スイート・レモネード・グラフティ
夏目綾
第1話
むせかえる空気。眩しい木々の緑。どこまでも青い空。
もう、夏の匂いがする。
土曜日、陽が傾きかけた頃、部活帰りの高校二年生、桧山夏生は不意にそう思った。
今年は例年より寒く、いつ春がくるのだろうと思っていたが、気が付くといつの間にか五月。だが、実際、五月に入ってしまうと春なんて飛び越して気温はぐんぐんと上昇して、すっかり夏の気配を感じるまでになっていた。
センチメンタルに季節の移ろいを気に掛けることなんてしたことのない夏生でも、今日のこの異常な暑さにふと夏を感じてしまった。
「あー、喉乾いたなぁ・・・。」
手持ちの飲み物は全部飲んでしまった。自動販売機も見当たらない。
夏生は自動販売機を探して、いつもは入らない路地に入ってみることにした。
日中よりだいぶましになったとはいえ、夕日の照り返しが暑い。そして、眩しい。目を細めながら、普段歩かない道をどんどん進む。
こんなこといつもならしないのに、暑さで頭がぼうっとしていたせいなのかもしれない。夏生は一心不乱に歩く。
しばらく細い坂道を登っていくと行き止まりに差し当たった。
なんだ、何もないじゃん、歩き損?
そう思って顔をあげると、行き止まりにちょうど古びた喫茶店があった。
古臭い店構えの喫茶店。
銅板の看板がランプの横に吊り下がっていて“喫茶らんぷ”と書かれてある。
「こんなところに喫茶店?」
窓があるが小さく、そして暗くて何も見えない。
こんな怪しいところ、いつもの夏生なら無視するのだが、喉も乾いていたし、なぜか今日は無性に興味が湧いてきて、気がつけばドアに手をかけていた。
「すみませーん、あいてますー?」
ドアは空いていて、夏生が入ると、カラカラと鐘の音が鳴った。
喫茶店の中は、さすが喫茶店らんぷと名乗るだけあって、アンティーク調のランプがあちこちにおいてあり、暗い店内をほのかに照らしていた。
客は誰もいない。夏生は店内を見渡す。
店自体はそこまで広くなく、机が四、五席とカウンターに何席かある。 その何席かある机や椅子は木製の古いもので、この空間だけ時の流れが違うような、そんな落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
店内にはクラシックが流れていて、それが一層この空間を別次元のものに感じた。
アンティークな調度品といい、いつかテレビで見た純喫茶ってこういうのをいうのかなと夏生は感嘆した。
きょろきょろ夏生が辺りを見渡しているとカウンターの奥から少女の声が聞こえた。
「いらっしゃいませ。」
「た、高崎!?」
奥からでてきた少女を見て夏生は驚いた。
「桧山!?どうしてここに!?」
黒いエプロンをつけてカウンターからでてきたのは、夏生と同じクラスの高崎ひよりであった。
ただ、同じクラスといってもあまり話したことはなく、本当にただのクラスメイトといった程度であったが。
「いや、ぶらぶら歩いていたらこの喫茶店に行き着いて。それより、高崎こそどうしたの?ここ、高崎の店なの?」
すると、ひよりは言いにくそうに目線をずらしながら口を開いた。
「違う、ここは私のおじいちゃんの店。休みの日とか、学校帰ってから手伝ってるだけ・・・。」
「へー、そうなんだー!偉いね!」
「別に・・・それより、座ったら?それとも、ただ冷やかして帰るの?」
そう言われ、夏生は慌てて首を降るとカウンターに座った。
カウンターにはサイフォンが何台か置かれており、本格的な珈琲が飲めるらしい。しかし、あいにく夏生は珈琲が苦手だ。それに今はスッキリしたものが飲みたい。
「ねぇ、何かスカッとする飲み物ない?私、珈琲苦手なの。紅茶も!」
「スカッとするもの・・・。」
ひよりは口に手を当てて考え込む。
「レモネードはどうかな…。」
「あ、レモン系?いいね!じゃあ、それで!!」
夏生はにこっと笑った。
ひよりは、そんな単純に決めていいのか?と思いながらも「じゃあ。」と頷いて奥に下がって行った。
しばらくして、ひよりが現れる。
手にはキレイなレモン色の飲み物があった。
「はい。レモネード。甘くないからこのシロップで調節して。」
そう言われて夏生は確かめるように一口飲んでみたが、すぐに口を離した。
「わっ!酸っぱい!!」
「だから言ったでしょ?甘くないって。」
「じゃあ、シロップいっぱい入れる。」
夏生はおもむろにシロップを入れ始める。が、その量が尋常ではない。驚いてひよりが声を掛けた。
「ちょ、ちょっと、入れ過ぎじゃないの?」
「いいの、私、甘いの好きだから。」
夏生はシロップをいっぱい入れたレモネードを飲む。
「うーん!甘いっ!!」
「ほら、言ったでしょ?どうする?もう一回作り直してこようか?」
「いや、これがいいのよ!すごく美味しい!!」
そう言って夏生はレモネードをひよりに差し出す。ひよりは躊躇ったが、ぐいぐい夏生がおすので嫌々ながらも口にした。
「わっ!!なによ!!これ!!」
「美味しいでしょ?」
「甘すぎ!!」
「だから、これがいいの。」
「そんなのもう、レモネードでもなんでもない!!」
「これでいいよ!!すごく美味しい。ありがと!!高崎!!」
