第29話 隠し玉

 東京都立川市にある海上保安試験研究センターに、水木颯也が所持していた凶器をヘリコプターで空輸した。


 試験研究センターは、警察組織で言えば科学捜査研究所のような役割を担っている。角南司厨長殺しの凶器と目される包丁についた指紋の科学分析を依頼した。


「包丁に付着していた指紋は、水木颯也のものだけだそうだ」


 分析結果を伝え聞いた陣場が落胆の声をあげた。水木の自白こそないが、となる。


「水木以外の関与を示す証拠はなかったわけですね」


 事件解決の糸口にはならず、北折の声も沈んだ。


「ああ、残念ながらな」


 31番目の乗船者――明神要という不確かな存在さえなければ、水木をしょっ引いて一件落着となりそうなものだが、二人目の被害者である小見船長の死に水木は関与していない。


 小見殺しの容疑者足り得るのは、水木颯也拘束時に食堂にいなかった女性二名――根本陽、三厨梨央のみであるが、その彼女たちが黒いマスクの男なる存在を証言した。


 状況を総合すると、黒いマスクの男は明神要であると推測される。しかし、二件目の殺しの凶器はいまだ見つかっておらず、明神要の犯行を伺わせる物証は今のところ存在しない。


「二件の殺し、どちらも明神の犯行であったなら、水木の罪は死体損壊がせいぜいだな」


 水木は明神に脅されて、仕方なしに角南の両目を抉った。その際に渡された包丁に水木の指紋が付着した。明神は犯行時に手袋でもしていたのだろう。だから、指紋の類は残らなかった。


「明神はどこに消えたんでしょうか」


「八丈島近海に警備網を敷いたが、まだ発見されていない。どこかで警備艇から乗り換えたのか、八丈島に潜伏しているかのどちらかだろうな」


「身柄を押さえたところで物証は何もない。結局は自白頼みですね」


「ああ、思ったよりも長引きそうだな」


 犯人の目星はついているのに何もできない無力さに、陣場は苛立ちを隠せなかった。どこに突破口があるのか、見当もつかない。


「三厨の証言は興味深い内容でしたね」

「そうだな。人は見かけによらんな」


 ふわふわした小動物のような外見とは裏腹に、三厨梨央の証言はたいへんに理知的で、奇妙なまでの説得力があった。


「水上バイクに変形するメカ・シャークか。まずはその線から当たってみるか」


 メカ・シャークが市販されている「商品」であるなら、購入者が洋上で事故を起こしている可能性はある。メカ・シャークを扱っている企業が特定できれば、海底ケーブル切断の用途に利用しようとしていたオーシャン・コネクト社との繋がりも調べられる。そのためにも、まずは該当する企業を洗い出さなければならない。


「鮫類似物体が海難事故を起こしていないか、他の管区にも問い合わせてみます」

「そうしてくれ。どんな情報でもないよりはマシだ」


 海上保安庁は霞が関に本庁があり、全国を十一の海上保安管区に分けて海上保安業務を行っている。第三管区以外でも鮫類似物体の目撃例がないか、クレイトン号事件の対策本部から問い合わせてもらうことにした。


「船内に爆弾が仕掛けられている、というのは出任せだったな」


 束の間、陣場が安堵したように言った。


 多数の海上保安官がくまなく船内を捜索したが、爆発物が仕掛けられている痕跡は見当たらなかった。直ちにクレイトン号が爆発ないしは沈没する危険性は薄いと見て、船員の避難は見送った。


 食堂を接収し、海上保安官だけが集う前線本部とした。船員たちの事情聴取はそれぞれの個室で行っているが、すぐさま事件解決に結びつくような有力な証言は得られていない。


「企業の買収が目的だったのなら、船内で事件を起こすだけで十分です。むざむざ船を台無しにすることはないでしょう」

「そういうものか?」


 お利口な北折は、買収者の魂胆が理解できるらしい。


「特別買収目的会社は、それ自体は何の事業も行っていないただの箱です。先に資金を調達して、それから未上場の企業を買い漁り、事業連合軍を作る。ケーブル敷設事業と何を組み合わせて相乗効果シナジーを得るのか、今の段階でははっきりとしませんが、少なくとも事業に要する設備を破壊することはないはずです」


 小難しい物言いに、陣場の理解が追いつかない。


「おい北折、俺にも理解できるように話せ」


「オーシャン・コネクト社以外にも買収を進めているだろう、ということです。メカ・シャークの製造会社以外にも狙っている企業があるのではないですかね」


「なぜ、そう言い切れる?」


「海底ケーブルを切断するメカ・シャーク、修理するクレイトン号、両方が揃えば保守の仕事が途切れることはない。でも、それはどこまで行っても下請けです。大儲けできそうな印象はない」


