うわばみブルース

赤魂緋鯉

うわばみブルース

 ボクは大学での調べ物帰りにちょっと遠回りして帰ろう、と構内のいつもは通らない道を歩いていると、縁石を枕にして寝ている人が道を塞いでいた。


 体格的に女性だと思うけれど、メンズのパンクロッカー風な服装をしていてまだ判断しづらい。


「だ、大丈夫ですか?」


 恐る恐る少し離れた位置から呼びかけると、うー、と唸って目を開けた。高めの声だし、多分〝彼女〟で間違いないかな?


「姉ちゃん……。見りゃ分かるだろ。問題ねえ……」

「どう見ても問題あるんじゃ……?」


 ガラスが丸い街灯に照らされている彼女の顔は、完全に真っ赤な顔になっていて、息がお酒臭いから泥酔しているらしい。


 というか、良くこんな男性っぽい格好なのに分かったんだろう?


 柄ワイシャツにゆるめスラックスの服だし、髪も短いから初見で間違える人の方が多い。


「とりあえず大学前交番まで行きます?」

「ポリ公は嫌いだー。敬語もやめろー」

「えっ、でも危ないと思うよ」

「ああー? 寒くないだろーが」

「寒いとかそういう話じゃなくてね……」


 とりあえず抱き起こしてみたけれど、ふにゃっふにゃで支えないと引っくり返る状態だった。


「お巡りさんはともかく、ここだと踏まれるから移動しないかい?」

「あー、踏まれたらアレだもんなー。あー……」


 その状態で立ち上がろうとして、力が入らずに彼女は横に転がってしまった。


「肩貸しますんで」

「いらねーッ。オレは立てるッ。グエッ」


 手を差し伸べてみたけれど、彼女はそれを払って立とうとしてまた引っくり返った。


「立ててないじゃないか……」


 ボクが頭を打たないようにかろうじて支えたところで、


「あー……、なんか気持きぼちち悪いかもしんねー……」


 急に彼女は青い顔になってきてゆるゆると口を塞いだ。


「それは大変だっ」


 ボクは慌てて彼女の肩を支えて持ち上げると、1番近くにあった学生会館のトイレに担ぎ込んだ。


「酔いがちょっとは覚めると思うから、トイレで吐いちゃった方がいいよ?」

「オレは酔ってねえ……。便所にも用はねえ……」

「酔ってる人は酔ってないって言うんだよね」


 個室に連れて行こうとすると、彼女は手を入り口で突っ張って拒否する。


「――ウッ」


 だけど、明らかに戻ってきた様子の呻き声を上げたから、ボクはちょっと力が緩んだ隙に、肘を便座につけて便器へ嘔吐おうとするときの体勢にしてあげた。


「余計なことすん――オエエエエッ!」


 ゆるゆると意地を張って抵抗する彼女だったけど、我慢しきれずに豪快に吐き始めたところでそれを止めた。


「もしかして半分無理やり飲まされたりしたのかい?」


 その背中をさすりながら、ボクは世間話の感じで彼女へそう訊いた。


「んなへぼいメンタルしてねえヨロロロロ……」


 心外だ、という様子で隣のボクの顔を見てきたけど、また言葉の途中でこみ上げて戻した。


「ぐえー……」

「水買ってくるよ」

「酒ぇ」

「いや、今飲んだらもっと気持ち悪くなるよ」

「迎え酒だぁー」

「それ二日酔いのときにするものだよ……」


 うるへー、と言ったところで、彼女はもう一度胃の中身を逆流させた。


 これは、ボクが見つけて良かったかもしれない……。


 判断力がゆるふわになっているし、構内っていっても完全に安全というわけでもないしね。


「すぐ戻るよ。頑張っておくれ」

「がんもどきくれー? そこの辺に出しちまったよ……」

「本当にすぐ戻るからねっ」


 ゆるふわにも程があるので、ボクは多分、高校で陸上引退して以来の全力疾走で自販機に走った。


「少しは気分良くなってるかい?」

「全然……。うえぇ……」

「水買ってきたんだけれど」

「開けろ……」


 もうほとんど固形物がない物を吐き出した彼女は、キャップが緑色のペットボトルを渡すと、開けようとはしたけど力が入らないらしく、ボクにそう頼んできた。


「はい」

「おう……、すまねえな……」


 酔いは少し覚めたようで、さっきのよく分からない意地を張るのはやめたらしい。


 水を飲んでしばらくしたら吐かなくなったから、ボクは彼女をロビーにあるベンチへ連れて行った。


「うー……、ちったあマシになったぜ……」

「それは良かった。救急車呼ばないとダメかと思ったよ」


 彼女はそこにごろりと引っくり返り、ボクは彼女の顔が見えるよう頭元の隣のベンチに座った。


「迷惑かけてすまねえな。……あと、嬢ちゃんでもねえか?」

「それで合っているよ。ボクは理工学部2年生の小谷深雪おだにみゆき

「深雪?」

