第550話 side:ヴォルク

 視界が赤に染まり、破壊衝動に襲われる。

 バンダースナッチの呪念が我を狂気に駆り立てる。


 改めてハウグレーを見据える。

 ハウグレーの周囲一帯を危険領域が覆っているのが見える。

 自然、口許が笑っていた。

 飛び込めば死地?

 そんなものは、アルバンの城に乗り込んだ時点で覚悟していたことだ。


 激情のままに、本能のままに行け。

 刃届かず首を刎ねられたとしても、その口で奴の喉許を喰い破ってくれる。


「ハウグレェエエエエ!」


 我は吠えながら〖燻り狂う牙バンダースナッチ〗を振るう。

 ハウグレーは短剣を構えて攻めに出る。


 いや、ハウグレーの周囲の危険領域が薄まっていた。

 奴は身を引いて確実に狩りに来るつもりだ。


 ならば、その回避ごとぶった斬ってやるまでだ。

 我は地を勢いよく蹴り、深くまで踏み込んで大剣の一撃を放った。


 剣先はハウグレーに僅かに届かなかった。

 奴が思いの外、背後まで逃げたのだ。


「理性が飛んだかに見えたが……いい勘だ。だが、まだ甘い」


 大振りの隙を突いてハウグレーが短剣の間合いへ潜り込んでくる。


 我は大きく前に出ながら足を延ばした。

 ハウグレーは我の足を擦り抜け、短剣で我が腹部を斬りつけて来る。

 腹部に熱と痛みが走る。

 まだ小賢しく引いて来るかと思ったが、さすがに読みを外したか。


 我は背後に跳んで刃の傷を軽減しつつ、身体を捻じって二度目の斬撃を不発にする。

 だが……気が付くと身体を捻じった先でハウグレーが短剣を振るっていた。


「何度も同じ逃れ方をして見逃されると思ったか?」 


 短剣の刺突が放たれる。

 我はそれを素手で受け止めた。

 刃が手の甲へと突き抜けた。

 だが、今の我に痛みは障害になどならない。

 指を絡めて短剣を固定した。


「捕まえたぞハウグレェェエエ!」


 我は大剣の一振りをお見舞いする。

 この一撃でハウグレーの身体を両断するつもりだった。

 ハウグレーは短剣の柄を握りながら、身体を宙で側転させて華麗に回避してみせた。

 そのまま短剣を我が手より強引に引き抜き、宙返りしながら地面へと着地する。


 我は即座に距離を詰め、体勢の整いきっていないハウグレーへと大振りを放つ。

 一撃往なされれば即座に次の攻撃を振るう。

 ハウグレーは我の周囲を軽妙に飛び交いながら短剣で攻撃を往なし、機会を探っている。


「理性が飛んだかに見えたが……先程の剣でワシと打ち合った際に学んだことを己の剣筋に組み込み、経験の浅さを本能で補完して立ち回っておるのか。まさか、ここまでの潜在能力を秘めておるとは。聖女様も見誤ったか、この男が一番厄介ではないか」


 斬る。斬る。斬る。

 だが、どの我が剣も当たらない。

 もっと鋭く、もっと速く振るえ。


 ハウグレーの刃は、浅い刃は見逃していけ。

 何打受けようともいい。

 たった一打入れれば、そこで我の勝ちなのだ。


 お互い決定打を持てないまま剣撃が鳴り響く。


「本当に……剣士として戦ってやれぬ、ワシの卑劣さが残念でならぬ。雇われの身なのでな。それに、こんなワシにも成し遂げねばならぬと決めたことがあるのだ」


 ハウグレーの動きに破綻が出た。

 我は大剣の一撃を振るった。

 ハウグレーの姿がブレる。

 ハウグレーは躱せないはずだった一撃を容易く回避し、短剣を構えて我の隣に立っていた。


 だが、その動きは通さない。


「見えているぞハウグレェエエエエエ!」


 大剣の軌道を切り返し、全力で反対側へと放つ。

 その大剣の先に……ハウグレーの姿はなかった。


 ハウグレーは、連続であの奇妙な動きを使ったのだ。

 我の目前で、跳び上がりながら短剣を構えていた。


 大剣では間に合わない、腕でガードする。

 深く斬られるだろうが、逆の腕で大剣を振るって反撃してくれる。


 ハウグレーは短剣を降ろし、腕を擦り抜けて我の胸部に膝蹴りを入れた。

 読みを、外して来た。

 だが、我は仰け反らずに耐えきった。

 この位置なら一撃当ててやれる。


 ハウグレーの動きがまたブレた。

 これまで回数を控えていたようだったが、我への認識を改めてか、容赦なく使って来るようになった。

 ハウグレーは胸部を擦り抜け、我の大剣へと組み付いた。

 〖燻り狂う牙バンダースナッチ〗を我から奪うつもりか?


「放すと思ったか!」


 我は自身の腕ごと地面へと叩き付ける。

 その瞬間、大剣を握りしめていた手の指に激痛が走った。


 間合いを取ったところでハウグレーが着地する。

 右手には短剣を……加えて、左の手には大剣、〖燻り狂う牙バンダースナッチ〗を掴んでいた。


 〖燻り狂う牙バンダースナッチ〗を手放したことで……思考が鮮明になってくる。


 我は自身の腕へと目を向ける。

 くすり指が、根元から抉られている。

 残りの指も、ハウグレーに柄を回されたらしく捩じれていた。


「思いの外、本体に隙がなかったのでな。見事なものだ。ワシも戦いが終わる前に聖女様に加担する義理があるので、こういう手を取らせてもらった」


 ……あの一瞬に我の大剣を握る手の指の中枢を正確に落とし、大剣を捻じって我の腕から強奪したというのか。


「敵に剣を奪われたことを恥と思うな。それほど強情に握っていたのは、お前が初めてだ。その指の歪みが何よりの証明である」


 ハウグレーが二つの剣を構えながら口にする。

 我は背後に跳びながら、必死に〖自己再生〗で指を戻す。

 剣が使えなくなれば勝機はない。


 しかし……どういうことだ?

 ハウグレーは〖燻り狂う牙バンダースナッチ〗を手にしている。

 だというのに……なぜ、あれほど冷静にいられる?


「驚いているようだな。激情を制御する術は、ワシは修行の旅の中でとうに身に着けておる。お前も、多少は抗えるのであろう?」


 ハウグレーが軽く大剣を試し振りしながら口にする。

 ここに来て……また、新たに格の違いを見せつけられた。

 確かに多少の思考能力は残せるが、ハウグレーのそれは全く平常時と変わりなく見える。

 何百年修行を積もうとこの領域に達せるとは思えない。


「戦意を失った相手を殺すのは性分に合わぬが……お前は二度目なのでな。それに、まだ諦めていないのだろう? 来るがよい」

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