「それはそうだが……」


「特別買収目的会社が買収した企業はいずれ公表されます。メカ・シャークの目の付け所は良くとも、ケーブル切断を目的するなどと大っぴらにできるわけがない。投資の目玉がオーシャン・コネクト社だというなら、ありふれている。いかんせん地味です。大儲けを予感させる観測気球アドバルーンがなければ投資家はそっぽを向くでしょう」


 北折はオーシャン・コネクト社買収の目論見を「地味」と切って捨てた。言われてみれば確かにその通りだ。海底ケーブル敷設事業についてなんとなくのイメージはあっても、そこに有り金を賭けたいかと問われたら、大抵の人間は判断がつかないだろう。


「投資家から金を掻き集める以上、深く考えなくても、ああ、これは儲かりそうだと思わせなければならない」


「北折、お前だったらどんな企業を買う?」


「分かりません。ですが、ひとつ気付いたことがあります」


 陣場と北折は前線本部となった食堂に向かった。テーブルには海上保安官たちが聞き取った供述調書が並んでいる。北折は船員たちに提出させた資料の山から、東京都島嶼部をつなぐ海底ケーブルのループ回路図を取り出した。


 利島、新島、式根島、神津島、御蔵島は、大島、三宅島双方から海底ケーブルが伸びるループ形状となっている。回路は青く太い線と点線が混在しており、八丈島以南の青ヶ島、父島、母島へは青く太い線だけが伸びていた。


「これがどうした?」


「この太い青線が東京都が設置した海底ケーブルで、点線が民間事業者が設置した海底ケーブルです」


 ループ回路はどことなく魔法陣のようだ。それを口にすると北折に小馬鹿にされると思ったので、陣場は話の続きを促した。


「伊豆大島、三宅島、八丈島は民間事業者が独自に海底ケーブルを敷設していました。それ以外の島では採算面に問題があり、長らくブロードバンドサービスが未提供でした」


「民間企業は慈善事業じゃないんだ。仕方がないだろう」


 せっかく海底ケーブルを敷設しても離島には住人が少ない。採算倒れとなるなら、民間事業者による整備は期待できない。


「いつでも、誰でも、どこでも『つながる東京』の実現に向けて、整備に金を出したのは東京都です」


「つながる東京か。胡散臭い標語だな」陣場が鼻白む。


「ループ回路の整備が始まったのは二〇一六年からで、全島でブロードバンドサービスが提供されるようになったのは今年三月です」


「おいおい、つながる東京が聞いて呆れるな」


「捨て置かれていた離島の整備が急に進んだ。問題はそこです」


「整備が進むことの何が問題なんだ?」


 いつでも、誰でも、どこでも『つながる東京』。


 東京都島嶼部にあまねくブロードバンドサービスが行き渡るようになったのは二〇二〇年三月。それまでは長く捨て置かれていたが、急に整備が進んだ。その背景に何があったといのか。


「問題は整備が完了した時期です。オリンピックの開催時期に間に合わせようとしたのが見え見えじゃないですか」


「まあ、そうだが」


「本来ならば、今年の七月には東京でオリンピックが開かれていたはずなんですよ。コロナ禍でこんなことにならなければね」


 北折がしばし考え込み、ぽつりと言った。


「つながる東京を切断する……。都が管轄する海底ケーブルを切断すれば、その都度修理費用を要求できますね。でも、それだけだと小賢しいだけです」


 北折の評は手厳しく、「地味」のお次は「小賢しい」と来た。


「北折、俺にはお前の考えていることがよく分からん」


 陣場が解説を求めると、北折はやや面倒そうに言った。


「これは東京都から金を奪う計画なのでしょう。オリンピック延期に便乗して金をせしめようという魂胆です。オーシャン・コネクト社の買収はその一環に過ぎない。きっとまだ隠し玉がある」


「さすがに飛躍し過ぎじゃないのか」


 北折にしては珍しく突飛な発言だった。ろくな根拠もないように聞こえたが、北折はいたって冷静に言った。


「富士山噴火のXデーがいつだと予言されていたか、思い出してください」


 二〇二一年七月二十三日――延期された東京オリンピックの開催予定日に富士山が噴火すると予告があった。


「キナ臭いと思いませんでしたか、陣場さん」


「ああ、正直に言えばな」


「十中八九、こけおどしブラフでしょう。船内に爆弾が仕掛けられていなかったのと同じです」


「火山弾が降った映像があるんじゃないのか」


「映像だけなら、なんとでもなります」


 ループ回路図を睨みつけながら、北折が言った。


「買収者はオリンピックを玩具にしたいようです。具体的に何をしたいのかまでは分かりませんが、観測気球アドバルーンとしてはこれ以上なく分かりやすいですね」

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