夏生は笑顔で言った。その笑顔があまりにもまっすぐだったので、ひよりはなんだか照れてしまい下を向いてしまった。
「別に・・・仕事だし。」
「でも、高崎がこんなことしていたなんて知らなかった。」
「ほかの人には・・・。」
「わかってる、言わないよ。」
それを聞いてひよりは安堵したのか、カウンターの内側に立った。
そして、カウンターの後ろに備え付けてある棚に、カップやら皿やらを拭きながらしまっていく。
ひよりは、夏生ほどではないが背は高く、スタイルもいい。顔立ちもモデルのように綺麗で、女子校だけれどもクラスの女子にも人気があることを夏生は知っていた。
ただ、ひよりは無口でどこか冷たい印象があり、女子たちもとっつきにくいのか、高嶺の存在になっていて、皆なかなか話せずじまいになっていることも、また夏生は知っていた。
そのことは夏生自身も例外ではなく、いつも目には入るが何を話せばいいのかわからず、今までろくに話したことがなかった。ずっと皆と離れて一人ぽつんといるものだから、変わり者かと思っていたが、今日話してみると意外に普通に話せて、なんだ・・・と少し驚いた。
そんなことを思いながら、じっとひよりを見つめていたものだからその視線に気づいたひよりは眉をしかめる。
「何・・・?」
「いや、別に・・・。高崎もっと喋ればいいのにって思って。」
「はぁ?どういうこと?」
「だって、高崎と喋りたいって女子いっぱいいると思うよ?私だって、高崎がもっと喋ってくれたらもっと最初っから仲良くなってたと思うし。」
「もっと仲良くって・・・。それ・・・今で、私と桧山が仲良くなったっていうこと?」
「あれ?違うの?」
「大体、貴女はただの客で・・・。」
「え?だめなの?仲良くしたら。嫌?」
まっすぐな目で夏生がひよりを見つめる。
その目を見てひよりは何も言えなくなってしまった。
今まで人とかかわるのが苦手で避けてきたし、そんな態度をするひよりに誰も近よらなかったので、ここまで好意的に目を見て話しかけられたのは初めてに等しい。
ひよりは、たじろいで思わず心にもないことを言ってしまう。
「い、嫌よ・・・。そういうの嫌だから。」
確かに人とかかわるのは苦手だ。でも、心底から友達が欲しくないわけではない。友達のいないひよりにとって初めてかもしれない友達ができる瞬間だったのに。
なんてことを言ってしまったんだろう、桧山は私のこと嫌いになっただろうか。やっぱり私ってこんなのだからみんなに嫌われるのかな。
そう思って、おそるおそる夏生を見てみる。
すると夏生は、さほどは気にしていないようで「えー!」とだけ言った。
「でもさ、このレモネードすごく美味しいんだよね。ね、また来ていい?」
そんな意外なことを言われ、ひよりは驚いた。
来てもいいかと聞かれ、もちろんと言いたいのにまた憎まれ口をたたいてしまう。
「変わってる。こんなとこ来て楽しい?」
すると夏生は懲りずに笑って言った。
「うん。すごい穴場見つけた感じ!!私喫茶店とかあまり行かないけど、ここの雰囲気好きだよ。そんでもって、レモネード最高だし!!」
ああ・・・だから、この子はクラスでも人気者なんだ。
ひよりはそう思った。
ひよりは知っていた。桧山夏生がクラスで人気だということを。女子は文句を言っているけど、なんだかんだ言って夏生のことが好きという子が多いことを。
夏生は陸上部のエースで、ひよりとちがって明るくて、話し上手で、いつでもクラスの中心にいた。
いつも教室の隅で、夏生を見ていた。
どうして、そんなに皆に囲まれるのか、嫌じゃないのか、いつも思っていた。
だけど、今日夏生と話していて、その不思議な彼の魅力に触れてすべて納得できた気がした。
「ねぇ、来てもいい?」
夏生はひよりを覗き込んでもう一度聞く。
「え・・・。え、ええ・・・別に・・・いい・・・けど。桧山さえよければ。」
「よっし!!じゃ!!また来る!!あ、お金!!」
「・・・いいよ、別に。」
「えー、悪いよ。だめだって。」
「じゃあ、100円でいい。」
「いいの?」
「いい。」
夏生は少し申し訳なさそうな顔をしたが、財布から100円を出すと、またあの笑顔で手渡した。
「ありがと!!あ、高崎のこと、名前で呼んでいい?」
「え?」
「私のことも名前で呼んでいいから!!」
「好きにすればいいけど・・・私は桧山で良いや・・・。」
「まぁ、なんでもいいか!!じゃあね!ひより!!」
そう言うと夏生は手を振って店を出て行った。
一人喫茶店に残されたひよりは呆然と立つ。
少し嬉しい気持ちと、もっと何か話せたのではないかという後悔と。
立ち尽くしていると、奥から初老の男が出てきた。
「ひより、なんだか賑やかだったけど。」
「おじいちゃん・・・いや、ちょっと同級生が来ていて・・・。」
「友達か?」
「・・・わからない。」
「なんだ、そりゃ?」
首をかしげながらひよりの祖父はまた奥にさがっていった。
「友達・・・。か・・・。」
ひよりはそう呟くと、夏生が飲んだグラスを片付けたのだった。
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