カリカリ油揚げのシーザーサラダ 5

 そう。瑤子の真の姿は『あやかし』。

 あやかしといえば、古来より妖術を使って人々を惑わす存在だ。ただし今はその力をできるだけ封印し、人間に紛れてしがないOLをしている。

 奈央人には、同居を始めた日にこのことを伝えてあった。

 瑤子があやかしたちの集う山深い森から人里に降りてきたのは、五年ほど前のこと。最初は単に好奇心からだった。何せ、あやかしの森には電気もガスもない。可愛い雑貨や洋服を売る店もないし、当然、インターネット回線など引かれていない。

 都会に出てきた瑤子は人間に化け、あやかしの姿では体験できないことを楽しんだ。

 ひらひらした可愛い服や、美味しいスイーツ。巷に溢れているそれらは、見ているだけで心の奥をくすぐる。

 数多くの本や映画やテレビドラマ、それにインターネットの動画など、人間が作ったお話で何度泣いたか分からない。

 人に紛れて暮らしていくために、仕事も始めた。人間との会話は時々うざったいが、たいていは面白おかしい。

 こうした日々は思いのほか楽しく、瑤子はもう、何年もあやかしの森に帰らずにいる。

「瑤子は見た目は大人しいのに、大胆だね。『ヨーコ』っていうあやかしの名前を、そのまま名乗ってるんだから」

 奈央人は台の上に置かれたお皿と瑤子を見比べながら、しきりに感嘆の溜息を漏らした。

 あやかしと呼ばれるものにも種類がある。瑤子の正体は『妖狐』。その名の通り、きつねのあやかしだ。

 人里に降りるとき、音をそのまま使って『瑤子』と名乗ることにした。他の名前では、何だかしっくりこなかったのだ。

「……奈央人。やっぱり、仕事を見つけにいくの?」

 しばらくして、瑤子は話を元に戻した。奈央人は軽く微笑んだまま「うん」と頷く。

「でも、瑤子は多分、何か誤解してるよ」

「……えっ?」

「俺は、仕事を見つけるって言ったけど――ここから出ていくとは言ってない」

「えぇっ!」

 息を呑む瑤子の前で、奈央人はふっと一つ溜息を吐いた。

「俺、今までどこにいても迷惑だって言われ続けてきた……。アメリカにいたときも、日本にいたときも」

 瑤子は奈央人から、自身の生い立ちを少しずつ聞いている。

 彼はアメリカ人の母親と日本人の父親の間に生まれた。きつね色の綺麗な髪は、母親譲りだという。

 産まれたときから母子家庭だったそうだ。あまり裕福ではなく、住んでいた狭いアパートの家賃を何度も滞納し……母親が病気になっても医者に連れていくことができなかった。

 半年前、息子の看病の甲斐なく、母親は亡くなってしまった。その後、奈央人は父親の故郷である日本にやってきたのだが、結局は路頭に迷い、空腹と寒さの絶頂で瑤子と出会った。

「大変だったね、奈央人」

 ふわふわの髪を瑤子が一撫ですると、奈央人は何かを吹っ切るように深く息を吐いてから、ぱっと明るい表情を浮かべた。

「何も持ってない俺を、迷惑がらずに受け入れてくれたのは、瑤子だけだよ。すごく嬉しかった。ありがとう」

「そんな、私はただ……」

 弱っている彼を勝手に家に連れてきただけだ――そう言う前に、奈央人が瑤子を真剣な顔で見つめる。

「瑤子。もうしばらく、俺をここに置いてほしい。二人で暮らすためには、やっぱりお金があった方がいいと思うんだ。だから俺も仕事を見つけて、少しでも足しにしたい。……駄目、かな」

「ううん! 駄目じゃない。駄目じゃないよ、奈央人!」

 瑤子は半ば叫ぶように返した。

 奈央人はここを出ていこうとしていたのではない。同居生活を終わらせようとしていたわけでもない。

 むしろ、これからも二人で暮らせるように、仕事をするつもりなのだ。

 奈央人と一緒にいられる……それが分かって、安堵と嬉しさで瑤子の心は弾んだ。

「実は、もう見当を付けてあるんだ。昨日スーパーに行ったら、アルバイト募集の貼り紙が出てた。あのスーパーはよく行くし、店長とも顔馴染みになったから、もしかしたら家出してる俺でも雇ってくれるかもしれない」

 奈央人はそう呟いてから、少し慎重な顔でこう付け足した。

「アルバイトなら細かい経歴は聞かれないだろうし、俺の『正体』を隠しておける」

 今、瑤子の目の前に立っている彼の本名は――神尾奈央人。

 その正体は、日本舞踊最大の派閥『神尾流』の前宗家、神尾梅幸ばいこうの血を引くたった一人の息子だ。

 ただし、少々複雑な事情がある。

 梅幸は生涯妻を持たず、奈央人の母親であるアメリカ人の女性とは未入籍の状態だったらしい。しかも、生前は奈央人を実子と認めず、母親ともども傍に寄せ付けなかったという。

 奈央人たち親子はアメリカで貧しい暮らしを続け、やがて母親が亡くなった。

 奇しくも、時を同じくして父親の梅幸も鬼籍に入ってしまった。

 そのことが、神尾流の内部分裂を引き起こした。梅幸のあとは彼の弟が流派を引き継ぐことになっていたが、それに納得がいかない梅幸の一番弟子とそのシンパが反旗を翻したのだ。

『梅幸の身内であること』をちらつかせてくる相手方に対し、一番弟子の一派は、それならばと『もう一人の身内』を担ぎ出した。

 それが、梅幸の実の息子・奈央人だ。

 一番弟子たちは奈央人を味方に引き入れることで『前宗家の息子のお墨付きを得た』と主張するつもりだった。

 奈央人はただの駒。とりあえずお飾りで担ぎ上げ、自分たちで実権を握ろうとしているのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る