第529話
アルアネは地に伏すフェンリルの死骸の上に乗り、首元へと獣の様に喰らいついた。
普段は見えない、大きな牙が口にあるのがしっかりと見えた。
フェンリルの死骸は俺の〖次元爪〗で臓物を垂れ流していたが、アルアネに噛みつかれると人形のような人工的な動きで再び起き上がった。
恐らく、〖ブラッドドール〗で操るために自身の血を送り込んだのだろう。
……〖ブラッドドール〗のスキルで作られた死骸はある程度破損させれば動きを止められるようだが、これは体内のアルアネの血が抜けたことで操作権限を失ったためなのかもしれない。
再び血を送り込めば、またアルアネの手駒となるようだ。
しかし……ステータスを見るに、〖ブラッドドール〗で強化されたゾンビフェンリルも、アルアネの全力とさして速さが変わるとは思えないが……わざわざゾンビフェンリルに乗る意味はあるのだろうか。
わざわざ俺との戦いがいつ訪れるのかわからない状況でフェンリルと戦って捕まえるような真似をするだろうか?
単に、自身の最大の武器である〖ブラッドドール〗を発動しておかないと落ち着かないのかもしれないが。
俺はゾンビフェンリルに跨るアルアネを先頭に立たせ、アロとトレントを背に乗せて走った。
『……リリクシーラの目的は、〖スピリット・サーヴァント〗か?』
アルアネは俺を小さく振り返り、大きく二度頷いた。
「うん……そうだよ、そうだね。アルアネの〖ブラッドドール〗でいいと思ったんだけど、聖女様は、精神を残せて自在に出せる〖スピリット・サーヴァント〗の方がいいって! だからアルアネね、アルアネはね、頑張って蜘蛛の子を捕まえたの!」
アルアネが得意気に言う。
俺はその言い方に苛立ち、地面を強く足で蹴った。
アルアネは俺の様子に気付く素振りはない。
恐らく揺さ振りを掛けるためではなく、アルアネは本気で悪意なく口にしているのだろう。
……アルアネの口振りから察するに魔物を〖スピリット・サーヴァント〗にするためには、単に死体があっても駄目なようだ。
生きた状態の魔物と接触することが条件なのかもしれない。
だからアトラナートが殺されていない、と考えれば辻褄が合う。
『……で、一人でアトラナートをほったらかして何をしてたんだ?』
「うん……?」
アルアネが困ったように首を傾ける。
どうにも話が上手く通らない。交渉相手としては下の下だ。
俺は牙を喰い縛った。
これでわざと惚けてやがるんなら、本当に大した奴だ。
『だから、なんで捕まえることを目的にしていたアトラナートを放り出して、一人でフェンリルに乗ってやがったのか聞いてるんだよ! お前の〖ブラッドドール〗は、生きている魔物にも通るんだろうが! 生きたまま操って連れて行くことも簡単だったんじゃねえのか!』
アルアネが脅えたように肩を上下に揺らした。
「え、えっとね、えっと……アルアネの〖ブラッドドール〗は、生きてる子には上手く通らないことがあるの。蜘蛛の子も上手く動かせなかったから、とりあえず隠しておいておくことにしたの」
……確かに〖ブラッドドール〗は、生きていればステータス次第で抵抗できる、というふうに書かれていた。
【通常スキル〖ブラッドドール〗】
【自身の血液を自在に操る。】
【生物の体内に血を入れれば相手を人形のように操ることができるが、相手のステータスによっては抵抗される。】
【対象が死体であれば、相手のステータスに関係なく操ることができる。】
アルアネは嘘は言っていなさそうだ。
この話については、だが。
『何のためにわざわざフェンリルを狩って、〖ブラッドドール〗で使役して駆け回っていたんだ。いったいお前は、アトラナートを捕まえてから何をしようとしていたんだ?』
「アルアネね、お腹空いたの……。だからね、だからアルアネね、お腹いっぱいにするために、頑張らないとダメだったの!」
頭が痛くなってきた……。
俺はなるべく早くにアルアネを信じる根拠が欲しいのだが、アルアネの思考回路が全く掴めない。
人間でも魔物でもないアルアネの行動動機を完全に理解しようと考えるのが間違いなのかもしれねぇ。
「竜神さま……」
アロが背の方で、小さな声で俺へと言う。
俺は静かに耳を澄ました。
「……この道、おかしい気がします。最初はそうじゃなかったんですが……アトラナートと別れた位置から、少しずつ離れて行っている気がします……」
一気に胸騒ぎが押し寄せて来た。
俺は前方のゾンビフェンリルに跨るアルアネを見つめ……妙なことに思い至った。
リリクシーラとしては、作戦を確定させるためにアトラナートを捕らえたアルアネにはすぐにでも戻ってきてほしいはずだ。
だが、アルアネの〖ブラッドドール〗がアトラナートに通らなかった以上、アトラナートを連れて素早く移動することは不可能だ。
そうなれば……一見あまり意味のないように見えたフェンリルにも、意味が出て来る。
このゾンビフェンリルは……アトラナートを強引に乗せて連れ去るためのものだったのではないのか……?
だとしたら、アルアネに先導されている今、これはどこへ向かっている?
いや……アロも確信を持っての発言ではまだなさそうだった。
ゾンビフェンリルがアトラナートを運ぶためのものだったのではないかというのも、俺の勝手な推測に過ぎない。
それにアルアネの言動は一貫性はある上に、アルアネに嘘の整合性を取るだけの知性があるとも俺には思えない。
だが……一度だけ、確かめておくべきだろう。
信用ならない相手であることには違いはない。
もしも万が一アルアネに謀られていたとすれば、今これがどこへ向かっているのかも不気味だ。
『アルアネ……お前、言ってること破綻してねえか? わざとらしく誤魔化すのはなしで頼むぜ。信用できねぇと思えば、その時点でこの場で八つ裂きにさせてもらう』
「…………?」
アルアネが不思議そうに俺を振り返る。
『そもそも最初から寝返る気なら、アトラナートに手出しをするのは俺への心象が悪くなると考えたはずだ。なのに、中途半端にリリクシーラに従ってやがったのはなぜだ?』
必要以上に脅しを掛けたのは、アルアネがわざと話を誤魔化している可能性を考えたためだ。
アルアネに従うこと自体がリスクなのだ。これ以上のリスクは背負えない。
この返答を厳しく見て、怪しいと思えば即座に攻撃を開始するつもりだった。
アルアネはぽかんと口を開け、俺の目をじっと見る。
『どうした、質問に答え……』
「……これ以上は、引き延ばせないかな、ないよね」
アルアネの乗っているゾンビフェンリルが軌道を変え、唐突に俺へと飛び掛かって来た。
俺は即座に〖次元爪〗を放つ。
だが、アルアネがこのタイミングで動くとは思っていなかったため、僅かに軌道が逸れ、アルアネには当たらなかった。
ゾンビフェンリルの首が落ち、四肢が地面へと崩れ落ちる。
『あ、主殿、何が……!』
トレントが困惑する。
『こいつ、最初からこっちに取り入るつもりなんてなかったんだ! 警戒心が高まってるのを見抜いて先に動いてきやがった! アルアネは、自分が客観的にどう見えてんのか分かった上で、ああ振る舞ってやがるんだ!』
知性がねえどころじゃない。
とんでもなく狡猾なヤロウだこいつは。
おまけに駄目になったと判断すれば、変に粘ることもなく一気に切り替えて来やがった。
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