第5話 切断試験

 水中ロボットのアンビリカル・ケーブルが切断された状況を子細に検証するため、陽と三厨は船尾の作業甲板に足を運んだ。船体の上部をカットしたようなオープンハッチ式の作業甲板は広い作業スペースを確保している。二基のデッキクレーンを見上げた三厨は、切ない恋にも似た吐息を漏らした。


「また会えたね、クレーンちゃん」


 三厨は甲板に鎮座するデッキクレーンにぺたぺたと触り、再会を喜んでいる。ゲームセンターのクレーンゲームのアームを巨大化させたかのごとき威容に悶えているようだが、お気楽なものだ。


 海没した水中ロボットに引き上げ用ワイヤーを取りつけ、デッキクレーンと接続してウインチで引き上げる重労働を想像すると、陽の内心に、へらへら笑ってんじゃねえよ、という思いがむくむくと湧いてきた。


 船尾デッキにアンビリカブル・ケーブルの断端が回収されており、陽が近寄って切断面をまじまじと見つめた。


「サメに齧られたなら、もっとギザギザになるものじゃない?」

「そっすね。齧られたことないから分からないですけど」


 切断面は鋭い刃物で切断されたように鋭利で、鮫による襲撃ではなく、人為的な切断であることを物語っている。


 サメに齧られたなら、もっとギザギザになるものじゃない?


 陽はふと自分が口にした言葉の違和感に気がついた。陽の肩越しにケーブルの切断面を覗き込んだ三厨も、そこはかとなく違和感を覚えたようだ。


「ねえ、三厨。あんたが追いかけっこしてたの、ほんとうにサメだった?」

「どうでしょう。見た目は完全にサメでしたけど」

「この切り口、サメの仕業だと思う?」

「分からないです」


 陽だけでなく、操縦者の三厨も半信半疑の面持ちだった。


「サメじゃなかったら何なんですか」

「さあ、それは私も分からない」


 二人して頭を捻っても埒が明かない。


「映像、もういちど見直してみようか」

「そっすね」


 陽が水中ロボットが捉えた映像の見直しを提案すると、三厨はあっさり同意した。巌谷に反省を促されたときとは打って変わっての素直さだった。


 水中ロボットの操縦室コントロールルームに移動し、高精細カメラ越しの深海を再確認する。ここは元々、冷凍コンテナだったこともあり、船員を監視するライブカメラは設置されていない。


 おかげで三厨はだらけきった態度を隠そうともしない。


 陽がサメ類似物体がアンビリカル・ケーブルに食らいついてくる場面を繰り返し見てみるが、カメラが酷くぶれるせいで映像に酔いそうになる。


 正体が判明しそうなほど間近に迫れば、視界を遮る泡がぼこぼこと吹き出し、天然の隠れ蓑になる。ムキになった三厨の無軌道な走りが加わったブレブレの映像を再検証するのはちょっとした拷問だった。


「陽さん、どうすか?」


 事後検証すべき当人はすっかり他人任せで、サーモンピンクの髪をくるくると弄っている。せっかくカメラがサメ類似物体に寄ったと思いきや、陽の視認を嘲笑うように浮き上がるのが業腹だ。


「もう少しのところで、いちいち浮くのがムカつく」

「しょうがないじゃないっすか。サメから逃げようとしてたんですもん。そもそもアンビリカル・ケーブルが太過ぎるんです。潮流の影響受けまくりなんですよ」

「まあ、そうだね」


 水中での破断を防ぐため、アンビリカル・ケーブルは太くなっている。そのせいでケーブルが潮流の影響を受けやすく、本体が引っ張られて浮いてしまう宿命を負っている。


「ねえ、三厨」

「なんざんしょ?」

「このサメ、ほとんど口を開けてないね。ミサイルみたいに突進してばかりだ」

「言われてみれば、そうですね」


 泡の煙幕に隠れたサメ類似物体の挙動を繰り返し見続けるうち、奇妙な習性があることに気がついた。蛇のようにのた打ち回るへその緒を追い回し、機敏に旋回しているが、いざ齧りつこうという段にもろくすっぽ口を開けず、頭突きするように突っ込んできた。


