第318話 side:アザレア

「……こんなときに〖サモン〗を使わされるとはな」


 囮目的であったため、召喚したのは消費魔力が低くて済むレチェルタの下位種なのだが、私が身体を犠牲にしてまで残した魔力をこんなことで失うのは、あまり愉快ではない。


 私の呟きを聞いて、傍らの魔術師――シェリーが、申し訳なさそうに顔を俯かせた。

 シェリーは自分の使った気配を消す魔法〖ヒドゥ〗の精度が甘かったせいで、あのウロボロスの片割れに察知されかけたと思っているのだろう。


「シェリー、お前の魔法の腕はノーウェルも一目置いている。……しかし、あの双頭の片割れ、大分勘がいいようだ」


 洞窟内部には七人、外には自分とシェリーの二人を対ウロボロス用戦力として配置している。

 もっともシェリーは、単に〖ヒドゥ〗の魔法でウロボロスから身を隠すために置いているだけだが。


 トールマン閣下に最悪の事態が起きないようそれなりに腕の立つ護衛を付けておくことを考えれば、残りの面子でまともに使えそうなのがこれだけだったのだ。

 後は何人いようとさして意味はない。


 それに、元よりまともに戦闘を行うつもりはない。

 本当にウロボロスであれば、Aランク相応の魔獣である。

 ウロボロスは圧倒的な体力と魔力を活かし、無限にアンデッドを嗾けることを基本戦略としていたことで知られていたが、アンデッドを例の子供以外に見かけないのが幸いといったところか。

