週刊ショートストーリー

エプソン

「先輩のことが好きです。僕で良ければ付き合ってください」


 胸がはち切れんばかりに鼓動する心臓の音を聞きながら、僕は一世一代の告白をした。頭に籠った熱は視界を狭め、極度の緊張から来る喉の渇きは僕から冷静さを吹き飛ばしていた。


 気持ち悪い。

 怖い。

 吐きそう。


 勇気を使い果たした僕はすっかりと負の感情に捕らえられていた。

 あとは対面の彼女の答えを待つだけだというのに胸が苦しく、お腹の奥が締め付けられるようだった。

 反対に、告白相手の少女は冷静そのものだ。

 耳は僅かに赤みを帯びているようだが目線は安定している。新緑に染まった校庭の木々や春らしい柔らかな風を楽しむ余裕があるようだった。

 僕が想いを告げてから十数秒後、ようやく彼女は口を開いた。


「ごめんなさい。アタシ、好きな人がいるから」


 瞬間、僕は崖から落ちたような錯覚を覚えた。

 彼女が立ち去るまでは我慢したが、想い人の気配が消えると同時に地面にへたり込み、ただただ泣いた。次から次へと落ちる大粒の雫がシャツに染みを作るのにはそう時間は掛からなかった。

 ひとしきり感情を垂れ流した後、ふらふらとした足通りで家へ帰る。やっとの思いで自分の部屋に辿り着くと、ベッドの上でまた泣いた。

 親の心配する声は耳から耳へと通り過ぎ、SNSによる友達からの着信メッセージは確認すらしなかった。


 死にたい。

 消えてなくなりたい。


 自己嫌悪の渦にのまれ嗚咽を漏らし続けていると、自然と意識は闇に吸い込まれていった。

 そして次に目を覚ました時、


 僕は空虚だった。


 だが不思議と辛くは無い。苦しかったのもの全てが抜け落ちてくれたのか、苦しくは無く逆にやる気が湧いてきていた。


 ……お腹減ったな。


 気持ちに余裕が出来ると今度は自分が空腹であることに気付く。思わず目覚まし時計の針に視線を向けると、所謂丑三つ時と呼ばれる時刻だった。

 眠っているであろう家族を起こさないように恐る恐る部屋から出てキッチンへと向かう。そして冷蔵庫の前に立つなりすぐに食べ物が無いか物色を始めた。だが、目当てのものはすぐに見つかった。

 母が用意してくれていたのだろう夕飯のおかず。ハンバーグが乗った皿をレンジに突っ込むと、僕は炊飯器からご飯をよそい食事を始めた。


 温かい。


 母の作ったご飯は優しい味がした。ぽっかりと胸に空いた穴を埋めてくれるような心地の良い味。一口、二口食べ進めるとまた瞳から液体が頬へと流れていった。

 鼻水をすすりながら食べ続ける。最後の一口を食べきった時は涙は止まっていた。


 嫌だ。このまま終わらせたくない。

 好きな人が居るからといって、この気持ちを裏切れない。

 僕は諦めない……!


