第579話

 その場にいた全員が、突然現れた神の声に対して構えた。

 ウムカヒメも、直接神の声が乗り込んで来たことは予想外であったらしい。

 鋭く睨み、歯を食いしばりながらも、その顔には明らかに焦りがあった。


「そう警戒しないでおくれよ。別にキミ達なんかにどうこうされてもボクは痛くも痒くもないし、そもそもちょっと身構えたところで抵抗できると、そう思っているのかな?」


 神の声が、歪んでぼやけている左腕をそっと掲げた。


「そうだな……脅しとして二、三人消した方が、話がスムーズになるのかな? キミ達は短絡的で愚かだけれど、無為に全滅を選ぶようなことはさすがにしないだろう?」


 ハッタリ、だとは思えねえ。

 神の声が俺より弱いわけがない。

 やるやらないは別として、可能かどうかでいえば、ここにいる全員をこの最東の異境地丸ごと吹っ飛ばせたとしてもおかしくはない。

 俺はアロ達を見回し、彼女達をその場から一歩下がらせた。


『……止めてくれ。話があるなら、それを聞く気はある。こっちは、散々お前に振り回されてきたんだ。ちっとくらい、無礼は許してくれ』


「扱いやすくて何よりだよ。キミは激情家に見えて、他者の命が懸かっている場面だと一気に動けなくなるからね」


 神の声は見え見えの薄寒い作り笑いを浮かべ、石板の上で脚を組んだ。


『本物、なのか? 偽物か、化身みたいなものじゃないのか?』


【こういうことができるのは】「ボクかラプラスくらいだよ」


 頭に直接メッセージが響いてくる。

 いつもの神の声と、普通の話し方を合わせてきやがった。


「本物だけれど、分身ではないってことは否定できないよ。ボクのことを何一つ知らないキミに対して、それを証明する手立てはないからね。そもそも、ボクが分身や化身だったとしたら、何か不都合があるのかい? 本物だったら、ここで殺して見せるとでもいうのかな?」


 神の声が、無表情な目のまま、大きく口を開けて笑った。


『んなことは……ない』


 できたら、勿論そうしてやりてえ。

 こいつは生かして置いても絶対ロクなことにはならねぇ。

 正体も何も知らないが、危険で身勝手で残酷な奴だということだけは、嫌というほどわかっている。

 だが、今の俺が挑んでどうにかできるとは、とても思えない。


「さて、と。邪竜虐めはほどほどにして、本題に入ろうか。ボクもキミからあんまり嫌われるのは不本意だからね。意地を張られて、お互いの損を取られたって困る」


 神の声は、パンッと手を叩いて話を仕切り直す。

 さっきの言葉はほんの冗談のつもりだったのだろうか?

 俺は完全に相手に主導権を握られ、神の声の話に応じることしかできないでいた。


「散々リリクシーラからも聞いているんだろう? 隠し立てすることでもないよ。ボクの目的は〖ラプラス干渉権限〗レベル最大の魔物を作って、ラプラスの奴が封印している怪物、フォーレンを解放することさ」


 さらっと、神の声は言い切った。

 フォーレン。

 名前だけ聞いていた、大昔に封印された、謎の大きな球状の化け物だ。

 邪神扱いされていたが、神の声は怪物だと言い切っていた。


『んなことしたら、この世界は……』


「うん、消滅するよ。あんなのが復活したら、その瞬間に間違いなくこの世界は終わりを迎えるだろうね」


 あっさりと、なんてことでもないかのように、軽々しくそう言い切った。

 俺は耳を疑った。

 アロ達は話に半ばついていけなかったようだが、ぞっとした表情を浮かべていた。


「でも、キミにとっては悪いことばかりじゃない。それは保証してあげるよ。だからこそボクも、あれこれ陰湿な手を打たなくても協力できるかもしれないと、こうフレンドリーに接してあげているんだよ」


『な、何をふざけたことを言ってやがる! そんなこと、あるわけ……』


「人間に戻りたいんだろう?」


 神の声が、崩れた左腕を前に出し、俺を指で示した。


「〖ラプラス干渉権限〗のレベルが最大になれば、キミの記憶だって元に戻せるはずさ。ちょっとばかり複雑だから、キミが持っているだけだととても扱えないだろうが、ボクがそれを補佐してあげたっていい」


