第442話

 リリクシーラは俺へと杖を向けながら、窓枠から跳んで広間の中へと入る。

 着地と同時に杖を振るった。


「〖ホーリースピア〗」


 杖先から放たれた光の槍が、高速で俺へと接近してくる。

 避けられるか?

 いや、厳しい。


 だったら、防ぐしかない。

 爪で掻き消して防御すると同時に、奴に〖鎌鼬〗をお見舞いしてやる!

 俺は翼を広げると前脚を振るい、光の槍の先端に爪をぶつける。


 削れた俺の前足の指が二本、床に転がった。

 相殺しきれなかった光の槍は、しかし軌道を逸らし、俺の背後へと刺さる。


 俺は激痛に耐えながら、翼を羽搏かせ、生じた風を振るった腕に乗せ、爪先からリリクシーラ目掛けて風の刃を放つ。

 そのまま身体を捻り、もう一発、別の方向へと〖鎌鼬〗を放った。


 リリクシーラの手前まで風の刃が到達したとき、彼女の前方に、光の壁が生じた。

 風の刃は光の壁に吸い込まれ、表面に波紋を浮かべて消滅する。

 かと思えば、再び壁の表面を貫き、今度は俺向きに風の刃が飛来してくる。


 返ってきた風の刃を、相方が寸前のところで顔を逸らして回避する。

 掠ったらしく、体表の鱗が落ち、青い血が飛んだ。


 あれは恐らく、リリクシーラのスキル、〖ミラーカウンター〗だ。

 こっちは既に詰んでるようなもんだっつうのに、あいつ、まだまだ俺の知らない便利なスキルを持っていやがる。


 リリクシーラは俺を見る目を僅かに細め、何か思案する様に、空いている手で自身の口許を触れる。


「……不確定要素が怖かったからここまで保険を重ねたのに、想定外れがこうも続くなんて。考えすぎならば、よいのですが」


 リリクシーラが呟く。

 ……何か、予定が狂ったのか?

 だとしたら、付け入る隙になるかもしれないと思ったが、考えてみても、俺の優位に働きそうな潜在的な要素がこの場にあるとは思えない。

 クソッ、神の声ともっと仲良しごっこでもして機嫌伺って、情報引き出しておいた方がよかったのか?


 そのとき、別の方から怒声が上がる。


「ぐうっ! や、やられた……!」


 アロに剣を向けていたバレアが、血の溢れる腕を押さえ、俺を睨んでいる。

 手から離れた剣は、やや離れたところに投げ出されていた。


 俺の放った二発目の〖鎌鼬〗は、バレアを狙ったのだ。

 避け切れず、腕を負傷したようだ。


「この状況で、よもや人質は無意味か! とっとと処分するべきだった!」


 バレアが素手の腕をアロへと向ける。

 魔法系統の攻撃スキルがあるのだろう。

 アロは素早く起き上がり、地面を蹴って背後に跳び、バレアから距離を取った。


「バレア、もうよい! アンデッドなぞ放って置け! リッチであろうとも、アレに比べれば小物だ!」


 アルヒスが叫ぶ。

 バレアが動きを止め、尻目に俺を観察する。


「しかし、アルヒス殿! あのアンデッド、逃げる素振りがない!」


 ……例え勝ち目がなくとも、少しでも気を逸らし、アロが逃げられるタイミングを作る。

 それが俺の狙いだった。

 悪足掻きは上手く行った。アロの解放はできた。


『アロ、早く逃げろ! できることなら、ナイトメアとマギアタイトの爺を拾ってやってくれ!』


 アロが止まり、戸惑う。


『早くしろ! お前がいると、俺まで逃げられねぇだろうがよ!』


 アロがびくりと肩を跳ねさせ、背を振るわせる。

 それから顔を隠すように俯き、身体を翻した。


 ……悪いな、アロ。

 アロは、こうでも言わねぇと、先に逃げてくれるとは思えなかった。

 次に会えたら謝りてぇが、きっとその機会は来ないだろう。


 リリクシーラが、俺の目前へと跳び込んでくる。

 ……間合いを狭めに来た?


