第462話

 しばらく、霧に浮かぶ三つの影と、俺の牽制が続いた。

 先に動くべきか?

 いや、相手は三体いる。

 下手にこっちから動けば、相手に隙を突かれる。


 俺は精神を研ぎ澄ませながら、静かに息を吸い込んだ。


「グゥオオオオオオオオッ!」


 影へと〖咆哮〗をかましてやった。

 三つの影の内の一つが、俺に誘われて跳び出してくる。


「ギィィイイ!」


 出てきたのは、背中にまだ血の痕が残る、先程川で顔を合わせたフェンリルだった。

 四つの残忍な眼が、憤怒の炎に燃えていた。


 つーことは……まさか、残りの二体もフェンリルか!?


「ギィオオオオ!」「ギィアアアアアァツ!」


 最初に跳び出した一体に続き、残りの二体が姿を現した。

 真っ黒な巨体に四つの目が浮かんでいる。


 こいつ、その地の生き物を喰い滅ぼしては次の場所へ向かう魔物じゃなかったのかよ!

 何ごく当たり前の様に仲良く手を組んでやがるんだ、争えよ!

 確かに〖仲間を呼ぶ〗のスキルは持っていたが、幼体期の名残か何かだと思っていた。


 ……ここは、フェンリルにとっても一方的な狩場ではない、ということだろう。

 この地には、まだまだ俺の知らない、B級上位やA級のヤベェ魔物がうじゃうじゃといるに違いない。

 フェンリルも、一匹狼を気取ってはいられなくなったのだ。


「ギィオオオオッ!」


 俺は一体目の噛みつきを、身体を背後に逸らして回避する。

 続けて二体目が、退いた隙を突き、身体を捻ってタックルしながら飛び掛かってくる。

 俺は目線で三体目を牽制しつつ、二体目のタックルを余裕を持って大きく右に避けた……つもりだったが、奴の腕のリーチを見誤っていた。

 俺の肩を、二体目の爪が裂いていた。


「ギルォッ!」


 二体目のフェンリルが華麗に着地しながら俺を振り返り、満足げに吠えた。

 こいつら、手慣れてやがる。

 三方向囲いを崩さねぇつもりだ。

 俺も一体相手ならダメージ覚悟で突っ込んで叩き潰すのは容易だが、その隙を残りの二体に突かれることになる。

 

 赤蟻の如くうじゃうじゃと湧いてきやがって。

 こいつら、強さ的にいえば、一体一体が砂漠の大百足、ジャイアント・サンドセンチピードと同等クラスのはずだ。


「竜神さまっ!」


 アロが声を掛けて来る。


 アロはB+クラスだが、フェンリル共は平均レベル70を保っているのに対し、アロはその半分程度のレベルしかまだない。

 とはいえHPと魔法力のステータスの上がり幅がかなり高めなので戦えないことはないのだが、如何せんその分素早さが代償になっている。

 それを補うには、やはり俺の上に乗って魔法を連発してもらうしかない。


「グゥオッ!」


 俺はやや頭を下げる。

 アロが小さく頷いた。


「〖ゲール〗!」


 アロの身体を風が包み、俺の頭上へと飛んだ。


「今度は我の出る幕がありそうだな!」


 ヴォルクが単騎で、一体のフェンリルへと斬りかかる。

 フェンリルは爪で受け止め、剣を弾き返す。

 ヴォルクは地への着地と同時に剣を振るい、巨狼の顔面目掛けて〖衝撃波〗を放ち、地面を蹴ってまた距離を詰め直し、大きく跳躍した。


 フェンリルが煩わしそうに頭を下げて〖衝撃波〗を回避し、宙に浮いたヴォルク目掛けて爪を振りかざす。

 爪がヴォルクの身体を穿った、かに見えた

 だが、ヴォルクは、振るわれたフェンリルの大きな腕の上に立っていた。


「ギッ……」


 ヴォルクは腕から肩へと駆け抜けて跳び、地へと着地した。

 フェンリルの四つ目の一つから、血が噴き上がった。


「こいつは任せろ、我が引き付けておく」


 ヴォルクがにやりと笑い、その場から逃げ出していった。


「ギィオオオオオオオオッ!」


 目を斬られたフェンリルが、牙を打ち鳴らし、ヴォルクを追っていった。

 ……あ、あいつ、本当に人間か?