「元々、キミが別世界の記憶を欠片でも持っているのがおかしなことだったんだ。普通はラプラスがそんな欠陥、許すわけがないからね。ただ、こっちはラプラスの欠陥を突かないと最大レベルの〖ラプラス干渉権限〗なんて手に入りっこないから、急いで作られた勇者と魔王の戦争の粗を突いて弄ったり、直接システムと世界を繋げるスライムの〖スキルテイク〗みたいなスキルを作らせたりしていたんだ。キミのその中途半端な記憶は、元々キミに植え付けていた〖修羅道〗を、転生が不完全な卵の間にスライムの奴が引き抜いたせいで、ラプラスの管理にバグが生じた結果だろう。神聖スキルも、システムに干渉するスキルも、本来この世界にないはずのものだったから、ラプラスの奴がバグを潰しきれなかったのさ。同じ手はもう食わないだろうけどね」


 神の声が、得意げにぺらぺらと話し出す。

 こいつはいったい、何の話をしているんだ?


「ボクはキミのことをキミ以上にわかっているということだよ。安心するといい。たとえこの世界の封印が解けて、この世界の全てが消滅したとしても、そのとき、キミは元の世界に帰ることができる。キミがずっとこれまで望んでいた、平穏な、ただの一人の人間としてね」


 も、元の世界に、帰れる?

 今までそんなこと、欠片だって考えたことはなかった。


【フフ、疑うのも無理はない。ボクはね、キミと同じ世界から来たんだよ。ボクにも、キミにも、この世界を終わらせて、元の世界に帰る権利がある】


 直接メッセージを送ってきやがった。


【ただのデータサンプルのつもりだったけれど、キミにはそれ以上の価値を感じているんだ。ボクはキミが、この世界を消してくれると、今ではそう確信を持っている。どうだい? ボクの下でレベルを上げて、進化を重ねて、この世界に終止符を打つつもりはないかな?】


 直接喋らないのは、アロ達に聞かせないためだろうか。

 正直、頭が追いつかない。

 元の世界やら、神の声が俺と同郷の人物やら、この世界を消滅させるやら、スケールがぶっ飛びすぎている。


【どうだい? ボクの提案を受け入れるなら、キミの意志と覚悟を見せておくれ。この場の奴らを、全員経験値に変えてやるんだ。どうせ、いずれ纏めてフォーレンの餌食にするだけさ。苦しませずに、キミが一瞬で殺してやるんだ】


 だが、話のスケールがどうであれ、こんな提案を呑めるわけがない。

 きっとこの世界には、俺が知らねえ事情やらがまだまだあるのだろう。

 しかし、何を知ったとしても、今まで出会ってきた奴ら全てを犠牲にして、覚えてもいねぇ生活を取り戻すなんて、そんな馬鹿げた結論に達するわけがない。


 俺は神の声目掛けて前足を振るった。

 大地を〖次元爪〗の傷痕が走った。


『返事はノーだ! 答えるまでもねぇ! 駆け引きのつもりでも、そんな胸クソ悪い言葉を二度と口にするんじゃねえぞ!』


 ミーアの石碑が崩れ、上に座っていた神の声が降りてきた。


「キミは、誰に何をしたのかわかっているのかな? そこまで馬鹿だとは、思っていなかったのに」


 爪撃は、直撃はしたはずだった。

 だが、傷一つついていない。


「いいよ。ボクに刃向かうとどうなるのか、教えてあげる必要があると思っていたんだ。さて、どの子の命をもらって行こうかな?」


 神の声が、ボヤけている左腕の指を伸ばしてアロに向け、次にトレントに移す。


『一人でもやってみやがれ。その瞬間から、俺はテメェの言葉に一切聞く耳を向けねえ。死ぬまでテメェの首を狙って喰らいつき続けてやる』


 俺は牙を剥き出しにし、低く唸った。


『困るんだろ? ここまで育てた俺が無駄死にしたらよ』


 神の声が指の動きを止め、眉間に深く皺を寄せた。

 明かに苛立っている。

 初めて神の声が見せた、余裕のない表情だった。


 リリクシーラは、神の声の言いなりには絶対になるなと俺に言っていた。

 やってやる。

 神の声と、渡り合ってやる。

 絶対に、こいつの思い通りにはなってやらねぇ。

 こんな奴に、俺達の世界を壊させるようなこともしねぇ。

 そして当然、これ以上、俺の仲間を傷つけさせもしねぇ。

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