第2話 じゃあ、豚バラバーガーのように付き合っちゃう?

 あの日から僕は燐香りんかさんの魅力にクラクラだった。


 この狭い世界、噂に尾ひれが付き、美人すぎる歯科医師を一目見ようと言う患者さんの話を耳にしてか、シオサイ歯科医院は今日も大繁盛だ。


「りんかお姉ちゃん、ちゃんとちりょうに来たよ。ボク、おりこうさん?」

「はい、よくできました。ごほうびに飴ちゃんあげますね♪」


「……飴だと!?」


 小学校低学年の男児に向けて燐香さんの口から出た言葉に僕の理性が数秒でかき消される。


 それはつまり、あの僕がされそうになった蜜蜂ミツバチが花に与える行為……。

 つまり、燐香さんの体に染み付いたDNAの一部をあのチビッ子に分け与えるということだ。


「そんなことはさせないぞ!」


 僕は燐香さんと男児の間に体ごと割って入る。


「なっ、何のつもりですか?」

「お兄ちゃん、邪魔しないで」

「しないでと言われても流石さすがに間接キッスは不味まずかろう」


成垂太なりた君、キスってどういう意味でしょうか?」


 僕の発言に不思議そうな顔つきをする燐香さん。

 彼女の手にはペロキャンではなく、普通の小粒の飴玉がのっていた。


「クスクス。可愛げのあるボウヤだわ、ウケるーw」


 その様子を端から見ていた受付のお姉さんが必死に笑いを堪えている。

 さてはお姉さん、こうなることをあらかじめ想定していたな。


 まあ、冷静に考えたらそんな異常者なんか箱の中だけだと言うことに……。


 えっ、箱が何かって? 

 僕は未成年だから何だかなー。


「ここか。例の美女が住み着いて働いているとSNSで噂された場所は」

「あれ、親父?」

「ああ、紛れもなく俺は一児の父親だが?」


 そこへ来客してくる、スキンヘッドに女好きの男。

 僕の記憶に当てはまる中で、あの坊さんのような見た目の相手は一人しかいない。


「おうっ、成垂太じゃないか。何だ、お前もすみに置けないな。あんな美女がいるなら父さんにも紹介しろよ」

「親父。その言葉、するりといただきました」

「おうっ、それはまさかの!?」

「そう。盗聴という代物だ」

「なっ、成垂太天皇陛下殿!!」


 スマホで親父の声を録音したことを伝えるさま、半泣きの親父が僕の足元に顔を擦り付けてきた。


「どうかこのことは母さんにチクらないでくれー!!」

「さあね。どうしようかな~♪」

「なりたー、父さんを一人にしないでくれー!?」

「ああ、もうウザったいな!」


 はっきり言わせてもらうが僕の母さんは普段は穏やかだが、怒るとガチで怖い。

 この仏像のように勇ましい親父でも小さく縮んでしまう有り様だ。 


「あら、新規の患者さんですか? いらっしゃいませ」

「おおう。これはお綺麗なお嬢さん、初めましてポンジュース」


 それはボンジュールではないだろうかのツッコミはよしとして、僕は黙って二人の会話を耳にしていた。 


「あらまあ、綺麗だなんて。お世辞がお上手ですね」

「そんな素敵なあなたへ愛のプレゼントさ」


 もうここまで来たら後には引けないのだろう。

 親父は背中に隠していた赤いバラの花束を燐香さんに捧げる。


「すみません。院内への食べ物の持ち込みは禁止なのですが……」


 思いもよらない答えに呆然とする親父。

『なら何で飴の持ち込みはいいんだ?』という問いかけよりも僕はバラに対して怒りが生まれていた。


「豚バラじゃあるまいし、それのどこが食べ物なんだよ?」

「あっ、いえ。サラダにして食べるのかと」

「ならきちんとバラの骨(トゲ)抜きをしないとな。なっ、親父?」

「ううう……おいどんはフラれたでござる」

「親父、いい歳して泣くなよ」

「お前においどんの何が分かる……」


 いや、好きな女に告白が失敗して泣いてるんだよな。

 そのくらい僕でも判別できる。


 というか、親父は東京生まれ東京育ちのはずなのに何で泣いたら鹿児島の方言になるんだ?


 僕は子供のように泣き叫ぶ親父をなだめながら、親父を車へと見送った。


****


 僕は燐香さんと喫茶スペースで紙コップに入ったコーヒーを飲みながら休憩をしていた。


「あの、何だかんだで親父がすみません」

「いえ、いいのですよ。見ていて微笑ましかったですし。楽しいお父さんですね」


 微笑ましいって、その保護者的な考えは何だ?


「それよりも今日は定期検診ですか?」

「はい。ちょっと気になりまして……」


 気になっているのは歯じゃなくて、燐香さんなんだけど……。

 こんな時、自分の気持ちをストレートに口に出せる親父が羨ましい。 


 若い頃の親父もあんな感じで今の母さんを射止めたんだろうな。

 母さんも鬼のように綺麗な人だし……。


 待てよ、もしかして僕の周りって素敵な女性尽くしなのでは?

 これはハーレムラブコメ確定だな。


「それで今日の歯石取りコースですがって、成垂太君、もしかしてお疲れモードでしょうか?」


 しまった。

 考えに夢中で話を聞いていなかった。


「えっと、何の話でしょうか?」

「やっぱり疲れているのですね。万全の体調で治療をと思いましたが、そんなに優れないなら今日はもう帰った方がよろしいかと……」

「いや、そういうわけにはいかないんだ」


 今日を過ぎればGW関連のお休みで燐香さんとは一時ひととき会えなくなる。

 例え、一週間くらいの休日といえども彼女の中から僕の存在が消えるのが怖かった。


 一人のお客様ではなく、一人の男として見て欲しい。

 僕は勝手ながら燐香さんを独占したい男の一人となっていたのだ。


 燐香さんは何を喋っていたのか。

 僕のIQが瞬時に二百ほど上昇する。


 さあ、僕の体の中から呼び覚ませ。

 野生の三休さんのようなずば抜けたIQを。

 大好きな相手と少しの時間でもいられる奇跡を……。


「りっ、燐香お姉さん、僕と結婚して下さい‼」

「えっ、結婚?」

「しっ、しまった。心の声が出てしまった!?」


 後にも先にも引けない状況で僕はあたふたとする。

 これじゃあ、親父の二の舞じゃないか。


「ふふふ、成垂太君。面白いね。でもその歳じゃあ結婚はできないよ」

「えっと、結婚を前提に……じゃなくて!?」

「いいよ。お姉さん今フリーだし、私でよければ君と付き合ってあげる」

「はひー!?」


 完全に裏返る僕の声を尻目にお姉さんは僕に向かって笑顔を向けていた。


 僕の初めての恋人があの女神のような燐香さん。

 胸が弾け飛ぶくらい嬉しくて、僕はその場で柄にもなく天に拳を掲げていた。

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