僕と友人とそして...
胡乱な烏龍茶
第1話 無知という罪
私は現在、医学部6年であり、様々な疾患について勉強し、医師国家試験という試験に向けて毎日勉強漬けの生活である。だからだろうか、これまでの過去を振り返ることが多い。
当時、2年であった。
5月某日。ゴールデンウイークも明け、授業を寝ぼけまなこになりながら聴いていた。「それでは授業は終わりです。」と講師が言うと、待っていましたとばかりに、皆が歓談に興じ始めた。
さすがに寝る気も失せ、私は友人と取り留めのない話をしていると、一人の男子学生が何を思ったのか、黒板に数式を羅列し始めた。数式を見たが、特に意味があるとは思えないような文字列が躍っていた。奇行、だれかがそう言っていた。
人間とは慣れるもので、皆は一か月と経たず、放置という方針で決定した。かく言う私も、その一員だった。私は挨拶をする程度の仲でしかなかったが、独り言を言っていた、突然怒り出した、などといった噂は耳にしていた。しかし、私はただ見ていることしか出来なかった。いや、正しくは、しなかった。
6月某日、彼が大学に来なくなった。多少気になったものの、だからといって何も行動はしなかった。
時が経ち、3年に進級したあと、名簿に彼の名前がなかった。退学したらしい。
3年にもなれば、私たちはより臨床的なことを学び始めた。なんとか器だとかなんとか科だとか、そういうのだ。私はあまりやる気のない学生ではあったが、授業には出席していた。
なんとなく授業を聞いていたところ、「観念奔逸とは考えが溢れるほど浮かんできて止まらない状態のことです。」というフレーズがどうも頭に残った。なぜそのフレーズが頭に残ったのか、分からなかった。
しばらくして、友人と飲んでいたときに、退学したかつての同級生の話題になった。間違えて彼にメッセージを送ってしまいそうだった、とか碌でもない話で盛り上がっていた。そこで私は思い出したのだ、そう言えば彼は『観念奔逸』だったのではないか、と。
後日、気になった私は授業で使っていた資料を読み返し、彼の行動や噂と照らし合わせて気づいた。彼はもしかしたら精神的な疾患を患っていたのではないか、と。観念奔逸は躁病や躁うつ病で見られる症候であり、独り言をつぶやいていたことや思考がまとまっていなかったことから統合失調症の可能性も考えられた。しかし、それ以上のことはあまり思い出せなかった。
結論はわからず仕舞いであったが、一つ確実なことがあった。それは、すぐに精神科の先生に相談すべきだった、ということだ。そのとき、私は自身の犯した罪に気づいた。気付かされた、というのが正しいのかもしれない。
その罪とは無知であったことだ。調べようと思ったらものの数分で調べられたはずだ。なのに調べもしなかった。その根底にあるのは、精神疾患というものへの無知だろう。
その無知が一人の人間の可能性を、未来を奪ってしまったのだ。
医学部に入ることができたのに、退学という不名誉な十字架を背負い続けることとなった彼はどうしているのだろうか。彼が懸命に生きていることを願うのは傲慢だろうか。
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