 空になった皿を洗うべく水道の水を流すと汚れが浮いた。しかしながら深くこびり付いた油は流水だけでは落ちず、まるで自分の心のようだと僕は小さく笑った。

 その日から、僕は先輩にアタックし続けた。


「好きな人が居るって言ったよね。忘れたの?」


 二度目の告白は初夏だった。太陽の熱が降り注ぐ世界で再び惨敗した。


「いい加減にして。アタシと君とは一緒になんていられないの」


 三度目の思いは落ち葉と共に散った。相変わらずの素気の無い態度に気持ちが折れそうになったが、部活に熱中する人を見ていると勇気が湧いた。


「もう話し掛けてこないで気持ち悪い! アタシには大好きな男子がいるんだって!」


 四度目の気持ちは雪に解けていった。今度ばかりは限界で、熱く燃えていた心はすっかりと冷え切ってしまった。


 僕の一年は勝利を手にすることなく終わろうとしていた。冬の到来によって枯れていた木には蕾が芽吹いているのだ。

 思えば最初から無理な話だったでは無いだろうか。

 愛する彼女は容姿端麗で文武両道な人気者。比べて僕は少し運動に自身があるだけの無能である。こんな僕が彼女を好きになったことがおこがましかったのかもしれない。


 もう終わらせよう。今日で最後だ。


 卒業式。

 彼女は卒業生で僕は在校生。学校で会えるのは今日が最後だ。

 僕は在校生が集まる席で一人小さな決意を固めていた。隣に座る男子は式に全く興味が無いのか、もう始まる寸前だというのに前の男と下らない話に花を咲かせていた。

 体育館の隙間風が頬に当たり自然と背筋が引き締まる。館内に複数台配置されたストーブはあまり効果が無いようだった。


 あぁ、今日も綺麗だ。


 式が始まり威風堂々の曲と共に卒業生が入場してくる。

 目当ての彼女はすぐに見つかった。今日の為に美容院で髪をカットしてきたのだろう。大人っぽい彼女の容姿が更に美しくなっていた。

 式は円滑に進み、彼女が主人公の答辞が始まった。

 凛とした立ち姿に自然と目が眩むほどの刺激を受ける。

 彼女が麗しい言の葉を一つ一つ紡いでいく度に僕の目には涙が溜まった。

 彼女が放つ在校生への言葉により一年間の思い出がフラッシュバックし、思考がぐちゃぐちゃになっていく。もうこれで終わりなのだという事実が余計に感情を刺激し、彼女の答辞が終わる頃には前が見えなくなっていた。


 嫌だ……。ずっと彼女を見ていたい。離れたくない。一緒に居たい。


 僕の望みは叶うことは無く、あっという間に式は終わった。

 あとは彼女が帰る時にしか会う機会は無い。

 悲しみは焦燥へと変わるが最早今更だ。恋心を惑わせる気持ちは全部捨てていく。


 悩みも焦りも悲しみも今だけは全て置いていけ。

 後悔は明日だって出来る。

 だから──、

 僕は全力で想いをぶつけるんだ!


 クラスのHR《ホームルーム》から解放され急いで玄関へと向かう。

 そして打ち出された弾丸のように外に飛び出すと、全力で最愛の彼女の姿を探した。

 額から吹き出す汗を拭いながら走り回る。途中、卒業生に在校生が抱きつき無く姿を見たがあまり気に留まらなかった。


 もう帰ってしまったのだろうか。

 うんん、まだ。まだ居るはず。そうに決まってる。きっとそう。


 願いにも似た予想は当たっていた。

 目的の彼女は校舎裏の人気のない場所に居た。それも男子と二人で。

 慌てて隠れひっそりと様子を見る。

 どうやら彼女は告白をしているようだった。


 もしかしてあれが……?


 以前から何度も彼女の言葉に出た『大好きな男子』なのだろう。

 身長は高く、顔もそこまで悪くない。しかし完璧な彼女とは釣り合わなそうだと思った。


「ごめんなさい!」


 どうやら彼女は振られてしまったようだった。

 彼女に別れを言い残し、離れてこちらに来る男に不味いと思いながらコンクリートの壁に張り付く。だが当然ながら隠れきることは出来ず、簡単に見つかってしまった。

 気まずい雰囲気のまま目と目が合う。

 こちらは彼女を振った男に怒りと、「よく振ってくれた」と感謝の意を伝えたかったのだがそんなことは勿論言えるはずも無く、ただ申し訳なさそうに頬を掻くだけに終わった。反面、男の対応は違った。気まずい顔をしたのは一瞬で、すぐに熱意に満ちていった。


「ごめん。こっち来て」

「え……?」


 強引に手を引かれ少し離れた場所へと連れていかれる。

 花壇と桜の木が丁度良い位置で配置されているおかげで外からも校舎内からも視認し辛いスポットだ。


「急にごめんね」

「い、いえ……」


 何ともない風を装うが本音は死ぬほど面倒だった。

 何せ今すぐ愛する彼女の傍へと向かいたいのだ。卒業を祝い、今まで付き合わせてしまった謝罪と最後の告白を告げなければならない。こんな男に時間を取られるわけにはいかなかった。


「あの、僕に何か?」


 僕が小さく言う。

 男子は逡巡している様子。だが、一度深呼吸を行い覚悟を決めた表情へと変貌した。


「俺、実は君のことをずっと見てて。――えっと、ごめん。やっぱ上手く言えねーわ」

「はぁ……」


 何だと言うんだ。何でも良いから早く僕を行かせて──、


「……好きなんだ、付き合ってくれ!」


 は……?


 意味不明な言葉を前にして固まってしまった。

 次から次へと告げられる愛の言葉に理解が追い付かなかった。

 そんな中僕は見てしまった。

 絶望したかのように目を見開いてこっちを見る先輩の姿を。


 違う。

 これは違う、からっ!


 不意に強い風が吹き、桜の大群が視界から最愛の女の子を消し去ろうとする。

 無我夢中に彼女に手を伸ばそうとするが何の意味も無かった。

 そして僕のスカートの裾に、ひっそりと桜の花びらが付いた。

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