第255話
「今、縄を垂らす! なるべく急いで登ってくれ!」
タタルクの声を聞きながら、俺は考える。
……これ、マジでどうしたもんか。
このまま一緒に逃げ出したんじゃ、せっかくわざと捕まってこっちに残った意味がなくなっちまう。
マンティコアが生贄大脱走に対してどう反応すんのかわかんねぇーし、集落側がどう対応しようとすんのかも予想がつかねぇ。
下手すりゃ集落は大混乱、マンティコアが異変に気付いて逃亡で全部おじゃんになっちまう。
「わ、私達を逃がして、どうするつもりなんですか?また、他の子達が連れて来られるだけなのに……」
年長者の子が、タタルクを見上げて言う。
問い掛けに対し、タタルクは首を振る。
「もう、もう、この集落はお終いなんだ。マンティコアは、この集落の規模を無視した数の生贄を求めている。このペースなら、二年と持たずに集落から女の子はいなくなる」
「そ、そんな話、今まで聞かされて……」
「子供には、伏せておくよう言われていた。ナグロム様は、竜神派の集落に戦争を仕掛けて子供を攫ってくる算段まで立てていた」
あのオッサン、そんなこと考えていやがったのか!
他に手がなかったにしても、そりゃねぇだろ。
「……が、そもそもマンティコアがこの集落に移って来た理由が、竜神の帰還によるものかもしれないんだ。向こうに竜神がいるのであれば、こちらから手出しをできるはずもない。この集落は、もう詰んでいるんだよ!」
「…………」
子供達が沈黙する。
そりゃショックだろう。このまま順当にいけば、自分の故郷が全滅するなんて聞かされたら。
マンティコアが狙っているのは今でこそ子供だけだが、好みの層を喰い滅ぼした後にどう出るか、わかったものではない。
子供がいなくなって滅ぶか、それとも全員残らずマンティコアに食い殺されるが。
どちらにせよ、とてもではねぇが、気分のいいもんじゃねぇ。
「……タ、タタルクさんも、竜神派の集落に帰るの?」
女の子の一人が口を開いた。
タタルクは唇を噛みながら数秒ほど黙っていたが、やがて首を振った。
「俺はついこの間、あちらの集落を見限り、こっちに受け入れてもらうため、村の配置から戦力、田畑の調子まで全て喋ってしまったばかりだ……」
タタルクが重い口調で言い、俯く。
「竜神は、集落のためならば冷酷な判断をする。俺が向こうへ行っても、竜の息吹で生きたまま焼かれ、見せしめとなるのは免れんだろう」
……竜の息吹で焼き殺すって、おっかねぇ神様もいたもんだな。
そんなふうに考えていると、女の子達が一斉に相方へと視線を向けた。
泣きそうな顔、怯えている顔。そこから微かに、批難と失望の色が窺えた。
ま、待ってくれ!
そんなことしねぇって!
つーか、ドラゴン違いだから!
首が三つあるラクダが砂漠にゴロゴロしてんだから、首二つあるドラゴンくらいいっぱいいんだろ!
俺は水面に映った自分しか見たことねーけど!
「が、がぁ……」
相方がたじろぎながら、一歩後方へと退いた。
おい、またドラゴン出てんぞ。
「俺はここに残って、ナグロム様に、竜神派の集落との和解案を訴えてみる。恐らく今日の会議でも、そのことが多少は触れられているはずなんだ。そこへ重ねて生贄候補が一斉に逃げたとなれば、ナグロム様の選択肢も狭まってくる」
和解……か。
そうしてくれたら俺にとっても一番寝覚めがいいんだけど、確執は結構深そうに見えたんだが、本当に勝算はあるんだろうか。
「……もっとも、ナグロム様の説得が上手く行ったとしても、意図的に選択肢を狭めた俺は殺されるだろう。そもそも竜神派の集落が和解案を受け入れなければ、皆殺しにされるかもしれないが……」
失敗したら全員処刑って、じゃあ駄目じゃねぇか!
つーかどっちにしろオッサン死んでるじゃねぇかよ!
子供達も、助けが来たというのに、なんとも言えなさそうな顔をしている。
自分達が生贄になって故郷を延命するか、自分達が逃げ出して故郷の寿命をがっつりと縮めるか。
酷い選択だ。
おまけに脱走を持ちかけてきたタタルクまで、自分を踏み潰して助かってくれと言っているのだから、どこまでも後味が悪い。
……ん?
い、いや、これ、見方によっては、もしかしてチャンスじゃね?
竜神派の集落は、大事な決め事や人の罰に竜神が口出しをできるはずだ。
確か生贄制度は竜神が提案したものだったはすだし、タタルクも『今更帰っても竜神が許さないだろう』と言っていた。
それが正しいのなら、かなりの発言力があるということだ。
つまり俺の鶴の一声ならぬ竜の一声で和解案を押し通せるし、どころか全員お咎めなしに持っていくことさえできるはずだ。
今なら、マンティコアを出汁にナグロムに和解を決意させることができるかもしれねぇ。
……ただ、その分リスクは高い。
和解を目指して動いた場合、ナグロムが和解を決意しなかった時点で悲惨なことになるのが目に見えている。
最悪の場合、マンティコアを取り逃した上に戦争が勃発する。
ここは……焦らねぇ方がいいか。
今和解を目指す道を選べば、一つの見落としでこっちの集落が滅びかねねぇ。
俺が竜神をやっている限り、機会はまたあるはずだ。
命の懸かっている状況でやることじゃねぇ。
それに……なんか、竜神に関して見落としてることがある気がすんだよな。
引っ掛かるっつうか、違和感っつうか……。
「……おい、オッサン。戻って穴塞いで見張ってろ」
相方がタタルクへと声を投げ掛ける。
「あ、あれ、どうして君、縄が……」
「今夜の生贄は、オレが行く。テメーは何もしなかったことにして、正面の入り口に戻ってやがれ。オレがあのバケモン、ぶっ飛ばしてやるよ」
相方が親指で自分を示し、言い切った。
周囲から息を呑むような声が上がる。
生贄にされていた子達も、俺が何のためにここへ来たのか理解したらしかった。
「そ、そんなこと、できるわけが……マンティコアを見たことがないから言えるんだ! あれは、人の手に負える魔物じゃあない! いいから早く、登って来い! 登って来てくれ! 巫女の血は、異常に勘がいい! いつ追われるか、わかったものじゃない!」
タタルクの呼びかけに対し、誰も動かなかった。
一人状況のわかっていないタタルクは、急いたように洞穴の中を見回す。
「誰か……早く……今逃げてくれないと、マンティコアの機嫌を取っていられる猶予の間に、ナグロム様が戦争の準備を進めてしまうんだ! だが、あの冷酷な竜神がいる限り、まず勝ち目なんてない。無駄な死人を出すだけなんだ。だから、君達だけじゃなくて、集落のためにも……」
年長者の子が立ち上がり、他の子達を見回す。
他の子達は戸惑う素振りを見せつつも、最終的にはこくりと頷いた。
そうして一人一人に目で確認を取り、最後に相方へと視線を向けた。
相方は、鼻で笑いながら小さく頷く。
「私達は、逃げません! ここに留まります!」
「ど、どうして……このままだと、戦争が……」
「りゅ……この人を、信じているからです! だから、残ります!」
年長者の子がそう言い切る。
タタルクは顔を歪め、力なく後退った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます