第165話 side:勇者

 ああ、もう、本当にくだらない。

 馬鹿らしい。気が緩んでいたとしても、こんなことになるとは思わなかった。


 僕は舌打ちを挟んでから、襲いかかってくるアドフへと向け、指を伸ばす。


「『這いつくばれ』」


 言葉と共に、指先を地へと下ろす。

 アドフの手から大剣が離れる。

 そのまま勢いを失って落下し、受け身も取らずに身体を地に打ち付ける。


「ぐはぁっ!?」


 僕は剣を鞘へと直し、砂埃を掃ってから立ち上がる。


「ああ、つまんないの」


 司祭がつけた、囚人の刻印の効力だ。

 魔力を向けて命令を下せば、ある程度ならば強制させる力がある。

 僕はアドフの一時釈放の間、彼が逃げないよう見張る役目も請け負っていることになっている。

 そのための保険、ということだ。

 人によって効き辛かったり内容によっては抗われたりすることもあるらしいが、一瞬動きを止めるくらいならば容易い。


 しかし、力量差を嫌というほど示してから殺してやるつもりだったのに、まさかこれに頼ることになるとは思わなかった。

 本当に白ける。


「ひ、卑怯な……貴様は……」


 アドフが俺を睨みながら言う。

 馬鹿かコイツ、何を勘違いしているんだ。


「いや、あんな攻撃、当たっても大したことなかったけど? お前がセコイ手ばっかり使うからこっちが白けたんだよ、馬鹿が。騎士の名が泣くね」


 さっきのアドフの攻撃が直撃していたとしても、離れて〖ハイレスト〗を使えばそれで解決だ。

 アドフも追撃出来るような状態ではなかった。

 万が一追撃できていたとしても、魔法を使えばどうとでも対処できていた。


 ただ〖ハイレスト〗でも、あまり傷が深ければ後遺症が残る恐れがある。

 僕の綺麗な顔に傷でもつくような、そんなリスクをアドフなんかのために冒せるものか。それこそ馬鹿らしいというものだ。


 アドフがあれこれ卑怯な小細工を仕掛けて来ようと、どの道僕に勝てる見込みなど最初からない。

 僕は自分の行動を片っ端から制限して闘ってやっていたというのに、それでもなお真っ向から打ち合わずにしょうもない攻撃を仕掛けてきたのはそっちだろうに。

 よくもまぁ、自分のことを棚に上げて卑怯などと言える。


「それじゃあ、バイバイ。もうお前、いいよ」


 僕はアドフの肩を踏みつけ、呪剣を鞘から引き抜く。

 禍々しい真紅の刃を、アドフの背にぶっ刺してやった。


「ぐぁあああっ!」


 急所ではないが、痛いだろう。

 呪剣、吸血妃。

 前代の魔王の配下が作りだしたと伝えられている、拷問兼実戦用の剣だ。

 呪剣の一振りは相手から生命力を奪い、所有者に還元する。

 ばかりか、斬られた相手を強力な呪いと毒で蝕む。


 もうアドフは放置でいいかな。

 これ以上手を出す必要はない。

 散々苦しんだ後、勝手に死んでくれる。


「じゃあね、逃亡囚人アドフ」


 アドフから足を降ろし、その背を軽く叩いてやる。

 アドフは呻きながら僕を睨む。その顔に向け、唾を吐きかけてやった。


 まったく、気分が悪い。

 すっきりいい気持ちでアドフと別れられると思っていたのに、最後の最後で半端になってしまった。

 尻切れトンボというか、消化不良というか……まぁ、いいさ。

 このモヤモヤは、あの半端者の厄病竜で消化させてもらうとしようか。


 厄病竜は手足は動かせるが、まだ満足に移動はできないようだった。

 そろそろ麻痺が抜け始めていてもおかしくはないが、あのサイズの魔物だ。

 麻痺が残っていて筋肉が充分に動かせなければ、あの巨体を引き摺ることもできやしないだろう。


 あの桃玉兎は……逃げたか。ま、そりゃ、さすがに逃げるよね。

 気配を拾おうにも、地面に潜られたら他の魔物と紛れてしまう。

 別に、追う必要もないんだけど。

 下から不意打ちを撃ってきても余裕で対処できる。


 じゃあ次は、海の浅瀬にいる奴隷の女だな。

 さっきアドフにゴチャゴチャ変なことを叫んでいたし、ひょっとしたら厄病竜と仲がいいのかもしれない。

 だとしたら、こっちもやりがいがあるというものだ。


 厄病竜を一瞥してから、奴隷の女の方へと足を進める。


「ひ……い、イヤッ!」


 奴隷の女は僕が近づいてくると声を震わせて叫ぶ。


 女の声を聞いてか、厄病竜が咆哮を上げる。

 殺気の籠った声だった。どうやら、ビンゴってことでよさそうだ。

 そんな麻痺で動けない状態で僕を挑発して、何がしたいんだか。

 僕のステータスも見えてるから実力差はわかってるはずなんだけどねぇ。

 あんまり賢くなさそうだな。


 奴隷の女には、特徴的な猫耳があった。

 フェリス・ヒューマか。


 ステータスを見てみれば、名をニーナ・ニーファということがわかった。

 まともに戦える能力はほとんどない。せいぜいEランクモンスター相手に狩りができる程度だ。


 あの奴隷商人が扱っていたのも、確かフェリス・ヒューマだと言っていたっけな。

 じゃあやっぱり、サンドセンチピードの餌にされた生き残りか。

 途中からドラゴンに追われたといっていたことも、その裏付けになる。


 まさかドラゴンが人間を助けようとしていたとは、あの奴隷商人は夢にも思わなかっただろうに。

 この厄病竜、かなり遊べる。


 気が付くと思わず舌舐めずりしていた。

 おっと、いけないいけない。人前で出ると行けないから、こういう癖は直したつもりだったんだけどな。


 しかし……近くから見てみるとこの獣人奴隷、かなり整った顔立ちをしている。 

 厄病竜の傍に長くいたせいかステータス異常に〖呪い〗があり、そのせいか顔色が悪い。

 だが、そんなことは気にもならないほどに綺麗な造形をしている。


 獣人特有の猫目寄りの大きな瞳、庇護欲をそそる小さな口、鼻は高いけれど主張し過ぎない理想形。

 大型馬車に詰めて運ぶような奴隷にしては不自然なまでに美しい。

 わざわざ砂漠を渡らずとも、売り手は他についただろうに。

 関税の値を誤魔化してもらう交渉用か、それとも前もって教会の重役と約束でもしていたのか。


 思わぬ拾い物だ。

 この女は花がある。ただ殺すのは勿体ないか。

 厄病竜を甚振る手段は別に考えるとして、連れ帰って売り飛ばすのも悪くないかもしれない。

 それなりの値になる。

 ただ僕の立ち場では捌き辛いし、間に人を挟むにしてもこの女は出元が簡単に辿れてしまう。

 あの奴隷商人の耳に入ったら騒ぐだろうし、口は簡単に封じられても、噂が立つのを抑えきれるかどうかは僕の立ち場があってもちょっと不安が残る。


 しかし、だとしてもなお、殺すのは惜しい。

 それに竜を倒して奴隷を助けたとなれば、僕を引き立てる美談にもなってくれる。

 勇者としての行動を宣伝すれば、あの煩い司祭の機嫌も取れる。

 アドフの件ではかなり言われるだろうし、これくらいの土産があった方がいい。


 近いうちにハレナエを出るつもりだったし、旅の同行人に加えるのも悪くないか。

 横に立たせておけばそれなりに利用価値がある。

 これほどの美人ならば貴族相手の交渉材料にもなり得る。

 一晩貸してもいいし、邪魔になったらそのときに売ればいい。

 金持ちの中にはノーマルに飽きた亜人趣味の変人も多いし、それができるだけの価値はある。

 途中で売り物にならなくなったら、それから殺して捨てればいい。


「まぁまぁ、落ち着いてよ。怖かっただろう? ほら、僕は君を、助けに来たんだよ。名前は、なんて言うのかな?」


 僕は声のトーンを明るくし、優し気に笑いながら手を伸ばす。

 名前は既に知っているが、簡単な質問をすれば警戒心が多少は和らぐ。

 それができずとも、相手の心情を読むとっかかりにもなる。


 もっともさっきまでの僕の様子を見れば、真っ当な人間だと思われてはいないだろう。

 だがしかし、そんなことは問題ない。


 なんせ、厄病竜なんかと一緒にいた女だ。

 他に頼れる相手がいなかったとしても、普通の神経をしていたらまずあり得ない。

 コイツは生きるためならなんでもやる、そういう類の奴に決まっている。

 だからこそ餌にされた他の奴隷が皆死んだ中、たった一人生きながらえたのかもしれない。


 恐らく、僕が今最も頼るべき相手だと思えば、喜んで飛びついてくるはずだ。

 実際この状況から女が生きるには、僕に媚びるしかない。どれだけ僕に不快感を抱いていたとしても、だ。


「に……」


 女は、声を震わせながら言う。

 それから何かを決心したようにごくりと唾を呑み、太ももに爪を喰い込ませて自らの震えを押さえる。


「ニ? ニから始まるのかい?」


 優しく、聞き返してやる。

 その瞬間、女の目がかっと見開いた。


「ひにゃぁっ!」


 さっきまで苦し気に地面に膝をついていたというのに、勢いよく地を蹴って跳ねた。

 何が起きたのかわからなかった。

 女の爪が僕の頬の薄皮を裂いてから、ようやく理解できた。

 ああ、この女、僕の顔に爪を立てやがったな、と。


「ふ、ふふ……ふ……」


 せっかくこの僕が優しくしてやったのに、まさか爪で返してくれるとは思わなかった。

 僕はつけられた傷を指でなぞる。


「汚らしい獣人の爪で、よくもやってくれたよ。いや、でも、いい度胸だよ、うん……本当に、ね」


 予定変更だ。やっぱり殺そう。

 そっちの方が楽だし、余計なことを考えなくていいし、何より最高にスッキリする。


「にゃっ……あっ!」


 手の甲で顎を殴ってから怯ませ、か細い首を掴んで持ち上げてやる。


「グゥルォォォオオオオッ!」


 そのとき、ドラゴンが叫び声を上げた。

 ふと目をやれば、顔を空に向けて吠えている。

 あの様子だと、麻痺がようやく抜けきったというところか。


 僕は女の首から手を放す。

 膝をつき、ぐったりとその場に倒れた。

 元からかなり呪いで衰弱しているみたいだ。僕が手を下さなくとも、死にそうだな。


 しかしあの厄病竜、麻痺が抜けたのなら不意打ちで〖鎌鼬〗でも撃てばよかったのに。

 わざわざ声を上げて動けることを僕に知らせるなんて、やっぱり馬鹿じゃなかろうか。

 まぁ、そんなのに当たってやる僕じゃないんだけどね。


 ひょっとして、僕がこの女の首を絞めていたから、手を放させるために自分の回復をアピールしたのか?


「……ふっ、ふふふ」


 笑いが、堪えられなかった。

 この厄病竜、使えるかもしれない。

 面白い、面白い奴だ。


 今ここで殺すのが、惜しいくらい面白い。

 気に入った。せっかくアドフを先回しにしたんだ。

 人間好きの厄病竜に、もっと相応しい死に場所を用意してやろう。

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