第210話
「どうした! この僕が、早くやれと言っているんだぞ! 突っ立っているのがお前達の仕事か! とっととハーゲンを捕らえろ! 僕の言うことが聞けないのかぁっ!」
勇者が怒鳴りながら周囲の兵へと命じる。
だが、指示に従う者は誰もいない。
勇者は青筋を浮かべ、辺りを必死に見回している。
呆気ない程、予定通りに事は進んだ。
アドフが身を呈して勇者の嘘を暴き、そこにハーゲンが畳み掛けた。
結果、奴は完全に信頼を失ったようだった。
勇者があれほど喚き散らしているのに、誰も庇う様子がない。
もう奴も万策尽きたと見える。
俺は並べられている磔台へと目を移す。
一番端に、ニーナが縛られていた。
ニーナは何が起こっているのかわからないといったふうで、困惑気に、しかしそれでも希望の籠った目で事態の行く末を見守っている。
終わったのだ。
勇者の信頼が失墜すれば、ニーナも釈放されるはずだ。
後はこの国の法に則り、勇者も裁かれることだろう。
あれだけ罪を重ねてきたのだ。無罪放免とはいくまい。
アドフの仇も討て……ん?
待てよ。あの勇者が逃げたら、捕まえられる奴なんているのか?
確かにニーナやアドフの親族は救えるかもしれねぇ。
でも結局、アドフの婚約者や弟の仇を討つことはできねぇんじゃないのか?
「僕がどけって言ってるんだ! 気分が悪いんだよ! なんだその目はぁっ!」
勇者は、強引に処刑場から去ろうとしている。
アイツ、あのまま逃亡するつもりなんじゃあ……。
「み、道を開けろっ! 邪魔だっ! 邪魔だぁっ!」
勇者の後をハーゲンが追いかけ、その肩を掴んだ。
「お、おい! お前、逃げれば済むとでも……」
「汚らしい手で僕に触るなぁっ!」
勇者は剣を引き抜き、乱雑に剣を振るう。
ハーゲンは後ろに大きく仰け反り、そのまま倒れた。
彼は身体を捩って勇者に背を向け、起き上がりながら逃げようとする。
その背に向かい、勇者が剣を向けた。
アイツ、逆上してやがる。
あれは脅しではないだろう。
目が、本気だ。冷静さを失っている。
このままだとハーゲンが殺される。
俺は腕に抱えていた玉兎を地に置き、地を蹴って前へと大きく飛び出した。
そのまま宙で〖人化の術〗を解除する。
俺の身体が一瞬の内に膨れ上がり、元のサイズへと戻った。
あちらこちらから悲鳴が湧き上がる。
逃げる途中で怪我をする人も出るだろうが、それを治療するのは玉兎の役目だ。
アドフ曰く、玉兎は頭がよく凶暴性も薄く、見かけも愛らしいため、元々ペットとして飼う人も多いそうだ。
……食費が嵩むため、大抵はすぐ手放されるらしいが。
玉兎は人間からもそう警戒されないはずだ。
「グォォォォォォオオッ!」
俺が咆哮を上げると、勇者は剣先をハーゲンから俺へと移した。
振りかぶられた刃を、牙でがっちりと受け止めた。
勇者が剣を引き抜こうとするが、ぐっと歯を喰いしばる。ここで放すわけには行かねぇ。
動きは止めた。
後は頼んだぞ相方。
「ガァァァアアッ!」
無防備な勇者へと相方が突っ込んでいく。
勇者は剣から手を離し、軽く後ろへと跳ねた。
足を上げている。
相方の頭を蹴り、その反動で逃れるつもりらしい。
勇者の足が、相方の額に当たる。躱されたかと思ったが、次の瞬間勇者の身体は地に叩き付けられていた。
勇者が力負けした、ということだろう。
しっかりとレベルを上げた甲斐があった。
民衆に紛れている間に勇者のステータスの確認は行ったが、全ての数値において今の俺が勝っていた。
……もっとも、勇者は身体能力強化スキルを持っている。
剣は一本取り上げてやったが、奴は後二本、腰に剣を差している。
このまま大人しくしてくれるとは思えねぇ。
俺は首を捻り、咥えていた剣を投げる。
剣は地面に深々と刺さった。
アドフのためにも、コイツを逃がすわけにはいかねぇ。
多分、この国でコイツとまともに戦えるのは俺だけだろう。
俺が、勇者を殺す。コイツは、野放しにしてはいけない奴だ。
「なんなんだよ……お前……」
勇者が立ち上がりながら、二本目の剣を構える。
初対面のとき、俺に一撃かましてくれた剣だ。