 俺は元々、遠距離スキルは雑魚狩り用とダメージ稼ぎ用しか持っていねぇ。

 相手から距離を詰めてくれるなら好都合だ。

 もしかしたら、運が味方して上手く一撃入れられたら、リリクシーラを撤退させることもできるかもしれない……。


 俺が前足を振り上げたとき、リリクシーラは既に杖を掲げていた。


「〖グラビティ〗」


 リリクシーラを中心に、黒い光が円状に広がっていく。

 俺の身体が重くなる。上げた前足が、首の位置より高く上がらねぇ……。


「貴方の身体は、もう限界なんですよ。そのことは、自分が一番わかっていらっしゃるのでしょう?」


 ……ああ、そうらしい。

 だが、これで、アロだけは逃げ切れたはずだ……。


 俺は目の焦点を、視界端へと向ける。

 アルヒス、バレアも〖グラビティ〗の影響下に入っていたため、膝を突いている。

 更にその外側で、アロが床に突っ伏していた。

 俺は目を見開く。


『ア、アロまで殺す意味ねぇだろ! お前の狙いは、神聖スキルなんだろうが! こっちは命懸けで魔王を処分したんだぞ! それくらい情け掛けてくれたっていいだろうが!』


 リリクシーラは俺には反応を返さず、面倒そうに顔を顰め、わずかに背後を振り返る。


「煩くなる前に、片を付けたかったのに……」


 リリクシーラの呟きと同時に、広間の中へと、武装した集団が入り込んでくる。

 三人ほどかと思いきや、すぐに続いて追加で七名ほどが入り込んできた。


 纏っている防具も武器も、格好にも統一感がない。

 鎧を纏っている者もいれば、上半身は裸で、巨大な棍棒を背負っている奴もいる。


「やっぱ噂通り、魔王が王女に成りすましてたのは本当だったんだな!」

「や、止めておきましょう……あんな大型のドラゴン、こっちに向かってきたらひとたまりもありませんよ!」

「馬鹿言うな、死にかけじゃないか! それに、聖女様が動きを押さえている。これで俺も英雄の仲間入りだな!」


 魔王が餌として城に招いていた冒険者……では、ないな。

 そもそもあの連中は大怪我をしていて、それどころではないか。

 大方、王都アルバンを拠点にしている冒険者が、城の様子が不審なことに気が付いて、集まって押しかけて来たのだろう。


 ステータスは大したことはない。

 E+から、C-辺りといったところだ。

 だが、このせいで、アロが更に逃げにくくなった。

 おまけにこの上、まだまだ他の冒険者や、別方面でスライムの後処理に掛かっているリリクシーラの部下が回ってくるはずだ。


「……危険ですので、下がっておいてください。それに、手助けも不要ですよ」


 リリクシーラが杖を掲げると、その先に黒い光が集まっていく。

 これは、重力魔法〖グラビドン〗だ。

 今のステータスで直撃を受ければ、俺は間違いなく死ぬ。


 ……いいさ、来やがれ。

 〖グラビドン〗に意識を移したためか、〖グラビティ〗の拘束は弱まってきている。

 跳びながら翼で防いで、どうにか軌道を逸らしてやる。

 そしてそのまま、死に物狂いであいつに喰らい付いてやる……!


「うぶっ……」


 そのとき、リリクシーラの身体が唐突に揺れ、口許を押さえてよろめいた。

 増大していた〖グラビドン〗の光が、急速に縮小し、掻き消えていく。

 辺りの〖グラビティ〗の重力も弱まっていく。


 な、なんだ?


「セラピム……?」


 リリクシーラが、顔を強張らせて呟く。

 素で驚いている様子だった。


 ……よくわかんねぇが、好機だ。

 今の間に、一撃叩き込んでやる!


「グゥォオオオオオッ!」


 俺は真っ直ぐ跳び、リリクシーラへと前脚を振るう。


 リリクシーラは後退しながら杖を振るう。

 光の槍が二本、俺目掛けて飛来する。

 俺は前足を地面に叩きつけ、着地のタイミングを早めた。

 二本の槍は、俺のすぐ前の床を貫く。


「リリクシーラ様、どうなさいました!」


「後で説明します。今はまず、こちらを先に終わらせましょう」


 俺が〖グラビティ〗の拘束から解けたのを見て、野次馬の冒険者達が青褪めて掃けていく。


「ま、まだ動けそうじゃないかあのドラゴン!」


「止めるな! お、俺は英雄になるんだよ!」


 矢が放たれたのは見えたが、避けてリリクシーラに隙を晒すわけにもいかなかったため、敢えて放置した。

 聖女の魔法スキルで鱗が剥がされていた腹に、矢が突き立つ。

 ク、クソ、さすがにダメージ入るか。


「見ろ、俺の矢が、当たったぞ! 俺の矢が!」


 ……焦るな、俺。大したダメージではない。

 放っておくしかない。


 そのとき、辺りが大きく揺れた。

 城の地下が崩れていたため、その上階に当たるこの階層の床へまで、崩壊が伝わってきたのだろう。

 俺の目前に、亀裂が生じた。この辺りの床が崩れる。


 俺が床を蹴って後ろの上方へと飛んだとき、リリクシーラは崩壊に怯まず、俺を追う様に前に跳び出していた。

 杖先は、俺の胸部に固定されている。


 迂闊な動きだったか。

 しかし、崩壊に足を囚われてる時点で、光の槍で串刺しにされるのは変わらなかっただろう。

 ここまで、か……。

 そう覚悟したとき、床の亀裂が一気に広がり、その中央部から何かが湧き上がってきた。


 俺とリリクシーラの間に現れたのは、流動的に色の変わる、光の塊だった。

 虹色の光の塊が、ドラゴンの輪郭を模している。


「な、何がどうなったら、こんなことに……」


 リリクシーラは顔を引き攣らせたが、そのまま杖を振った。

 光の槍は化け物の胸部に突き立てられたが、そのまま化け物の放つ虹色の輝きに呑まれる様に消えて行った。


 化け物の目のない頭が、リリクシーラへ向けられる。

 リリクシーラは後ろに跳びながら杖を振るう。

 彼女を守る様に、光の壁が浮かび上がった。

 俺の〖鎌鼬〗を跳ね返したスキル、〖ミラーカウンター〗だ。


「オオォォ、オオオ……」


 化け物の口から、奇怪な音が漏れる。

 リリクシーラのすぐ前に、化け物と同じ色、虹色の光の球が浮かび上がる。

 次の瞬間、〖ミラーカウンター〗の光の壁が、粉々になった。


「えっ……」


 リリクシーラの呟きが聞こえたと同時に、俺の視界が光に埋もれ、衝撃が全身を襲った。

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