第574話

 リリクシーラとの戦いを終えた俺は、とにかく我武者羅に霧の大地を飛び回った。

 アトラナートの蜘蛛の編みぐるみも、リリクシーラとの交戦の最中にとっくに剥がれちまっていた。

 まだアトラナートが生きてくれているのかどうかも分からねぇ状態だった。


 誰が心配かと言えば、全員心配だ。

 誰を優先すればいいのかも分からねぇ。

 皆、敵方の危険人物であるアルアネかハウグレーに絡んでいる。


「キシ、キシッ!」


 黒蜥蜴の鳴き声が聞こえてきた。

 声を頼りに向かえば、黒蜥蜴が翼を広げて飛んでいるのが視界に入った。

 黒蜥蜴も仲間を捜し回ってくれていたようだ。


 俺と目が合うと、顔をぱっと輝かせて一目散に飛びついて来た。


「キシィッ!」


『無事でよかったぜ、黒蜥蜴!』


 俺は胸で受け止め、そっと頭を撫でた。

 黒蜥蜴はすりすりと頭部を俺の前足へと擦り付けて来る。


『他の奴らの居場所はわかるか?』


 俺が尋ねると、黒蜥蜴はこくりと頷いて俺の腕から抜け、地上へと向かっていく。

 俺は黒蜥蜴の後を追った。


 やがて、森の中で、唯一ぽっかりと木の生えていない場所へと辿り着いた。

 奇妙な場所だと目を凝らしてみれば、周辺に切り株や木の残骸のようなものが散らばっているのがわかった。

 大地も無数の剣撃によって刻まれている。

 凄惨な戦いがあったことは明らかだった。


 その中央に、血塗れのヴォルクが座り込んでいた。

 すぐ近くにはマギアタイト爺の姿もあった。


 ヴォルクの前方には、身体に大きな穴を開けた、小柄な老人が横たわっていた。

 〖悪食家〗ことハウグレーだ。

 老人が死んでいるのは明らかだった。


 俺はヴォルクとマギアタイト爺の隣へと降り立った。


「イルシア! 無事であったのだな」


 ヴォルクが立ち上がった。


『ヨクゾ戻ッタ! アノ聖女トノ決着ハ終エタノカ?』


 マギアタイト爺の言葉に俺は頷いた。

 リリクシーラの最期を思えば複雑であったし、神の声絡みでまだまだ不安が残っている。

 だが、今は無事に再会できたことを素直に喜ぶべきだろう。


『ヴォルクにマギアタイト爺! 良かったぜ、二人も生きててくれて。ハウグレーに勝てたんだな!』


 俺は斬撃だらけの周囲を見回す。

 ただ剣士二人の戦いでこうなったのだと、とても信じられなかった。

 万の兵が斬り合いを行った戦場でも、こうはならないのではなかろうか。


『この周囲は戦闘の余波……なのか?』


 ヴォルクは俺の言葉を聞いて、周囲を見回した。

 それから目前の老人の死体へと目を向ける。


「……我ではない。全て、ハウグレーがやったことだ」


『よ、よく勝てたな、本当に』


 ハウグレーは本当に出鱈目な男だった。

 俺も〖オネイロス〗に進化して、かなり強くなったという自負があった。

 今更レベルでは格下の人間相手に、あそこまで一方的に翻弄されることになるとは思っていなかった。

 

「アニス・ハウグレー……伝説とは誇張されるのが常だが、奴に限っては、聞いていた以上に恐ろしい男であった。事実を伝えられても、聞いた人間がそれを信じられなかったのであろうな。奴には、明らかに常人には見えていない何かが見えていたようだった」


 ヴォルクにここまで言わせるほどだったのか。

 俺は唾を呑み込んだ。


「……それに、こいつは気になることを口にしていた。お前は神の声とやらに目を付けられていると、そう言っていたな? どうやらリリクシーラは、その神の声について、何かよくない情報を掴んでいたのかもしれん。ハウグレーにも、多少そのことを漏らしていたようだ」


『ハウグレーが……? 何を言っていたんだ?』


「具体的なことは何も喋らなかった。だが、リリクシーラは神の声とやらの、何かを阻止しようとしていたのかもしれん」


 ……やっぱし、そうだったのか。

 リリクシーラは、神の声と渡り合えと口にしていた。

 神の声にとっても俺は価値があるのだから、絶対に全てを奴の思う通りにはするなと、そうも言っていた。

 今までのことを鑑みるに、神の声は何らかの目的のために神聖スキル持ちの存在を造り、競わせ、育てているとしか思えない。

 リリクシーラの渡り合えというのは、その神の声の目的の手助けを極力するな、ということなのかもしれない。


 ……それにしても、魔王スライムを倒したときにはあれだけ口煩く干渉してきた神の声が、今に限って全くないのが不気味すぎる。

 これで俺には勇者イルシアの〖人間道〗、魔王スライムの〖修羅道〗、魔獣王ベルゼバブの〖畜生道〗、聖女リリクシーラの〖餓鬼道〗の四つが揃ったことになる。


 神聖スキルが六道に沿っているのであれば、あと二つ〖天道〗と〖地獄道〗があるはずだ。

 だが、この二つの話は全く聞いたことがない。

 四つ揃えた時点で、神の声が何らかのアクションを見せて来るものだと思っていた。

 リリクシーラもそう考えていたようだった。

 来ないなら来ないで一生俺に関わらねぇでほしいもんだが、きっとそういうわけにはいかねぇだろう。


 いや、考え事は後だ。

 今はとにかく、アロとトレントさん、アトラナートを捜すことが先だ。


『ヴォルク、マギアタイト爺、黒蜥蜴、俺の背に乗ってくれ。まだ、アロ達の安否を確認できていねぇんだ。すぐにあいつらを捜そうと思う』


「わかった」


 ヴォルクが頷いた。

 俺はヴォルク達を背に乗せ、再び空を飛んだ。


 しばらく飛んでいると、ヴォルクが俺の背を軽く叩いた。


「……イルシアよ、あれではないのか?」


『ん? あれって、どれのこと……』


 言われて首を振ると、遠くに、不自然な巨大な木が直立しているのが目に見えた。

 幹がくるりと回ると、お馴染みの目と鼻が見えた。

 ……つうか、トレントだった。


 トレントの巨体がぴょんぴょんと跳ねる。

 距離が開きすぎていて〖念話〗が届かないが、『主殿~!』と騒いでいるのが容易に想像がつく。


「キシィ……」


 黒蜥蜴が呆れたような声で鳴いた。

 そりゃ黒蜥蜴もびっくりするよな……。


『な、何やってんだトレントさん』


 ……アレじゃ、この地の魔物やリリクシーラの残兵から攻撃されちまうぞ。


 だが、安心した。

 あの様子だと、きっとアトラナートの奪還は成功したのだ。

 同行していたアロも無事に違いない。

 トレントさんは、仲間が死んであんな燥ぎ方ができる奴じゃねぇ。


「……おい、急ぐぞイルシア」


 ヴォルクが真剣な声でそう呟いた。


『えっ……』


 俺はもう一度トレントを見る。

 トレントを目指して、五体のフェンリルが突進しているのが見えた。


『や、やっぱりじゃねぇか!』


 俺は身体に鞭打って、飛行速度を跳ね上げた。

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