一匹狼は女装契約中

有澤いつき

邂逅・萌芽・契約

悪夢のはじまり

第1話 悪夢のはじまり

 俺と粟島あわしまるいの話をするならば、高校時代まで遡らなければならない。忘れもしない高校二年生の文化祭……俺の、悪夢のはじまりの日だ。


 他の学校はどうだか知らないが、俺の通っていた高校では文化祭の出店は部活動単位や委員会単位、それにクラス毎の立候補制で成り立っていた。もちろんすべてのクラスが出店するわけじゃないし部活動や委員会の兼ね合いもあるから、よっぽどやりたいことが決まっていない限り下手な計画をするもんじゃない。

 ただ、運の悪いことにこの高校二年生というやつは入学したての初々しさもなく、進路に向けたピリピリした空気もなく、つまり「はっちゃけた」学年だった。


「なーなー、メイド喫茶やらねえ?」


 そう提案したクラスメイトを俺は一生をかけて恨む。葉室はむろレイジ。剽軽で憎めないタイプ、こういうイベントで一番輝くヤツ。


「葉室ー、それあんたが見たいだけでしょ」


 女子の呆れたような声が飛ぶ。俺も同意だ。そもそも俺はホームルームの話し合いに参加する気はまるでなかったから、ぼんやりと黒板を見つめて真面目な風を装っただけだが。

 話半分に聞いていた、これがまずかったのだろうか。


「それに男子が何もしないのも最悪。どうせなら執事やりなさいよ」

「あー、メイド&執事喫茶? 確かにそれならみんな参加できるけど、なーんかインパクトに欠けるんだよなー」

「何よそれ、あんたがメイド喫茶やりたいって言ったんじゃん」

「そうなんだけどさー……」


 議論に加わるつもりのない、くだらない出し物の素案。どうせやるなら変わったものを! というのは目立ちたがりの葉室こその思考かもしれない。無難なアイデアで妥協するような男ではなかったのだ。

 しばしの無言の時間が流れ、どうしようかと周囲が戸惑いはじめたとき、その一言は投下された。


「逆転しちゃえばいいんじゃない?」

「は?」


 そういったのが、粟島るいだったのだ。


 粟島るい。リーダー的存在ではないが、目を引く容姿をしていることは間違いない。甘く垂れた瞳に厚い唇、ふわりとしたボブカット。そのうえグラマラスな体型と来たら、男子が影で話題にしないほうが酷なクラスメイトだった。

 彼女が意見を出すなんて珍しい。いつもは一歩引いて見てるような……今の俺みたいなスタンスが多いから。だからか、普段あまり自己主張しない粟島の提案に皆が食いつく。


「粟島さん、それってどういうこと?」

「男女逆転するの。女子が執事、男子がメイドだったら面白いと思わない?」

「執事か、確かにかっこいいかも!」


 いやいやいやまてまてまて。

 俺は急に冷や汗をかいた。女子が執事で男子はメイド? そりゃ女子は執事服を着ていいかもしれないが、男のメイド服って誰に需要があるんだ。スネ毛の生えたメイドが「お帰りなさいませ」するのか?

 吐くわ。気持ち悪くて。


「いや、粟島さん。確かにアイデアは面白いけど、男がメイドやるのはちょっと」


 さすがに葉室も抵抗があるらしく、苦い顔で粟島に意見する。しかし、ここで引き下がらないのが粟島だった。


「無理にとは言わないわ。女装に抵抗がある人もいるだろうし、裏方の仕事だってある」

「そうだけど、そもそも女装って結構気持ち悪いっていうか、似合わないっていうか……」


 言葉を濁した葉室に対し、粟島は凶悪に目を光らせた。どうしてこんなに強気なんだ。


「つまり、女装が似合えばいいのね?」

「や、でも結局男だし、女っぽい顔のやついないし」

「じゃあこうしましょう。私が一人を完璧なメイドに仕上げてみせるわ。その完成度を見てできるかどうかを判断してほしい」

「……まあ、そこまで粟島さんが言うなら……」


 なかば引きつった笑みを貼り付けて葉室が譲歩する。


「でも、誰にするんだ? 言っとくけど俺は嫌だぜ」

「そうね……」


 粟島るいは教室全体を軽く見回して、それから一人の男の名を告げた。


霧生きりゅうくん」


 …………。

 ……………………は?


 思わず振り返ると、粟島るいが整った微笑を浮かべている。そして俺に悪魔の宣告をした。


「霧生誠人まことくん。あなたを完璧なメイドにしてみせるわ」

「え、……は⁉」


 途端にクラス全体がどよめく。そりゃそうだろう。

 問題は、


「霧生⁉ あの仏頂面の⁉」

身長タッパもあるしあいつ普通に男だぞ」

「や、でもイケメンだからなんでも許される……のか?」

「霧生くんが女装するの?」

「え、私ちょっと見てみたいかも」


 自分じゃないとわかった途端、急に全員が乗り気になったことだ。こいつら全員屠ってやりたい。

 極めつけに、解放されたような晴れやかな笑い声をあげて葉室が言った。


「あっはははは! 粟島さんの手で霧生がメイドになるなら怖いことはないな!」

「な、おい葉室……!」

「じゃあ粟島さん、霧生コイツをよろしく! いつくらいにお披露目できる? 実行委員会への届出、結構タイトなスケジュールなんだけど」

「三日で十分よ」

「それは心強い。じゃあ、三日後のホームルームでお披露目ってことで」


 おい待て。俺を置いて話を進めるな。どういうことだよこれは⁉ 俺は傍観者のはずじゃなかったのか⁉

 諸悪の根源を睨む。粟島るいは強気な光を瞳に宿らせて、ただ微笑むだけだった。

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