41 13人目の「私」が語る③

「あ…… 痛い!」


 マーゴットが急に叫んだ。

 どうしましたの、と皆が彼女の元に寄る。


「血が……」


 マーゴットの小さな靴から血がじわじわとしみ出していた。


「これは……!」


 医師の妻であるシャーロットは血にも臆さず、靴を脱がせようとする。


「駄目え! 触らないでえ!」


 マーゴットはそんなシャーロットの手を払いのけようとする。

 だがその足には力は無い。

 その間にもじわじわと小さな靴は、赤く赤く染められて行く。


「マーゴット様。カーレンだったのは貴女だったのでしょう?」


 私はその赤く染められて行く清朝時代の纏足仕様の靴を見下ろす。


「あの国はもうありません。今あの大陸は、各国の思惑と権力争いの中です。そしてその小さな足は、旧時代の悪習として、排除されているのです」

「あ…… 悪習ですって」

「美を感じることはできるでしょう。でも、それでは歩くことができない。歩くことができないのでは生きていくことができないのが、今のあの地です。そしてそうでなくとも、自分の足で歩きたいのがこのサイレンの鳴り響く世界の女なのです」


 ああ! とマーゴットの悲鳴が飛んだ。

 シャーロットはその靴を取り去ったのだ。

 そこには指を切った足があった。


「……何てこと……」


 シャーロットはその足を、薄手のテーブルクロスを裂いたものでくるんだ。


「そっか…… もう誰もこの足を見ても美しいとは言ってくれないのね」

「元々本当にその足を作るなら、少女の頃からの苦しみが必要なのです。それは良くも悪くも一つの文化です。でももうその時代ではないのです」

「そうなのね。……じゃあ私は、赤い靴を履いて踊ることができる場所へ行く方がいいんだわ」


 じゃあね、と言ってマーゴットは闇の中へと消えていった。

 だがまだ血の色が消えることはなかった。


「……ポ、ポーレット様、そのお腹……」


 フレアが扇を取り落として叫んだ。


「……ああそうでしたわ。そう。マーゴット様の血を見て、私思い出しましたの。友達の友達ではなく、刺されたのは、私だったんですね……」


 幾重の下着の上にまでにじんでくるその出血には、さすがにシャーロットもどうしようも無い様だった。

 そもそも締めれば止められるのだったら、彼女達のコルセットというものがあるではないか。

 そうではない。

 記憶がそれを押しとどめていただけなのだ。


「義母は、どうしても私が伯爵家の嫁というのに家庭教師ガヴァネスの様に子供達に教えるのも、メイドの様に家事をするのも気に食わなかったんですわ。私はそうしなくてはならないと思ったからしただけなのに。楽しかったのに。あのひとはどうしてもそれに納得がいかなくて。一言も私あのひとに文句は言いませんでしたのよ。あのひとが私にどれだけ暴言を吐いても、それはもう病気なんだ、とあきらめましたわ。あのひとがただもう現実が見えないからだと。だけどだからと言って」


 あああああああ、とポーレットの目から大粒の涙が流れた。


「殺してやりたかったのは、私の方なのに」

「大丈夫」


 私は彼女にそう告げた。


「貴女が話した様に、貴女の義母は自分のしたことに瞬間気付いてショックを受けて心臓発作で死んだんですよ。その時の苦しみはどうでしょう、シャーロット様」

「……ええ、心臓発作で瞬間的に意識を失えない時には、凄まじい痛みと苦しみの果ての死が待っています」

「そうですか」


 涙を拭って、ポーレットはすっくと立ち上がった。


「それを聞いてすっとしましたわ。では、ごきげんよう」


 ポーレットはそう言うと、闇の中に消えていった。

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