「っていう感じではないとは思うよね。似合わないだろう?」

「いや? そうは思わねえけどな」


 半分持ちネタみたいにしている自虐を繰り出すと、舌の回りが良くなった彼女はちょっと気まずそうにすら笑わず、きょとんとした顔でそう否定してきた。


 親にすらたまに言われるぐらいだったから、正直その反応は意外だった。


「オレが松本まつもとまこだからって、女っぽい格好しなきゃならねえ事はねえだろ」

「それはそうだね。……名は体を表すとは限らないのかな」

「さあな。ああ、言い忘れてたけど、芸術学部の2年だ」


 あ、同学年なんだ。


「その割には意外と会わないものなんだね」

「まー、理工学系の講義なんか被らねえからな。オレ一切そこの辺の取ってねえし」

「ボクも芸術系は取っていないんだ」

「そりゃ会わねえのも当然だな。それこそベロベロに酔っ払ってねえ限りな」


 彼女――松本さんがニヤッとするのにつられて、ボクも頬が緩んだ。


「でも、吐くほど飲まなくても良いんじゃないかな。急性アルコール中毒とかになったら危ないし」

「心配してくれてあんがとよ。……ヤケ酒しただけだ」


 松本さんは悲しそうなそれになった顔を横に向けて、ごにょごにょした感じの声になりながらそう言った。


「理由、訊いても?」

「……おう。……単にフラれたんだよ」

「なるほど……」

「いや、なに真剣な顔しちゃってんだ。単なる失恋だぜ?」

「でも今の君にとっては重い事なんだろう?」

「……。まあな……」

「その気持ちを無理に軽くしなくていい……、とは、ボクは思うんだけれど」

「そんなもんか?」

「少なくともそこまで悲しいなら、心の怪我は軽いものじゃあないだろうし」

「そんなもんか……」


 松本さんは顔を手で覆いながら、疲れた様に深々とため息を吐いた。


「……なあ深雪」

「な、なんだい?」


 いきなり名前で呼ばれるとは思って無くて、ボクは気恥ずかしい感じを覚えて、ちょっとどもり気味になってしまった。


「こんな話するのもアレだけどよ、オレみたいなのがじゃだめなのか?」

「……?」

「ああ、知らねえよな――」


 小声かつすごく遠回しに説明してくれたけれど、つまりのときに受け身になる方の事らしい。対義語はタチだとも。


「つまり、身体の相性が悪かったのが理由だから、と?」

「まあそんなところだ。そこはしょうがねえとしても、それが理由でフるってのは納得いかねえんだよな……」

「分かるよ」

「そうなのか?」


 ボクも言わなかったのが理由とはいえ、バイト先でつき合った子が、ボクが男性じゃないと分かったら連絡が取れなくなった事があった、という事を松本さんにボクは話した。


「そりゃひでえな。深雪のガワだけが好きだってこったろ?」

「でも、恋愛対象じゃない人だったのは間違いないからね」

「そりゃそうだけどよ……」

「まあ、悲しかったのは悲しかったよ……」


 思い切ってちゃんと伝えたときの、ボクが騙していた、みたいな目を思い出したボクは松本さんみたいにため息を吐いた。


「なんつうかこう、ままならねえな……」

「だね……」


 松本さんは猫背気味に座り直して寂しげにそういうと、ペットボトルの水をぐいっと飲んだ。


「なんか深雪に話したらスッキリした。さーて終電間にあっかな」


 空になった薄いペットボトルを絞ると、松本さんはそう言って向かいのエレベータードアの上にある時計を見ると、


「ゲーッ! 深夜じゃねーか!」


 それはもうすぐ日付が変わりそうな時間を指していた。


「えっ、そんな時間だったんだ……」

「気が付かねえとかなにしてたんだよ」

「調べ物さ。ここの図書館、開架だけなら深夜0時まで開いているし」

「オレ何時間寝てたんだ……? 夕方から記憶ねえぞ……」

「ホテルとか行くお金あるかい?」

「ネカフェで素泊まりならなんとか」


 頭を抱えている松本さんにそう助言すると、彼女は右の太股のポケットを触って、ゾッとした顔をした。


「うっそだろ……。財布ねえ……」


 他のズボンのポケットとか上着とか、ポンポンポン、と素早く確認してその予感が確信に変わった様でそうつぶやいた。


「どこまで有ったんだい?」

「構内の広場行くまではだと思うけどよ……」

「だったら管理課に落とし物で届いてるかもね。明日行ってみるといいよ」

「だな……。ICカード入ってるから、パクられたとかならヤベえんだよ……」


 本当今日ついてねえな……、と、松本さんはがっくりベンチに座り込んだ。


「それも心配だけれど、一晩どうするんだい?」

「ねえもんは仕方ねえ。ここで朝まで寝とく」

「流石に夜中は冷えるし風邪引くじゃないか。ボクの部屋で良ければ泊めるよ」