恐らく、こっちの剣が本気用、ということだろう。
「グォォォォオッ!」
「グァァァァアッ!」
俺は相方と同時に吠え、勇者へと飛び掛かる。
「〖クイック〗!」
勇者が叫ぶと、光が奴の身体を包んだ。
素早さ上昇魔法か。
「僕と同じ名前のドラゴンが、そう何体もいるわけがない。そうか、進化したのか。それは本当に予想外だった。その上……とんでもない手土産を持ってきてくれたようだね」
勇者が、俺に剣を向ける。
「だが、お前さえ殺せば、僕はまだ持ち直せる! ははっ! つくづく僕は悪運が強い! あの奴隷を助けようとあれこれやっていたようだが、出て来るタイミングが最悪だったな! ツメが甘いんだよバカがぁっ!」
……確かに、俺が出て行かなければ、あのまま勇者は信用を失っていただろう。
ニーナだって順調に解放されていたかもしれない。
俺が出てきたことで、アドフとハーゲンが命懸けで作ってくれた先ほどの一連が有耶無耶になってしまう可能性は高い。
今までのコイツの悪行を聞くに、きっかけさえあればそれくらいのことはやってのけそうな男だ。
だが、そうすればハーゲンは殺されていた。
それに勇者本人は取り逃がすことになっていただろう。
ハーゲンは死に、アドフも身内の仇を取り逃がすことになる。
そんな協力者に砂を掛けるような真似はできねぇ。
きっちりと俺が勇者を倒せば、すべて丸く収まることだ。
「グォォォオオオッ!」
俺は前足を振るい、勇者の剣を狙った。
勇者は剣の腹で俺の爪を受け、軌道を逸らす。
俺は大口を開け、勇者へと喰らいつく。
「〖ルナ・ルーチェン〗!」
勇者の剣から、無数の光の球体が飛び出してくる。
俺は敢えて避けず、攻撃を強行した。
光が、顔面に飛び込んでくる。
額に一発、口内に二発、頬に一発、首に一発もらった。
当たったところから激痛が走る。
想像以上のダメージだ。甘く見たか。
「はは、どうだ! この剣は、お前のような邪竜を斬るためにあるんだよっ!」
俺が仰け反ると見てか、勇者は剣を構え直そうとした。
ここだ。
俺は気力で耐え、攻撃を続行する。
「グォォォォオオオッ!」
「なっ!?」
勇者の肩に牙を突き立てることに成功した。
牙が肉を抉る。血が溢れ、俺の口内へと零れ落ちる。
俺はそのまま、勇者の身体を宙に持ち上げる。
牙が、身体を貫通しねぇ。肉の奥へ行くほど硬くなっている感覚だ。
こうしてみると、やっぱしステータスっていうのは妙なものだ。
これだけの体格差があるのに、人の肌さえ噛み切れないとは。
俺は首を捻り、自分の頭ごと勇者を地面に叩きつける。
地面が割れ、砂飛沫が上がった。
「クソ、お前……」
そのまま、逆側に捻って同じことを繰り返す。
「がぁっ!」
俺も痛いが、HPはずば抜けて俺の方が上だ。
痛み分け上等だ。
三度目の叩きつけを行おうとしたとき、俺の牙が宙に舞った。
すっぽ抜けた勇者の身体が、後方へと飛ぶ。
勇者はよろめきながらも足から着地する。
「〖レスト〗!」「〖レスト〗!」
着地先にいた騎士達が唱える。
「だ、大丈夫ですか……イルシア、様」
騎士達は勇者とどう接すればいいのか戸惑っているようだったが、さすがに奴へ剣を向けるような真似はしなかった。
あんな騒動があったばかりだが、さすがにドラゴン退治が優先事項か。
これは確かに、俺が負けたらそのまま誤魔化しきられちまいそうだな。
しかし、横槍が入るのはまずい。
ただの人間を何人相手取ろうが、俺は苦戦することはないだろう。
ハーゲンが襲撃してきたときのように、簡単に命を奪わないよう気をつけながら無力化することができる。
だが、今回は話が違う。
「ありがとう、助かったよ」
勇者はわざとらしくそう言い、俺に顔を向けてから口端を吊り上げた。
アイツは、仲間を肉壁に使うつもりだ。
騎士を巻き込まないように勇者を攻撃するのはかなり難しい。
俺の称号スキルは勇者には筒抜けだ。
恐らく、俺の性格を見抜いた上で仕掛けてくるだろう。
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