「これ、齧ってるというより頭突きヘッドバッドだね」と陽が言う。

「顎が痛くて、口が開かないとか」

「そんなことある?」


 このサメ、ほとんど口を開けてないね。ミサイルみたいに突進してばかりだ。

 これ、齧ってるというより頭突きだね。


 陽は自身の言葉を胸の内で反芻する。視界を遮る泡が晴れたときに一時停止し、サメ類似物体の鼻先をズームしてみると、鋭利な鎌を思わせる刃状構造であることが確認できた。


「あの切り口、ちょっと不自然だなと思ったけど、ケーブルがぴんと張っているときに突進されたらスパッと切れるだろうね」

「こいつ、機械メカっすよ。機械鮫メカ・シャーク


 三厨が大騒ぎするのも道理だった。サメ類似物体の腹部には巧妙にカモフラージュされたロボットアームが一対、内臓されていた。飛行機の主翼を思わせる胸びれと腹部の隙間に機械の腕が折り畳まれている。この機械の腕があれば、ケーブルをぴんと張った状態で固定することは造作もないだろう。刃状構造の鼻先に標的を保持し、まっしぐらに頭から突っ込んでいけば、水中ロボットのへその緒アンビリカル・ケーブルにせよ、海底ケーブルにせよ、ぷつんと断線してしまうだろう。


「でも、形状フォルムは完全にサメですね。スゲエや」


 三厨はネット検索して「鮫か鮫ではないか」を見分けるポイントなんぞを調べていた。イルカやシャチ、クジラは哺乳類だが、鮫は魚類であり、両者は尾びれの付き方が変わる。哺乳類は尾びれが水平に付いていて、いわゆるドルフィンキックのように上下に振る。魚類は尾びれが垂直に付いており、左右に尾っぽを振る。


 また鮫は魚類の中でも軟骨魚類に属している。マグロやアジなど、身近な魚は硬骨魚類に属する。硬骨魚類のエラにはエラ蓋が付いているが、鮫のエラにはエラ蓋がなく、エラ孔が剥き出しになっている。


 そのエラ孔が五対あり、胸ビレと頭の間に五つの切れ込みが入ってる。「尾ビレが垂直であること」「五対のエラ孔があること」の二点を確認すれば、鮫かどうかは一目瞭然だという。


 機械の腕ロボット・アームを胸びれの下に隠し持っている物体を果たして鮫に分類していいものか甚だ疑問だが、形態的には鮫の特徴を備えていた。


「陽さん、報告書になんて書けばいいんすか、これ」


 サメの好物がケーブルであることを確認。陽さんの言った通り。


 三厨のことだから、そんなことを書きそうだな、と思ったことがある。しかし、これは単なる鮫ではない。紛れもない人工物だ。


 人為的な切断……。


 しかし、誰が、どんな目的で?


 陽の胸に得体の知れない不安が込み上げてきた。一旦、落ち着くために深く息を吸い、それから大きく吐き出した。


 海底ケーブルは情報社会の屋台骨であると同時に、不測の事態があれば、すぐさま外交問題に発展しかねない代物である。


 米国家安全保障局NSA並びに中央情報局CIAの元職員エドワード・スノーデンが、アメリカ政府が世界中に張り巡らされた海底ケーブルに盗聴器を仕掛けていたことを暴露した一件は記憶に新しい。


 世界の情報の九十九パーセントが海底に敷かれた細い管を通っており、世界を監視したいと考える権力者にとって、海底ケーブルはまさに格好の標的だろう。


 だが、事は盗聴ではなく、破壊を伴う切断だ。


 人知れず諜報活動をしているならまだしも、ケーブル網そのものを切断されてしまえば、世界的な通信障害を招きかねない。何より、海底に安置されているだけの海底ケーブルは意図的な攻撃を想定しておらず、外部からの襲撃に対してあまりにも無防備だ。


 海底ケーブルは地球全体を繋ぎ、サイバー社会を維持する情報の動脈である。


 特定の国を利するものではなく、人類の共有財であり、この動脈網が健全に機能し続けるよう国際社会全体で協力しなければならない。それを恣意的に切断しようとする存在があるとすれば、世界に反逆することに他ならない。


「三厨、意図的に海底ケーブルを切断したい集団があるとしたら、どんな存在だと思う?」

「どういう意味っすか」


 三厨はあまり事の重大さが理解できていないのか、質問の意味がよく分かんねえっす、とでも言いたげに首を傾げた。


「これは意図的な切断試験だったんじゃないかと思うんだ」

「……切断試験?」

「そう」


 陽は真剣な面持ちで、三厨を見据えた。


「世界のどこかで通信障害があったら、ケーブル船が出張っていく」


 感覚的には消防署にいる消防車と同じだね


「でも世界で同時多発的にケーブルの切断が起こったら直しようがない。直しているうちにまた切られて、イタチごっこだもの」

「考えすぎじゃないですか」


 三厨はへらへら笑って、真面目に取り合おうとはしなかった。


「そうだといいんだけど」


 陽は強張っていた表情を緩め、無理やりに笑みを作った。しかし、脳裏には自身が吐き出した言葉がぐるぐると渦巻いていた。


 人為的な切断

 盗聴ではなく、破壊を伴う切断

 切断試験

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