 残りの二体のフェンリルが目配せをした後、俺の周囲を回りながら駆け始めた。

 確実に死角を突こうという考えだろう。


「〖ダークスフィア〗! 〖ダークスフィア〗!」


 俺の頭に乗ったアロが、フェンリルの軌道へと魔弾を撃ち込んでいく。

 黒い光が爆散し、地面が割れる。

 いいぞ、じゃんじゃん撃ってやれ!

 なくなっても〖マナドレイン〗で俺から吸い上げればいいだけだ。


 さすがにフェンリルは素早く、なかなか当たりはしないが、敵の狙いは崩れ始めてきている。


「ギッ……!」


 この作戦に無理を感じたらしく、片方のフェンリルが下がろうとした。

 そこをアロの〖ダークスフィア〗で行先を潰され、フェンリルの動きが、一瞬停止した。

 今なら行ける!

 俺は〖鎌鼬〗を放ち、フェンリルの太腿を抉った。


「ギアァァッ!」


 フェンリルが叫び声を上げる。

 俺はすぐさま、逆側を駆けるフェンリルへと突っ込んだ。


 片割れは足を負傷したばかりで、すぐには仕掛けて来ないはずだ。

 今の間に、もう一体を確実に仕留める!


 フェンリルは、距離を取るか攻撃に応じるか逡巡したのか、ぴくりと瞼を震わせてから、走る向きを俺へと変えた。

 強気に出て来た。


 地面を蹴り、身体を側転させながら突っ込んでくる。

 どうにもこいつはこの攻撃が好きらしい。

 一度成功した技を繰り返す、短絡的な考えだ。

 俺との素早さの差を、不規則な回転運動で埋められたつもりなのだろう。


 だが、さっきと今では状況が違う。

 あのときは三対一で、残りの二体を警戒するために、こいつだけに気を張ることができなかった。

 しかし、今の奴は単騎で、こっちにはアロがついている。


「〖ゲール〗!」


 アロの風の魔法が、フェンリルの動きを妨げる。

 フェンリルは足を伸ばして着地し、身を翻した。

 諦めが早い。失速した時点で、俺を突破できないと判断したのだろう。

 だが、その決断は、もう少し前にだすべきだった。


「グゥオオオオオッ!」


 俺はフェンリルに飛び掛かり、背を爪で引き裂いた。

 フェンリルが倒れ伏し、腹を地に着ける。


「〖ダークスフィア〗!」


 フェンリルの頭部に、黒い魔弾が飛来した。

 頭部が凹み、周囲に血だまりが広がっていく。


【経験値を1076得ました。】

【称号スキル〖歩く卵Lv:--〗の効果により、更に経験値を1076得ました。】


 一体片付いた、か。

 結構アロに経験値が流れたみたいだ。

 アロのレベルが【Lv:35/85】から【Lv:39/85】に上がっていた。


 最後の一体を仕留めるのは簡単だった。

 足の負傷は〖自己再生〗で治したらしく、ちょいと深追いすることになってしまったが、後ろから追いかけ回してアロと二人して中距離スキルでダメージを与え、隙を見て俺が飛び掛かり、無事に仕留めることに成功した。


 ヴォルクも血塗れではあったが、満足げな顔をして戻ってきてくれた。

 後々、俺が三体のフェンリルの死体を確認に向かい、また裂いてナイトメアの糸で吊り下げ、血抜きを行うことにした。

 ……洞窟の前が肉塊だらけになってしまったが、まあそれは仕方のない事だ。

 なかなか不気味な光景になってしまった。


 ただ……今回は、レベルアップはできなかった。

 レベル120台のレベリングがキツイ。


 Bクラス高レベルを二体仕留めても上がらなくなるとは思わなかった。

 進化まであとたったレベル2なのに、この壁が厚い。


 もっと焦るべきだったかもしれない。

 多少リスクはあるが、Bクラス三体はやってやれない相手ではなかった。

 カオス・ウーズやルインにベルゼバブを相手取ったときに比べれば、このくらいの危険なんざ大した問題ではなかったはずだ。

 死にかけてから手出ししてもらう、という手もあったはずだ。


 蠅の目はこの地の視界の悪さで妨げられているとしても、リリクシーラにはラプラスもある。

 明日にでも現れたとしてもおかしくはない。

 もうちょっと……多少のリスクは、背負う前提で動くべきだ。

 ヴォルクは俺の留守を十分任せられるくらいには強い。


 見知らぬ土地で、視界も悪い。

 どんな魔物が出るかもわからない。

 だが……それよりも、リリクシーラの方が遥かに危険だ。

 ここに来てから、危機を乗り越えた反動もあって、少し慎重になりすぎていたかもしれない。

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