 だとしても、正面を切って戦って勝てる相手ではない。

 それは人化による弱体化を誘発させることができたとしても、変わりはしない。


 ウロボロスを洞窟奥へと引き付け、私が竜化して〖ドラゴフレア〗を放ち、洞窟を崩壊させて生き埋めにする。

 これが当初からの目的である。

 閣下には〖フレア〗を使うと言ったが、それは他の隊員に生き埋めにすることを悟られないためである。

 ウロボロスが相手では〖フレア〗はおろか、〖ドラゴフレア〗でも仕留めきれるかどうかは怪しい。

 確実に滅ぼすためには不意打ちで〖ドラゴフレア〗を叩き込み、そのまま崩壊した洞窟の下敷きにするより他にない。


「アザレア様……その、ノーウェル様達を、いつお戻しになるおつもりでしょうか?」


「…………」


「アザレア様?」


「彼女達はウロボロス討伐における最大の功労者であったと、閣下にはそうお伝えしておけ」


「そ、それって……。ア、アザレア様は、あの獣人の子を、随分と気にかけていたのでは……」


「交戦中だからこちらまで意識を向ける余裕はないだろうが、あまり声を荒げるな」


 シェリーは何か言いたげな様子ではあったが、それ以上は口を開けることはなかった。

 此度の戦いでは『飢えた狩人』の被害も尋常ではない。それがほんの十人足らず増えるだけである。

 閣下の道のためには小さな犠牲だ。


 やがて洞窟の外にまで響く、剣の連撃の音が響く。

 ネルが例の剣技を使ったのだろう。このタイミングで出たということは、もう先は長くない。

 全滅は時間の問題だろう。思ったよりは持った方だ。


「シェリー、お前はもういい。トールマン様達を追え」


「アザレア様、何を……」


 〖竜化の術〗は久々に使う。

 身体の負荷があまりにも重いためそうそう気軽に使えるものはないのだ。

 だが〖ドラゴフレア〗は人間の生身で撃つことはできない。

 もしそんなことをすれば、効果は充分に発揮できず、おまけに反動に耐えきれず自分の身体の方が破壊されてしまう。


 魔力を全身に行き渡らせ、血の温度を急上昇させる。

 私の身体に混入させられている竜の血の感覚を探り当て、その記憶を掘り出して再現するよう強いイメージを持つ。


 身体が一気に膨らみ、強い興奮に襲われる。

 いざというときに制御できるよう長い精神修行を続けていたのだが、それでも簡単に抑え込めるものではない。

 竜としてのものなのか、強い破壊衝動に襲われる。


 視界の高さが大きく変わっていく。

 視界端に、シェリーが驚いているのが見えた。

 閣下から与えられた任務中に使ったこともあるので『飢えた狩人』の中には聞いたことのある者もいたはずだが、シェリーの耳にまでは入っていなかったらしい。


 私は肥大化した大きな足で地面を蹴り、洞窟の前へと飛び出した。

 入口の上側を爪を立てて手で掴み、中を覗く。

 いた。想定とはやや離れた、鱗の塊のようなやや不格好な姿をしていた。

 ネルの攻撃を防ぎきるためだろう。

 その鱗の塊が洞窟の外へと振り返り、そして目が合った。


「ウォオ、ォォオオォオオオオオ……」


 自然と声が漏れる。この身体が、血が、竜との対峙に興奮しているのだ。


 自分の顔の前に魔力を溜め、灼熱の光の球を作り出す。

 充分に魔力が溜まったところで真っ赤な光の球を呑み込み、中にいるウロボロスの人化形態へと吐き出した。

 〖ドラゴフレア〗の衝撃で、洞窟内側の壁が剝がされていく。

 倒壊させるには十分な威力だ。

 ウロボロスも異常を察してか、即座に〖人化の術〗を解除して洞窟外側へと向かってきた。


 ウロボロスの巨体が洞窟の壁に圧迫される。

 身動きが取れなくなったその胸部へと〖ドラゴフレア〗が炸裂した。


 ウロボロスの二重の咆哮と共に洞窟の崩壊が始まった。

崩壊した天井や壁がいくつもの大きな土塊となり、洞窟の中にいるウロボロスを押し潰していく。

 ウロボロスは翼を広げて土塊を押し返して崩壊した罅から逃げ去ろうとしたようだが、すぐに新たに重なっていく土塊に埋もれて姿が見えなくなった。

 しばらく轟音が続いた。


 崩れた洞窟の土砂は、全く動く気配を見せなかった。

 最悪まだ生きていることも想定していたが、さすがのウロボロスも土砂の下敷きにされては生きてはいられなかったようだ。

 ……が、保険だ。

 土砂の中に隠れ、魔力の回復を狙っている恐れもある。


 再び口を開け、顔のすぐ前に魔力を溜めて灼熱の球を作る。

 ウロボロスは最後、後方へと飛んで天井を押し上げて逃げようと試みたようであった。

 ならば……位置は少し後ろの方に補正して、あの辺りか。

 やや不自然な膨らみがあるようにも見て取れる。


 球を呑み込み、縮れた翼を広げて地面を蹴り、高く飛び上がった。

 そして二発目の〖ドラゴフレア〗を放つ。

 灼熱が土砂を掻き分けて弾き飛ばし、崩壊した洞窟の全体を大きく揺さぶった。


 土砂が弾けたその奥には、うつ伏せに倒れたウロボロスの姿があった。

 位置の予想は当たっていたようだ。

 露になった蒼い体表は、ところどころ黒く焼け焦げていた。

 身体のあちらこちらは岩に押し潰され、蒼い血が溢れ出ている。

 翼もすっかり拉げており、あれほど勇猛に暴れていた面影は既にない。


 ウロボロスは動かない。

 敵に位置を暴かれて攻撃まで重ねて受けたというのに、まったく動かない。

 ようやく力尽きたのだ。

 〖ドラゴフレア〗を撃つ魔力はもうないが、あの亡骸を引っ張り上げるだけの魔力はまだ残っている。

 土砂の山の上を駆けて接近してから飛び上がり、うつ伏せに倒れているウロボロスの背を狙う。


 ウロボロスの目が開いて両方の首が持ち上がり、潰れた翼を広げて跳び上がり、前足で私を弾き飛ばした。


「ウォァァッ!」


 地面に叩きつけられてから、すぐ起き上がる。

 起き上がりの一撃だったからか、幸い威力はなかった。

 しかし、なぜ、アレがまだ平然と動けているのか。

 体力の化け物だとは知っていたが、これほどだとは思わなかった。

 〖ドラゴフレア〗をまともに二発受け止め、洞窟の崩壊に巻き込まれてもまだなお息があるとは。

 だとしても、なぜウロボロスは動かなかったのか。


