第456話

 アロの〖ゲール〗に散らされた蠅の生き残りが、また俺を狙う様に接近してくる。

 アロの背後から跳び出した人影が俺のすぐ横に降り立ち、素早く一体の蠅の首を深く斬りつけた。

 斬られた蠅が肩から地に落ち、体液を撒き散らしながら転がり、動かなくなる。


「……悪くない斬れ味だ。亡き我が妻、レラルからは数段落ちるがな」


 剣を振るった半裸の大男は、ヴォルクだった。

 手にする剣を見てみれば、剣がマギアタイト爺の変化形態だ。


『ヴォルク……お前、聖騎士団に捕まってたんじゃ……』


「あんな連中に、遅れなど取るものか。魔王の配下から受けた傷を癒すために、わざと大人しくしていただけのことだ。少々態度に腹が立って無茶をやったので、しばらく人里には戻れそうにないがな」


 お、おう……それでアロ達と同行して、ここまで来ていたのか。


 アロも俺の前へと立ち、生き残りの蠅を睨む。

 逃げようとした一体が、急に宙で動きを止め、もがき始める。

 木から現れたナイトメアが、大きな口を開けて腹部へと喰らいつく。


 残りの蠅達も撤退するつもりはないらしく、しつこく俺に張り付き、各々別の方面へと飛んで取り囲み、飛び掛かってくる。

 だが、アロとヴォルクが次々と迎撃していき、あっという間に蠅達は全滅した。


「キシィ……」


 黒蜥蜴が、不安そうに俺の顔の周囲をウロウロとする。

 心配するな、あいつらは俺の仲間だ。もう、助かったんだ。逃げ切れたんだ。


 アロが立っていた鉱山の小さな崖の上から、トレントが遅れて幹を張りながら現れた。

 あいつは何もやっていないが……いつもの様子に、少しだけほっとさせられる。


 俺はそのまま、その場へと蹲る。

 色々な事が連続して起こりすぎた。

 俺のHP、MPがここまでもってくれたのは、奇跡としか言いようがない。


 異世界に転生してから、ここまで追い込まれたのは初めてだ。

 ……そして、ここまで哀しい目に遭ったのも、初めてのことだ。


 交戦を終えたアロが、俺のすぐ傍へと向かって来る。


「竜神さま! もう、あの魔物達は片付けまし……竜神……さま?」


 アロが目を丸くして、俺を見た。

 正確には、俺の、空席になった隣の首を見ていた。

 切断面にはまだ血が滲み、骨が露出している。


 人化によって強引に形を変え、魔力が完全に尽きるまで粘っていたせいか、俺は〖人化の術〗を解いた後も、少し潰れた様な外観になっていた。

 時間経過で今ではすっかり元には戻っているが……そのためだろう、すぐに外敵の処分へと意識を向けていたアロは、今まで相方がいないことに気が付いていなかったようだった。


 辛い。特に、ナイトメアには……本当に、知らせるのが辛い。

 いっそ途中で俺が力尽きちまえば、アロ達に知らせなくても済むだなんて、そんな卑怯なクソみたいな考えが、一度頭を過ぎっちまったくらいだ。

 無論、そんなことが許されるわけがない。

 あいつは、俺を庇って犠牲になったのだ。


 危機が過ぎ去って、少しだけ頭に余裕ができると、歪に軽くなった自分の身体のことを、意識せざるを得なかった。

 相方が死んだのだと、激戦続きで薄れていたその事実が、改めて俺の頭へと突きつけられる。

 自分の目から、涙が落ちた。


 俺は頭を地に着けた。


『……相方は、俺を庇って殺されちまった』


 アロもトレントも、呆然と立ち尽くし、俺の〖念話〗を受け取っていた。

 ナイトメアも、動きを止めたまま、俺をじっと見ている。


「そう、であったか……」


 ヴォルクが零して、目を伏せた。


 ナイトメアが木を降り、俺へと向かって来る。


 ……元々、ナイトメアは、俺よりも相方に対して好意的だった。

 相方に庇われ、一人だけ帰ってきた俺を、あまりよくは思っていないのだろう。

 何か言いたくなる気持ちはわかる。俺も、何を言われても受け入れるつもりだ。


 ナイトメアの前脚が、そっと俺の頭を撫でた。


 ナイトメアも、辛かったはずだ。

 だが、俺を責める様なことはしなかった。

 きっとそれは、ナイトメアにも俺の気持ちがよくわかっていたからだろう。


 しばらく沈黙が続き、ヴォルクが口を開いた。


「……ウロボロスよ、これからはどうするつもりだ? 聖女は、どうあってもお前を殺しておきたいようであったぞ。じきに追ってくるかもしれぬ」


『逃げる……しかない。奴が捕らえた魔物を操れる射程が掴めないからなんともいえねぇが、ここに奴の使役しているベルゼバブが乗り込んできたら……はっきり言って、勝ち目がねぇ』


「我は、その後のことも聞いている」


 ……その後、か。

 恐らく聖女は、俺がどこへ逃げても、必ず追ってくるだろう。


『……裏切られた後も、できることなら和解してぇと、俺はそう思っていた』


 スライムを倒した後に、リリクシーラが攻撃を仕掛けて来たとき……俺は、心の底から奴が憎かった。

 だが、少し時間を置いて……リリクシーラは立場上の仕方ない決断だったんだと、俺はそう思った。

 或いは、思いたかったのかもしれねぇ。


 神聖スキルを宿し、魔物の最強格ともいえるベルゼバブを使役するリリクシーラは、人間代表といっても過言ではない。

 仮に俺が、人間へと牙を剥いたときのことを、リリクシーラは想定せざるを得なかった……かもしれないと、俺はそう考えたかった。

 例えば俺が進化して、自我のないルインの様な化け物になったとき……持て余した膨大な力を、何かの拍子に人間へと向けたとき……俺が自身の処遇に対して不満を抱き、次の魔王になったとき……そういうケースを、想定したのかもしれない、と。


 そしてもしかしたら、裏切られた後も命懸けでルインを王都から引き剥がした俺を見て、考えを改めてくれるかもしれないと、そんな甘いことを俺は考えていたのだ。


 だが……すぐに、んな考えは、間違いだったのだと思い知らされた。

 リリクシーラはベルゼバブを俺へと嗾けて来た。

 それにベルゼバブの速さを考えても、追いついてきたのがあまりに速すぎる。

 リリクシーラが俺の処遇を悩んだとは思えない。

 状況を知るなり、迷いなく切り札を切り、ベルゼバブを俺へと放ったのだ。


『……拠点を作り、準備を整える。俺が進化すれば、ベルゼバブ相手にも十分戦える力が手に入るはずだ。そして……リリクシーラを、返り討ちにする』


 俺はもう、絶対に仲間を失わねぇ。

 そのためには、リリクシーラとだって、神の声とだって戦ってやる。

 リリクシーラが人間最強だとしても、ベルゼバブが魔物最強だとしても、神の声がどんなに得体のしれない奴だったとしても、関係ねぇ。

 俺がその上に立ち、奴らを倒す。

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