第250話
相方はコレンから陶器のコップを受け取り、困ったように周囲を見回す。
それからコップを覗き、映った自分の顔を見つめだした。
い、いや、飲んじゃえよもう。
ひょっとして飲み方わかんねぇとか言い出さねぇよな。
普通にこう、口許に持っていって傾けりゃいいだけだぞ。
そんな迷うほど難しいこと何もねーからな。
「……飲まないのか?」
見かねたヤルグからそう尋ねられ、水面に映る相方の顔が、覚悟を決めたように引き締まった。
そこまで気張らなくてもいいんだけど…。
コップを頭上近くまで持ち上げ、中の水を一気に口へと流し込む。
受け損ねた水が頬や身体に多少掛かりはしていたものの、体型に見合わぬ見事な一気飲みだった。
惜しいけど俺の思ってたのとちょっと違う。
もうちょいゆっくり飲んでいいんだぞ。
無表情を保っていたヤルグも、このときばかりは目を見開いていた。
おい相方、変なところでボロ出すんじゃねぇぞって……つっ! な、なんだ!?
急に、喉を焼けるような痛みが走った。
意識が明滅する。
「がっ、がぁっ!」
相方が苦し気にその場に膝をついた。
【耐性スキル〖毒耐性〗のLvが5から6へと上がりました。】
【耐性スキル〖麻痺耐性〗のLvが4から5へと上がりました。】
今はんなもんどうでもいいっつうの!
く、くそ! 一服盛りやがったなこいつら!
警戒していたつもりだったが、ナグロムの調子を見てたらつい毒気が抜かれちまった。
「ちっ! 吐かせろ! おい、本物の水も持ってこい!」
ナグロムが飄々とした捉え所のない笑顔を崩し、こめかみに青筋を浮かせた。
「ま、まさか、全部飲むとは」
ヤルグが狼狽えながら言う。
「コレン、モルズの毒はどれだけ入れた!?」
「は、八デルクほど……」
コレンが躊躇いながら返事をする。
それを聞き、ナグロムの顔が真っ赤になった。
「アビスでも狩る気か! マンティコアの怒りを鎮める、貴重な生き餌であるぞ! 死なせてどうする!」
「し、しかし、しかし、普通舐める程飲めばすぐ吐き出すものだと……」
……やっぱし、マンティコア絡みか。
ナグロムは顔を真っ赤にしたまま、コレンからもう一人の女へと視線を変える。
「ターナ、濃い解毒薬を作れ! 副作用は気にせんでいい! とにかく殺すな!」
「は、はい!」
ターナと呼ばれた女はナグロムの指示を受け、別の部屋へと走っていった。
ヤルグが相方の肩を掴み、口に指を突っ込んでくる。
「くそっ! とにかく吐かせないと……」
「がぁぁぁぁぁっ!」
相方は、突如口に突っ込まれた異物を、容赦なく噛み砕いた。
「ぎゃぁぁぁぁっ! 指が、指がぁっ!」
ヤルグは床に転げまわり、自分の右の手を押さえて叫んだ。
「ふざけている場合か! とっとと吐かせろ!」
「無理です、全部持っていかれましたぁっ!」
ヤルグは床に伏せながら、五本指の千切れた右手を見つめている。
今にも泣きだしそうな顔になっていた。
「ば、馬鹿な! あの量を人間が摂取すれば、眉ひとつ動かせぬはず……」
相方が起き上がり、ナグロムを睨む。
ナグロムの目が点になった。
「こっこ、このっ! くそっ! 亜人種めが!」
ナグロムは壁に飾られていた槍を手に取って立ち、その先端を相方へと向ける。
「ふざけた真似しやがって! テメェらぶっ殺してやる!」
相方が身体をしならせて勢いよく腕を振るい、足元の床に、二箇所の大きな爪痕を残した。
ナグロムはその様子を見てたじろいだが、すぐに顔を引き締めて腰を落とす。
ヤルグはいくらか冷静さを取り戻したらしく、左手だけで槍を掴んで相方の背後へと回る。
「ヤルグ、下手に動くな! こやつかなりできるぞ!」
ナグロムが叫ぶ。
ヤルグは今まさに動こうとしたところだったらしく、僅かに前傾して態勢を崩した。
相方はその隙を見逃さず、床を蹴って宙へと跳んだ。
そのまま勢いよく足を振るってナグロムを牽制しながら身体を翻し、ヤルグへと蹴りを放った。
ヤルグは槍で防ごうとしたが、片手しか使えないこともあり、呆気なく力負けして槍を手から放した。
身体を庇って右肩で蹴りを受け、弾き飛ばされて壁へと身体を叩きつけた。
「っと、なんだこんなもんか。まだ慣れねぇな、この身体」
相方は着地してから、動きを確かめるようにこきこきと腕を曲げる。
それから身体をよろめかせるヤルグへと照準を合わせて、腕を引く。
マジでどうしてこうなった。
ちょ、ちょいストップ!
相方ストップ! 悪いけど一旦止まって!
『あぁ!? 相方よ、さすがに甘過ぎっぜ』
いや、このまま暴れたらマジで集落同士の戦争に発展しかねねぇから!
『もう収拾つかねぇっつうのこんなもん!』
このまま逃げりゃどうとでもなるって!
それから竜神派の集落の方で情報収拾し直してから、またこっちへ……。
いや、それだとその間、この集落はマンティコアに怯えて暮らすことになるだろう。
準備が整うまでに何人死ぬかわかんねぇ。
……さっきナグロムは、マンティコアの生き餌だといった。
となれば、わざと捕まっときゃそのままマンティコアの元へと連れて行ってもらえる可能性が高い。
相方よ……その、頼み辛いんだけど、わざと倒れてくれねぇか?
今から毒が効いてきましたって感じで。
『……マジで言ってんのか』
知らねぇとは言え、マンティコア連れてきちまったのは俺だからな……。
あのとき俺が仕留められてりゃ、この集落がここまでして生き餌を集めようともしていなかったはずだ。
頼む、絶対この借りは返すから。
「……チッ」
相方は舌打ちを鳴らしてから、その場に蹲った。
「よ、ようやく毒が回ったか……」
ナグロムが心底ほっとしたように言い、武器を下ろす。
「結果的にではあるが、毒を盛って正解であった。力だけで押さえつけようとすれば、全員殺されていたかもしれぬ」
……いや、毒はあんまし効いてなかったんだけどな。
ヤルグは死を覚悟していたのか、目を見開いて息を荒くしていた。
しかし相方が動けないのだと見ると、力なく壁に凭れかかってからしゃがみ、血の滴る右手の指を左手で押さえた。
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