 ウロボロスがいたところへと目線を落とせば、人質として捕縛していたリトヴェアル族の子供達が、ほとんど無傷でそこに集められていた。

 ネルの姿もそこにあった。


「…………」


 後ろに向かおうとしたのは、逃げるためではなく、子供を守るためだったようだ。

 それにしても崩壊から全員が完全に逃れられたとは思えないのだが……恐らく、回復魔法を使用したのだろう。

 驚いた。

 ネルを焚き付けるために必要以上にウロボロスの恐怖を煽りはしたが、大きく事実と異なることを口にしたとは思っていなかった。


 しかし、まさか、本気でここまで追い詰められても子供を優先するとは、思ってもみなかったことだ。

 ウロボロス本体はボロボロの身体のままだ。

 子供の回復を優先し、魔力が尽きたのだろう。


 さっきの一撃……かなり軽かった。

 私の魔力もかなり怪しい。これ以上の竜化は危険だ、最悪命にも関わる。

 ……が、この身体ならば、押し切れる。

 〖ドラゴフレア〗や洞窟の崩落に削られた体表が、再生もされず、満足な回復もされずにそのままだ。

 今ならば、弱った部分を力任せに攻撃すれば、息の根を止められる。


「グゥウウウ……」


 ウロボロスが、低めの姿勢で私を睨む。

 あの巨体だ。自重に耐えるのもしんどいのだろう。


「ウォオオオオオオォオッ!」


 一気に近づき、力任せに体表が削がれた胸部へと下から抉るように爪を叩きつける。

 露出した肉に四本線を刻む。


「グォオッ!」「ガァァッ!」


 左右から、荒れ狂うように首が喰らいかかってくる。

 動きは読んでいたので素早く背後に下がる。

 行ける。かなり動きが鈍い。

 虫の息だ。ギリギリだが、私が勝った。


「ウゥ、ウゥウウ……」


 地面を蹴って跳びあがろうとしたのだが、私はそのまま膝を地に突いていた。

 魔力が、もうない。このままでは身体が戻る。

 足を動かそうとすれば、身体中に恐ろしいまでの激痛が走った。

 こうギリギリまで竜化を使ったことはなかった。これ以上は、私自身の身体がどうなるのかということへの不安も大きい。

 まともに戦える状態ではない。


 だから切り替えた。

 今の今まで努めて冷静であろうと心掛け、竜化の副作用である狂暴化に抗っていた。

 だが今は本能のままに任せてしまった方がいい。

 理性は、身体を維持することだけに振り分ける。


「ウォオオォオオオオオオオッッ!」


 身体がむしろ軽くなった思いだった。

 視野が狭くなる。興奮なのか、身体の限界なのか、動悸が激しい。

 自分の心臓の音しか耳には聞こえなかった。


 身体を自分ではない何かが動かしているようだった。

 ただ、自分がウロボロスの胸部を狙っていることはわかっていた。


 体表が削がれ、肉が露出したところならば攻撃は容易に通る。

 次の一撃で仕留められるという、本能的な確信があった。


 ウロボロスの鳴き声が聞こえる。

 右腕が、噛まれた。引き抜こうとし、そのまま肩から先がなくなった。

 ウロボロスは瀕死だが、だからこそ決死の一撃という奴だろう。

 だが、半端に噛まれるよりも綺麗に千切られたことは幸いだった。

 だがそのまま横に飛び、左腕の爪をウロボロスへと叩きつけた。


 当たった、はずだった。

 勝った。はずだった。

 だが、感触がなかった。訪れなかった。目線を落とせば、左腕が、上がっていないことに気が付いた。

 ぼんやりとした意識の中で思い出した。

 ああ、左腕は、利き腕は、魔力を温存することと引き換えに、あのアンデッドの小娘にくれてやったのだったか。


 頭を持ち上げる。

 ウロボロスの頭が、不思議とどんどん遠くへ遠ざかっていく。

 ふと、目が合った。


「――――」


 何を口にしたのか、自分で聞き取ることはできなかった。

 次の瞬間、身体へと強い横殴りの衝撃が襲った。痛みは、不思議となかった。


――――


『フハハハハ、アザレア、でかしたわい! あのウロボロスをも仕留めてしまうとはな! 吾輩が王になれたのは、一重に貴様の力が大きい! 吾輩はいい拾い物をしたものだ!』


『閣下ならば……いえ、陛下ならば、万が一あの場を逃していても必ずや今の地位を手に入れておられたでしょう』


 私の言い直しに、トールマン様はにやりと口角を上げた。

 今日を以て、トールマン様はアーデジア王国の王となる。

 今まで通り、閣下と呼ぶわけにはいかない。


『世辞などよかろうアザレアよ。フハハハハ! 貴様を除いて、吾輩の右腕の務まる者はおらぬ!』


 トールマン様と話していたところへ、ネルが姿を見せた。


『へ、陛下、よ、よく似合っておられます』


『貴様もだ。そう口籠るのであれば、慣れん世辞など無理に口にせんでよいわ』


『も、申し訳ございません……』


『謝らんでもよいわ。まったく……吾輩の親衛騎士だというのだから、しっかりせんか。貴様には覇気が足りんわ。いいか、これから吾輩の雄姿を国民に……アザレア、何を笑っておる?』


『いえ、陛下がネルを親衛騎士として選んだのが少々意外でして』


『功績を示した者には相応の対価を返さねばならんであろう。それに吾輩は常々言っているであろうが。吾輩は強者を大事にする、とな。ネルはあのウロボロスと斬り合い、奴に決定打を与えて生還したのだから、認めざるを得んわい。もっとも、昔、地下闘技場で貴様がネルを雇えと言い出したときは耳を疑ったがの』


『陛下が昔、言っておられたではありませんか。強い者が必要なのだ、貴様がいるべきところはここではあるまい……と。私もあそこで戦うネルを見て、同じことを思っただけですよ』


『覚えておったか。吾輩がアザレアを連れ出そうと、ゴビアの奴の屋敷に『飢えた狩人』を引き連れて押しかけたときであるな。いや、あれは今思い出しても爽快であったわ!』


 トールマン様が豪快に笑ってから、ふと壁の掛け時計を目にする。


『ふむ、そろそろであるな。お披露目の舞台へ向かうとしようかの。行くぞ、アザレア、ネル』


 不意に眩暈がした。――それが最期だった。

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