第292話
俺は水樽をしばし眺めてから、〖ホーリー〗のスキルのことを思い出した。
勇者の口振りからして、〖ホーリー〗はムスカス・デミリッチの呪いから逃れるために使おうとしていたはずだ。
水に掛かっている、状態異常を引き起こす呪いを解くことができるかもしれねぇ。
神の声よ、念のために詳細を出してくれ。
【通常スキル〖ホーリー〗】
【高位の聖職者が、長い修行の末に会得することができる魔法スキル。】
【聖なる光が対象者を包み込んで暖かな幸福感を齎すと同時に、あらゆる〖呪い〗を解除する。】
【また、一定の間〖呪い〗に掛からなくなる〖祝福〗状態になる。】
【変わった使い方として、アンデッド系統に大ダメージを与えることができる。】
思った通りの効果っぽい……あ、アンデッドに大ダメージ……。
アロに間違って当てねぇように気を付けねぇとな。
そういや、アロにはデフォで〖呪い〗がついていた。
あれが消えるとやっぱりヤバイんだろうか。
よし、相方よ、あの水樽に向かって〖ホーリー〗を撃ってくれ。
『……結構、MP使ッチマウゾ』
……そんなにか?
『アア。水樽ッテ、アレダケジャネェシ……』
リトヴェアル族に〖ハイレスト〗を掛けるのにも、がっつり使っちまったからな。
自動回復を待つにも、かなりの時間が掛かりそうだな……。
『ソレニ、ワカッテンダロウガ、ナンカキナクセーゾ』
確かに、どこかに敵が潜んでいることが明確な今……MPは温存させておきてぇ。
とりあえずしばらくの間持つように、安全な水樽を数個確保して時間を稼いで……後は、呪いの元凶を突き止めねぇと。
俺の考えが正しければ、川辺……ヒビが殺されたところに、何か仕掛けがあるはずだ。
『ジャア、〖ホーリー〗撃ツゾ』
相方が首を上げて、「ガァッ」と一声鳴いた。
目の前にあった水樽を光が包み込む。
「な、なんだ、竜神様は何をしているんだ?」
「ああ、巫女様がいてくれれば……ベラ様が、集落を離れていなければ……」
周囲で見ていたリトヴェアル族達は、俺達が何をしているのかわからなかったらしく、皆首を傾げて疑問を口にしている。
ベラ様? 竜神の巫女の一人なんだろうか。
疑問に思っていると、ベラの名前を口にした男が、胸倉を掴まれている。
「こんなときに、あんな裏切り者の名前を! それに、様付けとはどういうつもりだ!」
どうにも不穏な雰囲気だ。
俺が視線を向けると、掴んでいた男はバツが悪そうに表情を歪め、手を放した。
掴まれていた男も、俺に向かってオドオドと頭を下げる。
…………?
まぁ、今は気にしないでいいか。
それよりも水樽だ。
これで呪いが抜けたらいいんだが……見かけ、全然変わんねぇな。
あれ、本当に飲んで大丈夫なのか?
『…………イケル、ハズ……ダゾ? 強メニ魔力乗セタ、ツモリ……』
……なんで自信ねぇの?
一応、もう一回確認してみっか。
【〖祝福された水樽:価値C+〗】
【生と死を司る竜の祝福を受けた、聖水の詰まった樽。】
【水を口にすれば、仄かな甘みと暖かみを感じることができるだろう。】
【状態異常をやや緩和する効果がある。】
そこまでいらねぇんだけど……いや、状態異常を緩和してくれんのは嬉しいけど。
「竜神様、一体、何を……」
リトヴェアル族の群れの中から、以前ヒビの護衛をしていた大男、バロンが現れて声を掛けてくる。
他の者が迷っている中、率先して前に出て来てくれた。
バロンはヒビと一緒に殺されたのではないかと思っていたが、ヒビへの付き添いは他の者が行ったらしい。
複雑な気持ちではあるが、面識のあるバロンが生きていたことにほっとした。
俺は水樽を顎で示し、前脚を動かし、他の水樽も集めるようにジェスチャーで示した。
この方法で伝えるのは厳しいかと思ったが、バロンは目を見開き、必死に俺のジェスチャーを観察してくれた。
「水樽を……集める?」
バロンが手を動かしながら言う。
「グゥオオオッ」
俺が鳴くと、リトヴェアル族達は「おおっ」と歓声を上げた。
「竜神様が、水樽を集めろと仰っているようだぞ!」
「まさか水樽に毒が盛られていたのか?」
「確かにそれしか考えられん!」
体調が比較的マシなものが駆け回り、あっという間に水樽を集めてくれた。
『……全部ハ無理ダゾ』
俺はこくりと頷く。
わかっている。
一部だけは横に避け、残りは蓋を抉じ開けて中身をばら撒いた。
他のリトヴェアル族達も俺に続き、水樽を開けて中身を捨て始めた。
作業が終わってから、残りの水樽へと相方に〖ホーリー〗を掛けてもらう。
念のため、一つ一つ、呪いが解けていることをチェックしておいた。
「その、何を……」
バロンがまた尋ねてくる。
他のリトヴェアル族は静かにしている。
完全にバロンが代理巫女状態になってた。
俺は水樽の蓋を開けて顔を近づけ、わずかに舌で水を舐める。
確かに、若干ながら薄い甘みを感じるような気がする。
首を通じて胃に落ちると、暖かな幸福感が下腹から身体に染みていく。
俺の様子を見た相方がそうっと首を近づけてきたので、軽く頭突きしておいた。
貴重な水だから、後にしてくれ。
騒動が片付いたら、いくらでも飲んでくれて構わねぇから。
前脚をくいくいと動かし、バロンに水を勧める。
バロンはやや躊躇い、周囲のリトヴェアル族達の顔を見回した。
毒があると判断した後だから、やはり抵抗があるのだろう。
それを取り払うために飲んで見せたわけだが……まぁ、人間が死ぬ毒でも、俺はちょっと腹痛起こすくらいで済んじまいそうだからな……。
「りゅ、竜神様が口を付けた後に飲むなど、畏れ多い……」
そっちかよ。
重ねて前脚を動かして勧めると、バロンはこくこくと勢いよく頷き、そうっと水樽に近づいた。
「ありがたき幸せでございます。で、では……」
手で水を掬い、口に含む。
「う、美味い……美味い! きっとさっきの光で、竜神様が毒を除いてくださったのだ!」
バロンが叫ぶように言うと、再び歓声が上がった。
……正確には水に毒があったわけじゃなくて、水自身に状態異常を引き起こす呪いが掛かってたみたいだがな。
しかし、まだまだ問題は片付いてねぇ。
まずは呪いの大元を断たねぇと。
川の方に、なんかがあるはずだ。
ただリトヴェアル族の方にも事情をわかってもらわねぇといけねぇから……誰かについて来てもらった方がいいな。
「グォッ」
俺が鳴くと、リトヴェアル族達の方を向いていたバロンが振り返った。
「はっ、はい! えっと……俺……でしょうか?」
何の用かはわかっていないはずだが、個人指名されたことは理解したらしい。
俺は大きく頷き、相方に目を向ける。
魔力の消耗を押さえるため、リトヴェアル族達の治療は命に別条がない範囲に抑えている。
しかしついて来てもらうのであれば状態異常を解除しておいた方がいい。
「ガァァッ!」
相方が、魔力を強めに用いて〖ハイレスト〗をバロンへと施す。
続けて更にもう一発撃ち、ステータスから状態異常が完全に消え去ったことを確認してから、川の方へと向かって歩き始めた。
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