第422話 side:ヴォルク

 〖燻り狂う牙バンダースナッチ〗の影響により、我が視界が赤に染まる。

 脳が殺意と興奮に支配される。

 何かを斬り殺したい衝動に襲われる。


 この魔剣は、所有者を強制的に怒り狂う狂戦士へと変える。

 恐らくこれが魔獣王バンダースナッチの見ていた世界なのだろう。


 この剣を扱うためにも我は精神修行に重きを置いて来たが、それでもこの剣を掴んだときの興奮を、破壊衝動を、未だに抑えることができない。

 ここから先は、激情に任せ、本能のままに斬る。


「なに、アイツ……雰囲気が変わっ……」


「はぁぁぁぁぁぁっ!」


 力任せに、魔剣を床へと叩きつける。

 床が割れ、破片が辺りに舞う。

 跳び上がって壁を蹴り、醜女のスライムへと跳ぶ。


「アハ! なぁんだ、馬鹿になったってだけみたいね! 〖水刃〗! 〖水刃〗!」

「〖水刃〗!」


 二体のスライムが、我を挟んで水の刃を連発する。


「宙にいるから、避けるには防ぐか、軌道を逸らすしかないわ! そこを狙うわよ!」

「……うん、お姉ちゃん」


 ――我は、〖水刃〗を正面から受け止めた。

 無数の刃が、我が身体を刻み、いくつもの傷を作る。


 痛みは感じない。興奮が遮断する。

 今の我は、痛みも苦痛も疲労も、命尽きるその手前まで感じない。


「……え?」「は、はぁぁあ!?」


 我は魔剣を傾けて重心を動かし、床へと急降下する。

 醜女のスライムの横へと降り立った。


「うおおおおおおお、らぁああああっ!」

 

 大振りの一撃を放つ。

 醜女はスライム独特の動きで身体を捻り、回避する。


「うげぇっ! 愚直になった分、バカみたいにぶん回す速度が上がってるわぁ! あれ、攻撃力補正だけじゃないわね。あっぶなぁ、あんなの直撃したら……」


 魔剣が床を叩き、破壊する。


「いぎゃあぁっ!」


 生じた衝撃波により、醜女のスライムが宙を舞う。

 我は浮いた無防備な身体へ向け、魔剣を構える。


「おぉ、うぉおおおおおおおお!」


「ちょ、ちょっと! やめ、やめなさい! やめろぉ!」


「させない、〖コンフュージュ〗!」


 少女のスライムの放った黄色い光が、我を包む。

 脳内が掻き乱される不快感に苛立ち、我は顔に力を込める。


「……間に合った」


「ば、バッカじゃないの。フフ、正面から跳んだらこうなるって、わからなかったのかしら……いや、本当にわかってなかったみたいね! アハァ! ほんっとにしぶとい男だったけど、ようやく終わったわね、これで死ねぇ!」


 醜女のスライムは、宙に浮いたまま、我へと触手を伸ばす。


「うぉらああああああっ!」


 我は魔剣の大振りを、そのまま醜女のスライムへと打ち付ける。


「あっ……」


 魔剣の一撃を受けた醜女のスライムが床に身体をぶつけ、そのままの勢いで大きく跳ね、壁に背を打ち付ける。

 輪郭が崩れ、粘体の身体を痙攣させる。


「あ、あぐ……! し、しくじったわね、馬鹿ぁ! この……この、愚妹がぁ!」


「ち、違う! 効いてない! 多分、あの剣の精神干渉のせい! こっちから何かしなくても、既に錯乱に近い状態になってるから、意味がないんだと思う!」


「な、なにそれ!? はぁ!?」


「ほとんど本能で、その場その場の反射で動いてる! 乱す思考が、そもそもないのかも……」


「じゃ、じゃあ、〖コンフュージュ〗が効かないってことぉ!? ここに来て、そんな……! 本当にアイツ、もうバケモノじゃない!」


 我は床を蹴り割り、醜女のスライムへと距離を詰める。


「狩らせてもらうぞぉおお! メフィストォ!」


「こっ、この!」


 醜女のスライムは壁から剝がれ、床を這って我から逃げ始める。

 逃走しながらも〖水刃〗を放ってくる。

 我は魔剣で逸らしつつ、動かねば避けられない分は身体で受け、最短距離で醜女のスライムを目指す。


「どうにかアレを止めなさい! アタシが確実なダメージを与えて殺してやるわ! 瀕死なのは間違いない! だってあれだけ受けて、平気なはずがないもの! そうでしょ!」


 醜女のスライムが、円を描く様に逃げる。

 後を追う。


 しばらく追って距離が縮まってきた頃に、横から飛んできたものに気が付いた。

 少女のスライムだ。

 途中から妙な動きで逃げていくと思えば、これに我を待ち伏せさせるため、誘導していたらしい。


 身体が変形し、我の身体に纏わりつく。


「……今の内に、私ごと!」


 身体が、思うように動かない。


「よくやったわぁ! ここで半身を失うのは痛いけど、負けるわけにはいかないものねぇ!」


 醜女のスライムが移動を中断してこちらを振り返る。

 手には、黒い光が溜まっていた。

 我はスライムの押さえ付ける力に抗い、魔剣を振り上げる。


「……何をやっても、無駄。竜狩り……貴方は、私と死ぬ」


 我は、残る全ての魔力を、魔剣へと集中する。


「〖グラビドン〗!」


「〖衝撃波〗ァ!」


 魔剣を振るう。

 〖燻り狂う牙バンダースナッチ〗から放たれた斬撃が、憤怒する竜を模し、黒く光る球体へと向かう。

 竜の爪が床を削り、牙が〖グラビドン〗の球体を喰らう。

 押さえ込まれた超重力の塊〖グラビドン〗が膨れ上がり、凄まじい轟音と共に破裂した。


「こ、この、バケモノ男がぁ!!」


 辺りに土煙が舞う。

 壁に大穴が空き、天井が崩れて瓦礫が落ちる。

 土煙が晴れた時、飛び散った緑の水の飛沫だけが、辺りに舞っていた。


「お、お姉ちゃ……! この……!」


 少女のスライムが、我へ纏わりつきながらも上半身を形成し、腕の先を剣へと変える。


「動揺したか、勝負を急いたな!」


 我は身体を大きく振るってスライムのバランスを崩し、隙の生じた胸部から上を切断した。

 宙を舞う少女へ、続けて追撃の一撃をお見舞いする。

 少女の絶叫が響き、緑の水が舞う。

 身体に残っていた粘体が、我から剝がれていく。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 赤色が掛かっていた視界が晴れていく。

 ちょうど、体力も気力も尽きたらしい。


 ……どうやらここが我の限界と見える。

 体力尽きるまで暴れるしかないバンダースナッチを手にした時点で、ウロボロスを追う選択肢は消えてしまっていたが。


「約束は果たせなかったな、ウロボロスよ。だが、役目は果たしたぞ、不甲斐ないが、これで許せ」


 我は魔剣を握りしめたまま、壁に背をついてしゃがみ込んだ。

 酷く身体が重い。

 混乱魔法と魔剣の精神干渉、魔力と体力の酷使のせいであろう。

 頭の中も、ぐるぐるとしていて気持ちが悪い。

 まともに立っていることさえ叶わなかった。


 手に、ひやりとしたものが触れた。

 メフィストの身体の一部だ。


「……幻蝶の剣、メフィスト。確かに貴様らは強敵であったぞ」


 我は小さく呟き、目を閉じた。

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