるに匹敵する力を持っている。
俺は俯いた。
……こんなもん、どうすりゃいいっつうんだ。
俺が足掻けば足掻くほど、あいつの試練をクリアすればクリアするほど、神の声は世界を巻き添えに、更なる難題を押し付けてくるだけなのだ。
俺はどうするべきなんだ?
『お前はいつも考え過ぎなんだよ。答えなんて一つしかねぇだろうが』
頭に声が響いた気がして、俺はふと自分の左側へと目をやった。
そこには何もないが、誰かがいたような気がした。
俺は口端を上げ、思わず笑っちまった。
相方……お前はいなくなっても、俺の背を押してくれるんだな。
「竜神さま……? どうしましたか?」
アロが俺の前に立ち、不安そうに尋ねてくる。
俺は息を吸い、天を仰いで咆哮を上げた。
「グゥオオオオオオオオオオオオッ!」
アロとトレントが、びくりと肩を震わせ、背を伸ばす。
迷ったって、立ち止まってるわけにはいかねぇんだ。
とにかくちょっとでもいい方向になるように、全力で突き進むしかねぇ。
『決めたぜ、アロ、トレント。俺は奴に従って強くなってやる。だが、それはリリクシーラみてぇな奴を圧倒できるまででも、あの大蜘蛛の化け物を倒せるようになるまででもねぇ!』
神の声の支配を逃れるには一つしかない。
俺が、奴を出し抜いて強くなる。それだけの話だ。
可能か不可能かなんて、やる前からわかるわけがねぇ。
現時点、奴は余裕ぶっこいてて、俺のレベル上げをチート権限に胡座掻いてゆっくりと待ってやがるんだ。
それは間違いなく大チャンスだ。
『あの余裕ヅラの神の声をブッ倒して、この世界を奴の手から解放する!』
それこそ奴の思い通りなのかもしれない。
システムの壁を超えるには最後には心が肝心になると、神の声も口にしていた。
だが、それでいい。
神の声が俺を煽って強くしようとしているのならば、俺は奴の想定を突き破って強くなってやる。
思い返せば今まで俺は、ずっと何かを守るための強さが欲しかった。
ミリアの村を守るため、ニーナと玉兎を守るため、リトヴェアル族を守るため、王都アルバンを守るため、自分の仲間を守るため、俺はいつだって、目の前の誰かを守ることのできる力を求めてきた。
だが、それじゃあ足りねぇんだ。
神の声は、乗り越えた先に回り道をして、俺に接触してきやがる。
だから俺は、全てを守ることのできる、奴を倒せるだけの力を手に入れる。
『俺は、最強以外目指さねぇ!』
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