第5話 地獄の審判、もとい開門の日

 運命の日。


「どうしてこうなったどうしてこうなった……!」


 俺はひたすら呪いを吐き出していた。

 この四日間は俺にとって世界を変えるほどの衝撃を与えた。ちょっと背が高いバスケ部所属の高校二年生、霧生誠人を語るならそれだけで十分なはずだった。面白いことが好きなムードメーカーでもないし、破天荒なことを成し遂げるような人間でもない。ただの男子高校生。何度でも繰り返す、俺はノーマルな男子高校生のはずだった。今もそうだと信じたい。


 それがどうしてこうなった。


「往生際が悪いわよ、霧生くん。大丈夫、皆に目にもの言わせてやりましょう」

「返り討ちにあう未来を想定していないのかお前は⁉」


 俺に施術をした巨悪・粟島るいは何故か誇らしげに背中を叩いてくる。

 いわば粟島のプロデュース企画として動いてしまった今回の「男女逆転・メイド&執事喫茶」。やるかどうかすら決まっていないのに俺一人がモルモットとして捧げられて、クラスメイトは完全に野次馬根性だ。


 いや、地獄だった。こんなに話題になっているとは思わなかった。「女装の進捗はどうだ」とか直接聞いてくる葉室はまだマシな方だ。クラスにいるだけで休み時間に奇妙な視線を感じるし、やむを得ず粟島と会話をすると周囲がざわめく。特に女子生徒は俺にしきりに視線を投げてはひそひそと何か囁くのだった。


 俺の噂をしているやつら、下校時に靴底が剥がれたりしてくれないだろうか。


「さ、行くわよ霧生くん」

「……人って羞恥で死んだりしないのかな」

「弱気にならない。私とあなたなら大丈夫、私を信じてくれていいわ」


 粟島が教室の扉を勢いよく開けた。途端に教室が水を打ったように静まり返る。迷いない足取りで進んでいく粟島を目にして、俺はもう前進以外の選択肢を失っていた。どうせここで引き返したところで、今の姿を魔法のようになかったことにできるわけじゃない。覚悟を決めろ霧生誠人。


「ああ、クソッ」


 もう、どうにでもなってしまえこの野郎‼


 俺が教室に足を踏み入れた時の、「どよめき」をどう表現したらいいかわからない。

 歓喜? 失笑? 混乱? 驚愕? とにかく反応に統一性がなく、いいのか悪いのかも判断がつかない。俺は早くこの地獄の時間が終われと念じて突き進んでいたからクラスメイトの方に視線を向ける余裕なんてなかったし、耳から入ってくる音もよくわからないものだらけで、どう反応したらいいのか見当もつかなかった。


「まじかよ……」


 ただ、葉室の茫然とした一言だけはやけにはっきり聞き取れた。


「約束通り、お披露目の日よ。こちら、美しきクールメイドの霧生誠人くん」


 どう? 素敵でしょう? と得意げに胸を張る粟島だが、オーディエンスの反応はいまだに動揺が尾を引いているように感じられる。

 真偽が定かでないのか、半信半疑の眼差しが俺に向けられる。クラスメイトの視線を真正面から一斉に浴び、その圧に俺はたじろいだ。一歩後ずさろうとしたところで粟島に声を掛けられる。


「霧生くん。皆まだ信じられないみたいだから、何か話してあげて」

「何か、って」

「自己紹介とか?」


 地獄の時間はまだ続くらしい。恥の上塗りだ、こんなもの。

 俺は何か喋ろうとして、口の中がカラカラに渇いていることに気付いた。身体中冷や汗でいっぱいだ。


「あの……霧生です。バスケ部やってます。……その、今回急にこんなことになって、俺、女装なんてしたことないし、無縁だと思ってたし、キモイだろって思ってるけど……だからその、なんつーか。不快にさせたら悪いとしか……」


 これ以上どう言葉を続けたらいいかわからなくて、俺は視線を落とした。クラスメイトなんて見ていられない。縋る場所もなくて無様にスカートの裾をきつく握りしめる他なかった。


「……いける」


 扉が開く音を聴くまでは。


「は?」

「いける、これならいけるって! いやー確かにデカいけどさ、それ以外はかなりいいと思うんだよね、俺!」


 葉室だ。嬉々とした表情で俺と粟島を見てくる。その毒気のない笑顔に俺は面食らった。

 葉室の声に追従するように、クラスメイトの囁きが増えていく。


「身長もあって美人で……霧生くん、なんだかモデルみたい」

「てか本当に霧生くんなの? 別人じゃん」

「芸能人とかにいそうだよな、ああいうやつ」

「やばい、俺めっちゃタイプかも」

「ご奉仕されたい」


 ……後半は聴かなかったことにしよう。

 隣に立つ粟島は相変わらず自身に満ち溢れた表情をしている。俺がぼんやりとそちらを見ていると目が合ったと思ったのか、小さくガッツポーズをしてみせた。


 そのとき。

 俺の中で鐘が鳴ったような気がした。

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