俺のコンプレックスが猛威を振るっている

まえだ。

第1話 神田死す

 今日も西日が暑い。身体中が蒸れる。真夏でも俺、神田定彦かんださだひこは常に長袖のカッターシャツを身に纏い通勤している。会社は絶賛クールビズだ。この期間限定イベントでは若い女性社員たちが薄着になる。それは我々にとって活力になる。だが俺はそんなイベントに参加できない。何故なら……


 濃 い 体 毛 を 見 ら れ た く な い か ら だ


 そんなこと誰も気にしないだと?脱毛サロンに行けだと?そんな簡単な問題じゃねえんだよ!俺が気にするんだよ!広告が怪しいんだよ!金かかるんだよ!剃っても1週間後には元通りなんだよ!


 世はまさに不毛メンズ時代。毛のない男子がモテる。国民的アイドルは皆脱毛済み、脱毛CMがネットテレビ問わず国民を洗脳する、女は毛の無い男子に惹かれる、女が嫌がる男の毛ランキングなんてのも存在する。ちなみに一位は胸毛らしい。生憎俺の胸毛は立派なもんだ。


 そんな現代が俺のコンプレックスを嫌というほど刺激してくる。これで不細工でゴリラみたいな体格ならば諦めがついただろうが、俺は長身の痩せ型。普通ならモテるボディなのだ。しかも我ながら男前な顔立ちをしている。髭だって奇跡的にダンディーな生え方をしている。それなりに体も鍛えてもいるから望みは捨てたわけではない。今年で25歳だが俺にもまだまだ可愛い彼女が出来るのではないかと心の底で思い続けている。だが、実際できたとして俺は彼女を抱けるのか?俺の腕や脚を見た瞬間青ざめないか?


  ……暑すぎるが故にアホな事が頭の中をグルグルかき混ぜる。先ほどのアホな考え事を払拭すると後ろから元気のいい声が聞こえた。


「神田先輩!おはようございます!」


「よう迫田。朝っぱらから暑苦しいな」


 こいつは迫田。俺の後輩青年だ。心も体も体育会系で年中問わず暑苦しい。


「それは先輩でしょ。8月なのに衣替え前の格好なんかして。いい加減クールビズしましょうよ!」


「ダメだ。これが俺という男のスタイルなんだよ。」


 俺の体毛が濃いのは家族と学生時代の友人以外誰も知らない。『男らしく生きる』がモットーなのにこれだけは譲れない絶対的コンプレックスなのだ。


「お前こそ、そんなだらしねぇ格好してお気に入りの真面目な千嘉ちひろちゃんに嫌われても知らねえぞ」


「うっ……これマズイですか……?」


 急に涙目になる迫田をよそ目にネクタイを少し緩め、ハンカチで汗を拭く。すると後輩が目の前のビルを指差した。


「そういえば、最近オープンしたこの24時間スーパーの中のパン屋さんが凄い美味いって評判なんです!帰りに寄って行きませんか?」


「そんだけ美味いなら千嘉ちゃんを誘ってやんな」


「神田先輩と行きたいんです!ダメならチヒロちゃんを誘う勇気をくださいぃ!」


「こら!服を引っ張るな!くっつくな!」


 面倒くさい部下を払い除ける。朝からおっさんと青年のじゃれ合いが、他の通勤通学中の労働者たちのやる気活力を削ぎ落とす。


「あっ!このお店ですよ先輩!このブタパンがマジで美味しいって評判なんです!」


遠くで叫ぶ部下の声、頭に降り注ぐ灼熱、俺たちを避けて通る通行人。今日も平和だな。


  ドゴンッッ!!


 突然聞きなれない激突音のような音がした途端、目の前に影ができた。


「先輩!!!」


 俺は空を見上げた。何故か上空に車があった。


「え」


  ドグァシャァァァン!!!!


 空から車が俺の真上に落ちてきた。脳が理解するよりも早く俺に激突し、目の前が真っ暗になった。


 ……意識があるようだ。だが痛みは無い。遠くから部下の声が聞こえる。いろんな人の声が聞こえる。何を言っているのか分からない。


 俺は死ぬのか?それとももう死んだのか?何があったんだ?どうして俺が?どうして空から車が?迫田は無事なのか?いろいろな疑問が走馬灯のように頭の中をグルグル回る。だが、次第に考えることができなくなっていく。意識が薄れていく……。


 俺は何の前触れもなく、死んだ。

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