「この辺住んでんのか?」

「ああ。あの歩道橋渡ったところのアパートさ。ほら、下にコンビニがある」

「あそこか。でも良いのか? その、オレ赤の他人だし……」

「素性は割れているし、それにもう他人でもないんじゃないかな」

「何でだよ」

「他人は松本さんの失恋を知っていると思うかい?」

「そうか……」


 納得はしたようだけれど、多分ボクのウチに上がる事を遠慮しているんだと思う。


 元彼女さんは勿体ないなあ、松本さんはこんなに良い人なのに。


 ボクが内心で思ったそれを松本さんに伝えると、


「ふ、普通だろっ」


 彼女はちょっと照れた様子で顔をボクからそらしてそう答えた。


 やあやって。


 3階のボクの部屋につくと、松本さんがお腹が減ったと言ってきて、ボクはストックしていたカップラーメンを1つあげた。


「1つ、気になっていることがあるんだけれど」

「なんだ?」


 テーブルの向かいでシーフード味のそれをズルズルと啜る松本さんへ、ボクは初見でボクの性別を当てた理由について訊ねた。


「あー……。その、なんだ……。ちょっと品が無くてアレなんだが」

「?」

「オレ、男は恋愛対象じゃねえんだ。で、深雪はそういう風な感じがしてな。その……」

「つまりは何か心が許せそうな相手だと思った、って事だね」

「そ、そんな所だッ」


 食べる手を置いてもじもじしている様子と〝品がない〟という言葉で、だいたい何を言おうとしたか察してボクはそう言い変えておいた。


「やっぱり松本さんは人が良いね。別にそっち方面の事言ってくれて構わないよ」

「いや、いきなりシモ方向の話する方がおかしいだろがっ」

「うん。だから今言って良いよって言ったんだ」

「……何か色々寛容すぎねえか、深雪?」

「そうかい?」

「そうだよ」

「嫌な感じかい?」

「むしろ気ぃ使わないのが居心地良すぎてなんかムズムズするっていうか……」

「じゃあ良かった。大概の場合、居心地が良いのは良い事だ」

「そういうもんか」

「そういうものさ」


 ちょっとしっくり来てない松本さんへ、表情を緩ませてそう言ったところで、5分のタイマーが鳴ってボクは目の前にあるカップうどんのフタをはぐった。


 その翌朝。


 松本さんもボクも1コマ目から授業を取っていて、校門を入った所でボクは右へ、松本さんは奥の方へと別れた。


 財布、見付かったのかなあ?


 授業中に頭の片隅でそう考えていたボクは、授業が終わってから構内の真ん中辺りにある管理課へ足を運んだ。


 連絡先は一応交換したけれど、何となく直接会って聞きたかったからだ。


「おっ」

「あっ」


 廊下を歩いていると、ちょうど部屋の中から松本さんが出てきた。


「どうだったかい?」

「おう、あったぜ」

「中身は?」

「無事だ」


 ニッと笑みを浮かべつつ、彼女は使い込んで味が出ている、黒い折りたたみの革財布を見せてそう言った。


「てなわけで。ほい、昨日のカップ麺代」

「ああ、いいよいいよ。おごりだと思っておいておくれ」

「オレの気が済まねえの」

「うーん。じゃあ、コーヒーでも買っておくれよ」

「自販機で買ってもその方が安いだろ?」

「律儀なんだね。やっぱり松本さんは良い人だ」

「褒めるのはやめろっ。小っ恥ずかしいだろっ」


 ボクの褒め攻めに降参した松本さんは、その条件で納得してくれた。


「ねえ。松本さんって、最近はどんなアーティストの曲を聴くんだい?」

「あーえっと、なんとかハーツっていうギターくのがめっちゃ速いバンド」

「ボクもそれ聴くんだ。良いよね」

「どうやってあんな音出してんだろうな。――ってなんかこれ友達って感じの会話だな」

「松本さんとボクが友達だからじゃないかな? 連絡先も交換してるし」

「いや、友達のハードル低いな?」

「そうかな?」

「で、オレなんかでいいのか」

「君だから良いんだよ」


 そう言ってボクは松本さんを真っ直ぐ見て笑いかけ、買ってくれたカップ自販機のコーヒーに口をつけた。


「じゃあその、よろしくな?」

「うん。じゃあ早速、今度一緒に買い物でも行こうよ」

「いいぜ。ちょうど新しい服欲しいんだよな」

「へえ、どんな?」

「お、気になるか? 今画像見せるからちょっと待ってろ――」


 その日から、ボクと松本さんはほとんど毎日顔を合わせて、雑談したりバイトの愚痴を言い合ったりする様になった。


 このときは、ボクが松本さんと社会人になっても同居する仲になるとは、さすがに全然予想もしていなかった事をよく覚えている。

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